2 恐怖
(本当に……あの策は、うまくいくのだろうか?)
そもそも今回の戦は、敵の火炎法力を防ぐ策を前提として計画されているのだ。
もし敵がこちらの狙いに気づき、火炎法力を使わずに素直に騎士を突撃させてきたら、それだけで計画には大きな破綻が生じることになる。
むろん、そうした場合の対処法も、一応、レクセリアは考えていた。
この谷を戦場に選んだのは、前線の幅を狭くして敵との戦闘正面を狭めるという意味もあるのだ。
広い野原で騎士が突撃をしかけるのと、限定した空間とでは言うまでもなく前者のほうが騎士にとって有利である。
歩兵によるいわゆる縦深陣を敷くことで、敵騎士が深入りすれば背後に控えている歩兵がそれをたたくという格好になっている。
確かに騎士の突撃には騎士をもってあたらせるのが戦の常道ではあるが、レクセリアは先のフィーオン野の戦いで、実は騎士という兵科の弱点を再確認していた。
確かに突撃をさせれば強い。
その破壊力は圧倒的だ。
だが、一度、突撃をかけてきた騎士は部隊の再編成に時間がかかる。
その点、このヴォルテミス渓谷のような狭い場所では、騎士の機動性もいかせずに有利に戦えるはずだ……。
だが、本当にうまくいくのか?
そもそも火炎法力を封じる予定の策が失敗したら、こんな狭い谷間に密集させた兵士たちは大量に焼け死ぬだろう。
これは戦だ。
つまりは、人が死ぬのだ。
恐ろしい。
怖い。
なにが怖いといって、自分の命令によって敵軍にしろ自軍にしろ、人の命が奪われるというのは恐ろしい以外の何者でもない。
だが、大将はそうした恐れを見せてはいけないのだ。
いまも軟式の革鎧に身を包み、胸に五芒星の焼き印を刻み込んだ伝令魔術師たちが、彼女のまわりをぐるりと取り巻いている。
空間歪曲や攻撃魔術による奇襲を防ぐため、彼らはさまざな儀式用魔呪物を用いて本陣のまわりに霊的な結界を敷いていた。
さらにその外側には、おそろしげなトカゲの頭をもつゼルヴェィア近衛が、ぎらぎらと周囲に警戒の目を向けている。
端から見れば、床几に腰を下ろし、背筋をぴんと伸ばして北方の敵軍のくる方向を見つめるレクセリアは、まさに威風堂々という言葉がぴったりに見えたことだろう。
その凛然たる美貌ともあいまり、一種、キリコの戦乙女めいた霊気すらいまのレクセリアは放っていた。
だが、その幾つもの鎧のなかにある魂は、いまだ十五の少女のものなのだ。
(怖い……私は、怖い……)
うっかり気を抜けば、恐怖に歯ががたがたとなり出してしまうのではないかという思いにとらわれる。
いままでは、まだ良かった。
グラワリア軍の報告を聞き、ひたすらそれに対処する方策を考えていれば良かったからだ。
だが、すでに手も出尽くし、なすべきことはやった。
あとは言うなれば、待つことが仕事である。
ほとんど無意識のうちに、レクセリアは傍らに控えていたヴィオスの手をぎゅっとつかんだ。
「恐ろしいのですか?」
宦官の問いに、レクセリアは小さくうなずいた。
このあたりは、いかにもまだ十五の少女の仕草である。
「ヴィオス……私は、怖いです……私の策は、本当にうまくいくのでしょうか? 私はなにかひどい過ちを犯しているのではないでしょうか? 私は……私は……」
言葉にするだけで、ますます恐怖心が募っていく。
「戦場で恐怖するのは、人としては当然のことでありましょう」
ヴィオスが笑いながら、自分の足下を指さした。
見ると、ほとんど滑稽なほどにヴィオスの下半身は震えていた。
「私ももとが文人ですからな……戦場に出るのはフィーオン野のとき以来ですが、やはりこのように怖くて怖くて仕方がない……ですが、それは私たちだけではありませんよ。いま、ここに陣を敷いているレクセリア軍一万五千のうち、恐怖を感じていないものはまず一人もいないでしょう」
「ですが、騎士や諸侯は……それに、王国軍の将兵たちは……」
ヴィオスがうなずいた。
「彼らだって、本当は怖いのです。当然です。これから戦となれば、必ず人が死ぬ。人を殺すことも、殺されることも、恐ろしいことです。だから戦に恐怖して、当然なのです。殿下がここで恐怖することは、決して間違っていないのですよ」
そうだろうか、とレクセリアは思った。
「でも……ガイナスは……ガイナス王は、火炎王とも呼ばれるあの男は……」
いつのまにかレクセリアの頭のなかでは、ガイナスは巨大な、炎に包まれた巨人のように思えていた。
「あんな男に……私は、勝てるのでしょうか……」
「敵が大きく見えているのであれば、勝てましょう」
ヴィオスは言った。
「私は戦の素人ではありますが、それでもこれくらいのことはわかります。もし敵が実際より大軍に見えるのであれば、その軍勢は勝ちます。一方、敵が一方より少数に見えるのであれば……その軍勢は負けるでしょう」
「なぜです?」
赤子の頃から教育してきた王女の問いに、ヴィオスは答えた。
「敵が大軍に見えるということは、自らの弱さを自覚しているからです。一方、敵が小さく見えるということは、自らの強さに酔っているから……といえば、おわかりですかな? 古来より慢心して戦に勝った者はおりませぬ。ですから、敵軍が巨大に感じられるのであれば……レクセリア殿下、この戦、必ずや勝てましょう」
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