第二章  生還

1  生存者たち

 どこまでも暗い森が続いている。

 周囲に密生する木々は、どれもが異様にねじくれたものばかりだ。

 単純に樹木の種類でいうのなら、ナラやカシ、ブナ、カエデなどの広葉樹の仲間が多い。ときおりマツなどの常緑樹もあるが、基本的には落葉樹の森である。

 とはいえ、この森に鬱蒼と茂る木々をみて、どんな樹種の木か即座にあてられるものはほとんどいないだろう。

 なにしろすべての木々が、まるで邪悪な霊気にあてられたようにねじまがっている。どう見ても不自然な形をした奇形の木々も珍しくない。病みきった樹木のなかには、黒い粘液じみた樹液を涙のように垂れ流しているものすらあった。

 ここは、アスヴィン大森林と、セルナーダの地の人々の間では知られている。

 魔の森アスヴィン。単純に、そう呼び習わされている。

 魔の森、という名は伊達ではない。この森にはネルサティア人がアクラ海を渡ってやってくるはるか以前に栄えた古代の巨石文明の遺構の他にも、古の呪術王と呼ばれる巨大な呪術師たちが自然の獣をねじまげてつくったとされる怪物、いわゆる魔獣が無数に生息しているのである。

 たとえ昼間であっても、一歩なかに足を踏み入れるだけで正気を疑われる。それほどに、危険な森なのだ。

 だが、その森の中で、実に百人もの男女がいま、野営を行っていると知れば、誰もが彼らが狂気を司るホス神に憑かれていると考えるだろう。

 実際、いま毛布にくるまっているレクセリアにしたところで、ときおり自分が長い悪夢を見ているのではないか、と思うほどだ。

 これでも、グラワリアの諸侯に追われ、森のなかに入るまでは一応、三百人の仲間がいたのだ。

 それがすでに、わずかに百人に減っている。

 百人。

 実に、総勢の三分の二がこの森のなかで失われた計算になる。

 とはいえ、逆に言えば、まだ百人も残っている……そうした言い方も出来るかもしれない。それほどに、この森の怪異、そして魔獣のたび重なる襲撃は凄まじいものだった。

 命の危機を感じたことなど、それこそ数え切れない。事実、人食い猿アルグの襲撃をうけ、彼らの神に捧げられそうになったとき、レクセリアはほとんど死さえ覚悟したのだった。

 だが、まだ生きている。

 彼女の「夫」であるリューンヴァイスは、拉致されたレクセリアをアルグの邪神から救い出してくれたのだ。

 いまでも、あの情景を思いだしただけで、背筋に震えが走る。

 あのとき、巨大な帝王種アルグと呼ばれる怪物には、確かによこしまなアルグたちの呪術師が召喚した「神」が憑いていた。だが、リューンヴァイスはいくら神にしては弱小なものとはいえ、その神すらも、倒してしまったのだ。

 やることなすこと、むちゃくちゃな男である。

 そもそもグラワリア王ガイナスの御前で、王位をかけた決闘を巨人アルヴァドスと行ったときから、リューンは異常な戦闘能力を見せていた。

 王から玉璽を授かった後、ガイナス王の突然の死……おそらくは自死……のあとも、リューンは自らの配下の傭兵の他、なんとガイナス直卒の兵たちをも取り込んで、グラワリア王都グラワリアスを脱出した。

 それから、長い逃亡の旅が始まったのである。

 いくらガイナス王に次代の王として選任され、玉璽を託されたとはいっても、所詮、リューンヴァイスは生まれも定かではない傭兵に過ぎないのだ。

 当然の事ながら、グラワリアの諸侯はリューンをグラワリア王の僭称者とみなし、追撃の兵を繰り出してきた。そうした諸侯の軍に四囲を囲まれたリューンたちは、最後の、誰もが想像すらつかないような逃走経路として、このアスヴィンの森の突破を計ったのである。

 確かに、この判断により、リューンたちはグラワリアの追っ手からは逃れることができた。だが、彼らをアスヴィンの森で待ち受けていたのは、グラワリア諸侯軍の脅威など笑い話にしかならぬような、未知の、超常の恐怖だったのだ。

 百人。

 この生存者の数を考えるとき、レクセリアは自らの判断が正しかったのか、考え込まざるをえない。そもそも、アスヴィン突破を計ったのはレクセリアの考えでもある。


(果たして私は……正しい選択をしたのだろうか)


 悩んでも仕方のないことではある。だが、それでもつい、なまじ考える時間ができると考え込んでしまうのだ。

 理性は、あのままグラワリア諸侯と戦ってアルヴェイア国境にたどり着くのは不可能だったと告げている。だが、それでもこの魔の森アスヴィンに入るよりは、外で死んだほうがまだましだったのではないか。

 「嵐の王」リューンに忠誠を誓う稲妻の女神ランサールの乙女たちは、多くがおぞましいアルグ猿の餌食となった。陵辱されたあと、むごたらしく殺され、そして文字通り、喰われたのだ。

 何人もの「ランサールの槍乙女」たちの悲痛な叫び声が、ときおり頭のなかでこだまする。


(本当に、私は正しかったのか。それとも……)


 そのときだった。


「ちっ……レクセリア『殿下』。あんた、また……下らないことを考えているみてえだなあ」


 レクセリアが毛布から顔を出すと、すぐ傍らでリューンがあぐらをかいていた。

 そのたくましい姿が、頭上の木々の天蓋の狭間からもれた月光をうけて、光り輝いて見える。

 黄金色の滝のような蓬髪に、精悍な美貌の持ち主である。瞳の色は、右目が青、そして左目が銀色というきわめて珍しいものだった。この目を持つものは「嵐の王」になるという伝承が伝わっているが……事実、いまのリューンは、嵐の神ウォーザにより、嵐の王と認められるほどの存在である。

 全身をよろう実用的な筋肉は、こうして革鎧をまとっていてもうかがうことができるほどだ。背には、長大な剣を背負っていた。すでに魔獣たちとの戦いで何本もの剣を折っているが、いまの剣も刀身のあちこちが魔獣の骨を砕いた衝撃で欠け、血の痕が残っている。むろん、手入れはしているのだが、あまりにも戦闘の回数が多すぎるのでなかなか追いつかないらしい。


「世の中、いくら悩んだって仕方のないことがある……あんたの悪いところは、いちいち責任を背負い込んじまうとこだ」


 リューンの言っていることは、レクセリアにも理解できる。

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