6 ゼルファナスの言葉

 理由のない戦などこの世には存在しない。

 たいていの戦争は、二つの利益集団が激突し、自らの利益を追い求めるところに発生するものだ。

 たとえばガイナスがネルディ地方を欲しがった、というのであればこれはわかる。

 領土を拡大し、鉄という物品を生み出す土地を自領とすれば、グラワリアは豊かになりそこに利益が生まれるからだ。

 だが、ガイナスは自らの手で街を焼いてしまったという。

 鉄はただ、鉱山から掘り出せば良い、というものではない。

 溶鉱して純度の高い鉄にするだけでもそれなりの施設が必要になる。

 さらにネルディにはそれを武器や鎧、あるいは日用品などに鍛えて変える鍛冶屋なども存在したのだ。

 そうしたものまで焼き払い、破壊したのだからとしたらそもそもなぜネルディに侵攻してきたのか。


「ガイナスは……まともな為政者ではありません」


 ふいに、一人の男が渋い顔をして言った。

 年の頃は三十代半ばだろうか。

 異常といえるほどに発達した、牙のようにすら見える犬歯をもつ男だった。

 中肉中背のがっしりした体躯の持ち主である。

「まともではない……というと? 説明してもらえますか? ネルトゥス卿」

 ネルトゥスと呼ばれた男は、うなずいた。

 彼はハルメス伯の爵位を持つ。

 南部諸侯では反乱側にまわり、敗北して捕らえられたが、新王の即位により特赦を与えられ、再びかつてのハルメス伯の爵位を得ている。


「一言でいえば、ガイナスは異常者です。あの男は王でありながら、王としての本来の責務を果たさず、ひたすらに破壊を追い求めている。今回、ネルディに侵攻したのも……おそらくは『アルヴェイアを壊す』ための策の一環でしょう。よろしいですか? あの男には、一国を滅ぼして占領し、自国とするといった『正常な』発想はないのです。ネルディをアルヴェイアが領有していれば、そこから産する鉄製品でアルヴェイアは武装し……そして『壊しづらくなる』。だからあの男はネルディに侵攻し、火を放ったのです。あの男が求めるのは際限のない破壊だけです」


 ネルトゥスは、そのことをよく知っていた。

 ガイナスとかつての戦で直接、対峙したこともある。

 以来、ネルトゥスはことある毎にガイナスの異常性と危険性をアルヴェイア宮廷で唱え続けていたが、誰もそれを真面目に受け取るものはいなかった。

 ある意味では、当然のことだ。

 仮にも一国の王が、軍勢を率いてまでただ破壊のために戦争を行うなど、常識では考えられない。

 戦争とは、究極的には経済行為であり、「自らが得をするために行うもの」のはずなのだ。


「そういえば……以前も、ネルトゥス卿はそのようなことを仰有られていた」


 ふいに、一座が一人の若者に注目した。

 王国一の大貴族にして、エルナス公爵たるゼルファナスである。

 彼が口を開くと、誰もがその声に聞き惚れる。

 玲瓏たる美貌にふわしい美声に、つい意識を奪われてしまうのだ。

 だが、このゼルファナスという男もなにかがおかしいと内心、ネルトゥスは思っていた。

 どこか、ガイナスと似通ったものをなぜかこの世にも美しい青年から感じるのである。


「ガイナス王は、ただひたすらに破壊を求める……と。しかし、現実にそんな王がいるものでしょうか? 実際、グラワリアはガイナス派とスィーラヴァス派とに国内が二分され、両者ともに戦ってきました。もしガイナスがただ盲目的に破壊を求めるだけの怪物だとすれば……」


 ふいに、ゼルファナスは妖しい笑みを見せた。


「そんな器用なことは、到底、できますまい。今回、ガイナスがネルディに火をつけたのにももっと合理的な、なにか理由があるのではないでしょうか?」


 ゼルファナスの声が、天幕に集う人々の心に、まるでなにかの魔術のように染みいっていく。


「たとえばこのような理由はどうです? ガイナスの今度の戦の目標は、ネルディの工業力を破壊すること。ですがこの破壊は、単なる破壊のための破壊ではない。ちゃんと意味があるものです。つまり……ガイナスには、最初から『ネルディを領有し続けるつもりなどない』としたら?」


 それを聞いて、何人もの人々がはっとなったように顔をあげた。

 原則的に、アルヴェイア、グラワリア、そしてネヴィオンのこの二百年にも渡る三つどもえの戦いは、さまざまな領地や利権をめぐっての、領有権争いだった。

 そうした視点からみれば、「ただ破壊する」というガイナスの行動は異常に見えるのである。

 当然、ここに集っている諸卿たちも先例からして、ガイナスはネルディの領有を狙っているものだとばかり思っていた。

 だからこそ、ガイナスの行為はまともには思えなかったわけだが、もしゼルファナスの言う通り、そもそもネルディの領有をガイナスが考えていなかったとすればおのずと話は違ってくる。


「みなさんもご存じの通り、占領行政にはなにかと手間がかかります。古来より、グラワリアは何度もネルディの領有を狙い、そして失敗してきました。ですがここで発想を変えれば……つまり、まずネルディの恒久的領有を『諦め』、『アルヴェイア王国の資産であるネルディの工業力を破壊する』となれば、ガイナスはきわめて合理的な行動をとっていることになります。一度、破壊された鉱業施設を再建するには大変な手間と金がかかる。その負担は、アルヴェイアにかかってきます。しかし、鉱山であればグラワリアにもネヴィオンにも存在する。ネルディの鉱業施設が使い物にならなくなれば鉄の価格は当然、上昇します。なによりこれから、アルヴェイアはかなりの間、鉄不足に悩まされることになるでしょう。彼らはそこにつけ込んで、たえばグラワリアで採れた鉄を高値でこらに売りつければいいわけです。おそらく今回、スィーラヴァスとガイナスが手を組んだのも、そのあたりのことがからんでいるのでしょう。なにしろスィーラヴァスはグラワール湖だけではなく、そこと繋がる運河や河川の水運交易網を保有しています。鉄の輸出が増えれば、スィーラヴァスもガイナスも富むことになる……」


 確かにゼルファナスの言っていることは、非常に論理的で、明晰だった。

 彼の主張が正しければ、ガイナスの当初からの目的がネルディの鉱業施設の破壊であったことには間違いはない。

 だが、それは単なる破壊のための破壊、といった狂気じみたものではなく、自らの利を得るための行為、つまり通常の戦争行動ということになる。


「言うなれば、この戦は大局では、すでに我々は負けているのです。ネルディの鉱業施設というアルヴェイアの資産を破壊された時点で、ガイナスは我々と戦う前に、すでに勝利を収めているということになるのです……」

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