7 レクセリアの思考

 野営地の数ある天幕のなかでも、当然のことながらレクセリアのものは最も豪華なものだった。

 なにしろ彼女は王妹という王家の一員であり、また今度の軍勢の総大将であるのだからそれも当たり前のことではある。

 王家の者が陣中にいることを示す黄金旗が天幕の上に翻っていた。

 周囲を警戒する兵も、近衛兵ばかりである。

 近衛のなかでも異彩を放っているのが、ゼルヴェイア、あるいはトカゲの民と呼ばれる非人類種族たちだった。

 彼らはゼルヴェイア近衛とも呼ばれ、近衛隊のなかでも特別な地位を占めている。

 その身長はみな軽く六エフテ(約一八0センチ)を超えており、体表は緑褐色の鱗で覆われている。

 父祖の背骨や頭骨を加工して造った骨槍と呼ばれる独特の武器を片手に、レクセリアの天幕のまわりを彼らが周回するさまは、篝火に照らし出されてどこかこの世ならざる趣さえ見せている。

 また、レクセリアの天幕を中心として、王立魔術院に所属する魔術師たちにより強力な結界が張られていた。

 たとえば魔術の技には呪殺や、空間歪曲という遠距離からいきなり転移してくる技などもある。

 こうした外部からの魔力干渉をさけるために指揮官の周囲に結界をはっておくのは、この時代のセルナーダではの軍事常識といって良かった。

 ここ数十年は魔力減衰期と呼ばれる時代であり、どういうわけか以前に比べて魔術師たちの魔術の力が極度に弱まっている時期ではあったが、それでも魔術師の力が恐ろしいものであることには変わりがないのだ。


「それにしても……ガイナスの目的が何なのか、気になりますね」


 天幕のなかで、レクセリアは冷水で湿らせた亜麻布で体を拭かせていた。

 その白い裸身を、一見するとどこかの農家のおかみさんのようにも見える一人の人物が丹念に拭いていく。

 ヴィオスという名の、もともとはレクセリアづきの教師を務めていた男である。

 正確にいえば、男という表現は正しくない。

 なぜなら彼は後宮で王妃や王女の世話をするために幼少の頃に男性器を切除された、いわゆる宦官だったのだから。


「ガイナス王の目論見に関しては、エルナス公の判断は正しいかと存じます」


 ヴィオスがレクセリアのうなじのあたりを亜麻布でぬぐいながら言った。


「ネルディの鉱業施設の破壊こそが、ガイナス王の戦の目的と見るべきでしょう。ガイナス王にしてみれば、アルヴェイアの鉄製品の生産能力を削いで、逆に自国の鉄を高値で売りつければ良い。そのための破壊です」


「ただ……」


 レクセリアは右と左とで色の異なる目を、すっと細めた。


「私はどうにも……気になるのです。ネルトゥス卿が言っていた言葉が……ガイナス王は一種の異常者であり、その戦は破壊のための破壊であると……果たして、そんな王が実在するものでしょうか」


 ヴィオスはしばし沈黙した。


「いない、とも言えませんね。ネルトゥス卿はグラワリア軍を率いたガイナス王と、過去に二度、直接、戦っています。私は軍事には疎いですが、戦をすれば、敵将の性格はある程度はわかるもの、と古来より伝えられていますからね。あるいは、ネルトゥス卿の言っていることも一面としては正しいのかもしれません。だとすれば、今回は彼の破壊衝動と、軍事行動の目的がたまたま一致した、そういうことになります……」


 破壊者としての王。

 王とは、王国を統べる者であるはずだ。

 だがその国家の力を全力でただ破壊に傾けるような異常者が、そもそも王たりえるのか?

 それはレクセリアの素朴ではあるが、率直な疑問だった。

 アルヴェイアの長い歴史も、むろん名君だけだったわけではない。

 史書の裏に隠れている情報から総合して、むしろ暗君のほうが多かったようにも思う。

 結局のところ、血統や周囲の状況など、さまざまな条件さえ揃えばどのような人物であれ王たりうるということなのかもしれない。

 ガイナスも、少なくともレクセリアの見る限りでは暗君だろう。

 即位して五年になるが、その間というもの弟のスィーラヴァスとグラワリアを二分する内乱を戦ってきた。

 いたずらに国力を疲弊させるような真似ばかりしてきたのだ。

 グラワリアの国情もアルヴェイア同様、あるいはそれ以上に酷いもので、民は相当に苦しんでいるという。


(結局、いつの時代も支配者が暗愚で苦しむのは民だ)


 それが幼少の頃より歴史を学び、さまざまな学問を修めてきたレクセリアの得た結論だった。

 もっとも、これには教師役であるヴィオスの思想の影響も混じっている。

 彼はもともとは貧農の出であったが、王国の悪政を糺すために男性としての自らを捨て、宦官となって後宮に仕えるようになった人物である。

 その甲斐あって、彼はレクセリアの教師役に任じられ、この生まれつきさまざまな才能と知性に恵まれた少女に自らの思想を教え込んだ。

 つまりは王とは民を安寧たらしめる存在であり、民こそが王国の真の主人である、というこの時代では異常ともいってよい思想である。

 レクセリアが国王中心の中央集権制国家にこだわるのは、王が国家の主権者であるべきだとか、絶対王政が正しい政体だからと信じているわけではない。

 単に現在の諸侯中心の政治では国内が乱れ、統一性を欠き、その結果として民が苦しんでいるからだ。


(だとすれば、やはりガイナスのようなものは王になるべきではない)


 それなのに、現実には火炎王とも称されるガイナスが、グラワリアの王となっている。

 ガイナス。

 これからレクセリアがうち破るべき敵だ。


(一体、どんな男なのだろう)


 それは好奇心というよりも、一軍の将としての義務のようなものだ。

 敵将がどんな性格をしているかで、戦でとるべき戦術までが変わってくることは少なくない。


「ガイナスは過去に三度、アルヴェイア領内に進軍してきましたが、三度とも撃退されています」


 ヴィオスはレクセリアの首筋から鎖骨のあたりにかけてを冷やした亜麻布で拭きながら言った。


「もっとも、これはガイナスが弱い、という意味ではありません。今回を除き、ガイナスがアルヴェイア領内に兵を送ってきたのはむしろ牽制の意味が強い、といってもよいでしょう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る