8 決意

「牽制?」


 ヴィオスがうなずいた。


「ガイナスがかつてアルヴェイア領内に侵攻してきたのは、むしろ我らアルヴェイアがグラワリアに侵攻するために準備した軍を先制して撃滅する、そのためだったのですよ」


 ヴィオスの言うとおり、アルヴェイアとグラワリアの戦は、常にグラワリア側から責めてきてそれを防衛する、といったものばかりではない。

 それとほぼ同数くらい、アルヴェイアもグラワリア侵攻を企てたのである。


「グラワリア侵攻のために集められたアルヴェイア軍を、ガイナスは電撃的に軍を動かし、急襲しました。アルヴェイア軍は辛くもガイナスを追い払うことには成功しましたが……ガイナス軍との交戦で兵力を失い、結局、グラワリア侵攻は三度とも中座させられています」


 なるほど、とレクセリアは思った。

 それだと形式としては「アルヴェイア領に侵攻してきたガイナス軍をアルヴェイア側が撃退した」ということになる。

 だが、実質的には、ガイナスはアルヴェイア領内でグラワリア侵に備えていたアルヴェイア軍を叩き、グラワリア侵攻を阻止しているのだ。

 軍事的にみれば、どちらが実質的な勝利を収めているのか、言うまでもない。


「しかも問題は……ガイナスはアルヴェイア側の半数にも見たぬ寡兵で、それをやりとげている、ということです」


 途端に、背筋に寒気が走った。


「ガイナス軍は残虐で、捕らえたアルヴェイア将兵も皆殺しにしたとか。ネルトゥス卿がガイナス王を破壊に憑かれていると考えたのも、そのあたりが関係しているのかもしれませんな」


「実際に、都市を一つ、破壊したという話もありますが」


 それを聞いて、ヴィオスがうなずいた。


「グラワリア内乱で、スィーラヴァス側についた都市アラクスを確かにガイナスは破壊しました。人口一万五千の都市を六ヶ月間包囲し、ついに陥落した都市に王は火を放ったといいます。ガイナス王が『火炎王』という呼び名で呼ばれはじめたのはこのころからですな」


「その、火を放ったことには……なにか意味があったのですか?」


 レクセリアの問いに、ヴィオスが微妙な表情を浮かべた。


「意味……ですか。ないとはいえませんな。スィーラヴァスとの内乱で、グラワリアの諸侯や都市は二つに割れていました。そのなかでも特にアラクスはグラワール湖岸にあって、最も強くガイナスを非難していた都市です。火をつけたのも、自らに抵抗する者に対する一種の『見せしめ』といえますな」


 見せしめ。

 自らに刃向かう者は炎で滅ぼす、つまりはそういうことだろう。


「ただ……アラクスに火をつけたのには、もう一つ理由があると言う噂も、ないことはないですな」


「他になにが?」


「宗教上の理由、というものです」


 宦官の問いに、レクセリアは眉をひそめた。

 三王国ともそれぞれの王権はソラリス神に与えられたもので、守護神はソラリスである。

 だが、都市を焼いてソラリスに捧げるなどという儀礼は聞いたことがない。

 そんなレクセリアの考えを読んだように、ヴィオスが言った。


「宗教といっても……ソラリスは関係ありません。なんでもガイナス王のもとには、北方の、シャラーンから流れてきた異教の神を奉ずる一団が控えているとか。あくまで噂の域は出ませんが……」


 シャラーンとは、サーリルカイン山脈の北方の異国であり、文化、気候、人種、言語などあらゆる面においてセルナーダとは全く異なった土地である。

 シャラーンは乾燥した気候で褐色の謎めいた人々が住み、セルナーダ人の常識からすれば堕落した忌まわしい神々を崇められているとされる。

 ガイナスのもとにも、そうした神に仕える僧侶がいるというのだろうか。


「なんでも、その神はクーファーというのだそうですよ。炎と破壊を司る神で、この神の教義によればいま地上に住む者はすべて穢れているとか。クーファーの信者は炎により穢れたものをすべて破壊しつくしすのが目的だそうです……あくまでも、噂ではありますが」


 だとすれば、いかにもガイナスが好みそうな神だといえる。

 自らの異母弟と五年に渡りグラワリアを二分する戦いを続けながら、火と破壊を好む暴虐な王。

 さらにはいかがわしい北方の神の信徒の影響もうけている。

 それが、ガイナスという王の実像なのだろうか。

 だが、ゼルファナスの指摘した通り、もし最初からネルディの鉱産施設を破壊するのが目的で侵攻してきたのだとしたら、単なる破壊者というわけでもない。

 そもそも敵対する弟、スィーラヴァスのほうは知謀を好むという。

 そんな男とまがりなりにも戦い続けてきたという時点で、ただの粗暴な男とも思えない。


「ヴィオス……あなたは、ガイナス王がこれからどのような動きをとるか、予想がつきますか?」


「さあ」


 ヴィオスは今度はレクセリアの脇腹のあたりをそっと亜麻布で拭った。


「もしゼルファナス卿の読みが正しいとすれば、ガイナス王はすでに目的を達し終えたことになります。なにしろアルヴェイア領に入ってからそろそろ一月たちますからな。あるいは、グラワリア軍はこのまま撤退するかもしれません」


 一月、とヴィオスが言ったのにはそれなりの意味がある。

 この時代、諸侯などが王により軍を招集するよう命じられた際、軍役につく義務は三十五日、つまりちょうど一月までであると定められていたためだ。

 ちなみにセルナーダで用いられているネルサティア歴では一月は三十五日であり、十ヶ月でちょうど一年となる。

 グラワリア軍は三万という大軍であり、当然のことながらかなりの部分はグラワリア国内の諸侯が率いている兵卒で占められていた。

 彼らが軍役につく義務は、間もなく切れるというわけだ。


「そろそろネルドゥ麦の収穫の時期も迫っています。このままグラワリア軍が撤収する可能性も、ないとはいいきれませんな」


 だとすれば、アルヴェイア側としては馬鹿馬鹿しい話である。

 なにしろ急遽、二万二千もの軍勢を招集したのに結局、戦にはならないのかもしれないのだから。


「ですがネルディは、位置が悪い。メディルナスまで距離が近すぎます。しかも今回、敵はガイナスだけではなく長年の宿敵だったはずの王弟スィーラヴァス公までが加わっている。あるいはガイナスは……ネルディだけではなくアルヴェイアにさらなる破壊をもたらして、こちらの国力を一気に削ぐつもりかもしれませんな」


 それは、当然のことながらレクセリアにとって非常にまずいことになる。

 もしガイナスによってさらにアルヴェイア国内が荒らされることになれば、ガイナスを追い払うことが出来なかったと民草も、また貴族諸侯もいままで以上に王家から離れていくことになるだろう。

 あるいは、ガイナスがそこまで考えていたとしたら?

 肌が粟立つのがわかった。

 つまりガイナスは、アルヴェイアという国家そのものを破壊し、ばらばらにしようと目論んでいるのかもしれない。

 もし今度の戦でアルヴェイア軍が大敗すれば、アルヴェイアの国力はさらに低下し、諸侯たちもこの事態を防げなかった王家からますます距離をおくことになるだろう。

 数ヶ月前に南部諸侯の反乱を潰しておかなければ、ここでラシェンズ候ドロウズが決起していたかもしれない。

 物事にはある種の「限界の壁」のようなものがあることを、歴史を知ることでレクセリアは学んでいた。

 何事にもある限界があり、その壁を超えてしまうと事態は一気に動き出すのだ。

 すでにアルヴェイアは往時に比べかなり衰退している。

 いままでは、病人に僧侶の治癒法力をかけたり薬草を服用させるように、いろいろと手を打つことで王国の崩壊を阻んできたが、もしここでガイナスにアルヴェイア軍が大敗すれば、一気にアルヴェイアは滅びに向かう限界の壁を突破してしまうことにもなりかねないのだ。

 今度の戦にアルヴェイアの命運がかかっていることを、レクセリアは改めて実感し、長い吐息をついた。


(あなたはアルヴェイアという王国そのものを『破壊』しようとしているかもしれませんが……ガイナス王、そうはいきませんよ)


 まだ十五にして王国の運命をその華奢な肩に背負わされた少女は、眼前でちらちらと揺れる蝋燭の炎をじっと凝視していた。

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