9 荒廃

 フィンデイラスの街は、フィンデ伯爵領の中心地である。

 街の北にはフィンディ河をまたぐ橋がかけられており、戦略上の要衝といっても良い。

 通常時であれば、人口は二千程度だ。

 牧畜が主産業である地域らしく、特に牛乳や山羊の乳からつくったチーズが、名産として知られている。

 だが、いまや街の人口は三万を超えていた。

 北方のネルディからの避難民が殺到していたのである。

 みな、襤褸をまとい、その体や髪は垢じみて汚れている。

 人々のなかには、手や足の一部を失っている者も珍しくはなかった。

 また、火傷の痕が残る者もひどく目立つ。

 フィンデイラスの街は城壁で囲まれているのだが、街の人々は避難民に対して城門を閉ざしていた。

 これも、ある意味では仕方のない措置といえる。

 もし避難民たちを受け入れて暴動などが起きたら、目も当てられない。

 街の周囲で起居する避難民たちの間では、疫病も流行りだしているようだった。

 不衛生な環境では、病はどこからともなく発生するものだ。


「ったく……ひでえ匂いだな、こりゃ」


 リューンは顔をしかめながら、避難民たちの間を歩いていた。

 夏とはいえ高原地帯は夜が冷える。

 それで体調を崩したところに病を得てそのまま倒れる者も珍しくないらしい。

 ぼろぼろの衣服をまとった避難民たちは、みなうつろな目をしていた。

 なにしろネルディ候領は徹底的な破壊をうけたらしい。

 避難民たちのほとんどは、家族や知り合いを殺されていた。

 その衝撃のため、彼らは心まで壊されてしまったらしい。


「ひひひひひひひひひひひひひひ」


 灰色の髪をした老人が涎を垂らしながら、うつろな笑い声をあげて地べたに座り込んでいた。

 その隣では、栄養失調のためか体が痩せこけた子供が、体にたかる蠅を追い払う気力もなく地べたに横になっている。

 右足の腱を切断されたらしい若者が、片足をひきずりながらなにか意味のわからぬ言葉をつぶやいてあたりを歩き回っていた。

 垢とすえた臭気、そして汚物や死臭が混じり合い、なんとも言い難い臭気があたりの空気にとけ込んでいる。

 気の弱い者が見ればそれだけで怖じ気づいてしまいそうな、悲惨な姿をした人々の群れだ。

 だが、リューンにとってはこんな光景は慣れっこである。

 なにしろ幼少の頃から、傭兵として戦い続けてきたのだ。

 もっと凄惨な光景など、いくらでも目にしている。


「な、なにか食い物を……」


 腹が減っているのだろう。弱々しく手を差し出してきた少年がいたが、リューンは無視した。

 勝手な施しはしてはならないと、ゼルファナス卿からも厳命をうけている。

 アルヴェイア軍の糧秣も、無限にあるわけではないのだ。

 リューンももし余裕があれば少しくらい食料をわけてもいいのではないか、と思わないわけでもない。

 だが、一度、一人にでも食料を与えれば他の者も当然、食料を求めてくる。

 そうなれば、最悪の場合、アルヴェイア軍に対する暴動にまで発展する可能性すらあるのだ。


「こりゃあ……糧秣の現地調達も不可能みたいだな、兄者」


 カグラーンが、傍らで言った。


「ガイナスの野郎……どうも、ネルディを徹底的にぶちこわして、焼き尽くしたらしい。さずに火炎王、と言いたいとこだが……」


 そのとき、カグラーンのそばにいた長身で痩せぎすの男が、奇妙な笑い声をあげながら言った。


「ひゃひゃ……おっかねえなあ。俺たちも勝てるかなあ……ひゃひゃっ……」


「うるさいぞ、アヒャス」


 リューンが鋭い声で言った。

 アヒャスは雷鳴団の頃からの彼の部下である。

 槍の達人ではあるのだが、どういうわけか笑いながらでないとまともに話をすることが出来ないのだ。


「戦の前におたついてどうする。グラワリアの野郎どもに、俺たちが負けるわけがないだろう?」


「で、で、でも……」


 今度はアヒャスの後ろにいた、ひどく太った男が言った。

 頭を剃り上げているうえ肌がやたらと白いため、人というよりは人の姿をした脂肪の塊が歩いているようにも見える。


「が、ガイナスは三万もぐ、軍隊率いてるっていうんだな。お、お、俺たちは二万二千。か、数じゃ負けてると思うな」


「クルールの言っていることも、間違っちゃいないな」


 カグラーンが陰鬱な口調で言った。


「ただ、戦は数の不利が絶対じゃあない。だいたい、グラワリア軍には致命的な弱点が一つある……」


 リューンがうなずいた。


「グラワリア軍はガイナスと王弟スィーラヴァスの二人に率いられている。そして二人はつい先日まで、犬猿の仲だった……そういうことだろ?」


 兄の答えに、カグラーンが首肯した。


「こっちとしては、そのあたりが強みになる。グラワリア軍は決して、一枚岩じゃない。おそらく、指揮系統もガイナスとスィーラヴァスの二つに割れているはずだ。だとすれば……」


「各個撃破、か」


 リューンは地面に転がっていた小石を軽く蹴った。


「ガイナス軍とスィーラヴァス軍、両者を分断してアルヴェイア軍がそのうち片方に全力で襲いかかる。敵が軍隊を二つにわけていれば、数の不利は十分に補えるはずだしな。で、勢いに乗ったところでもう一つの軍勢も撃滅する……」


 言葉にすると、ひどく簡単なことのようにも思える。

 当然、アルヴェイアの上層部も似たようなことを考えているだろう。

 だが、グラワリアの指揮系統が二つに分かれているのと同様、実はアルヴェイア軍も二つに分かたれている。

 すなわちレクセリア軍と、ゼルファナス軍である。

 

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