10 ランサールの稲妻乙女
両者は兵としての質も違う。
レクセリア軍の主体となっているのは、アルヴェイア王国軍だ。
もちろんそれだけでは一万五千にはとうてい、届かぬので諸侯の軍勢も参加しているが彼らは王国軍を補強するような立場にある。
一方、ゼルファナス軍は完全に諸侯中心の軍勢である。
七千の全軍が諸侯が自領より引き連れてきた兵士なのだ。
いまのところ、両者の間に露骨な対立のようなものは存在しない。
だが、対抗意識のような、微妙な空気が漂っているのも事実だった。
王国軍の兵士は、王国全土から徴集された「王国の常備軍」である。
そのため、彼らは「アルヴェイア王国」に帰属している、という意識が強い。
さらに彼らには職業軍人としての誇りがある。
これにひきかえ、諸侯軍はそれぞれの貴族に仕える騎士たちと、一般から徴用された平民との混成軍である。
諸侯軍はアルヴェイア王国の兵、というよりも、エルナス公の兵、あるいはネス伯の兵、といったふうにその領主そのものの私兵といった感がある。
領主軍の騎士たちにしてみれば、同じ領主軍の歩兵など自分たちの戦いの補助をするための兵員に過ぎない。
また、王国軍の兵士も所詮は平民あがり、といった思いがある。
領主軍でも騎士は全体のごく一部にしか過ぎないのだが、この騎士階級の特権意識が他の兵卒にまで感染し、ゼルファナス軍全体が、どこかでレクセリア軍の兵を見下しているのだ。
他方、レクセリア軍は王国軍主体、つまりは「王家の直参、王国の兵」という矜持がある。
田舎の騎士たちなど飾りだけは仰々しいが実戦経験を何度も積んでいる自分たちに比べれば問題ではない、と思っているのだ。
その点、リューンたちエルナス親衛隊の立場はなかなか微妙だった。
少なくとも、もともとエルナス公に仕えていた騎士たちから良くは思われていないのは確かである。
騎士たちからすれば、エルナス親衛隊などはただの傭兵あがりのごろつき連中に過ぎないのだ。
もっとも、二万を超えるさまざまな出自や兵種の兵が集まれば、こうした意識が出るのは仕方がないことなのだが。
いまのところ、レクセリアとゼルファナスがぶつかったという話は、下のほうにまでは届いてない。
この二人が仲良くやれば、下のほうもなんとかうまくやつてくれるだろう。
だが、もし両者の対立が顕著なものとなれば、グラワリア軍のガイナスとスィーラヴァスと同様、アルヴェイア軍もレクセリアとゼルファナスによって軍隊の意志が二分され、面倒なことになる可能性はある。
だが、いまはそんなことを考えている場合ではない。
とりあえず、リューンたちエルナス親衛隊には差し迫った問題があった。
「しっかし兄者……この調子じゃあ、諦めたほうがいいんじゃないか?」
疲れきった様子の避難民たちを見て、カグラーンが言った。
「だいたい、よく見りゃこいつら男ばかりで、女なんてほとんどいないじゃないか」
カグラーンの言う通り、避難民たちの間には女性の数はひどく少なかった。
理由はリューンにもよくわかっている。
おそらくネルディで、グラワリア軍は凄まじい略奪を働いたのだろう。
そうなれば最も悲惨な目にあうのは、女である。
略奪と強姦は、侵略を受けた地域で必ず発生する。
血に飢えた兵士たちは、興奮に酩酊するようにして通常では考えられないような残虐行為を行うのだ。
男とはそもそも、神々によってそのように造られた生き物なのである。
哀しい性ではあるが、こればかりはどうしようもない。
そしてそれは、リューンたちのような一兵卒にしても同じことだ。
男だけが集団でいれば、自然と性的な不満がたまる。
そのため、兵士がいるところ、必ず影のように体を売ることを生業とする女性、つまりは娼婦がいるものだ。
実際、たとえば攻城戦などで包囲側が長期に渡って対陣する際、臨時の売春宿が建ち並ぶことなど珍しくもない。
さらには、傭兵団のなかに娼婦が兵卒のような顔をして日夜、「仕事」に励むこともある。
だが今回、アルヴェイア軍にはいわゆる従軍娼婦はほとんど付き従っていなかった。
レクセリアとゼルファナスが、それを禁じたのである。
レクセリアが女性なので娼婦をきらったから、というわけではない。
従軍娼婦を連れた場合、軍隊としての規律が緩むことが多い上、どうしても行軍速度が遅くなるからだ。
今回の戦では、グラワリアに侵略されたネルディを奪回するために迅速な行動が必要となる。
だが、エルナス親衛隊はもともとが傭兵あがりの集まりである。
つまりは、いままで娼婦がいるのが当たり前だった連中の集まりなのだ。
だが、今回は娼婦がいない。
つまり、溜まったものを吐き出すことが出来ない。
王国軍の兵士のようにそうした戦に慣れているのならともかく、傭兵といえば飲む打つ買うで散財することだけが愉しみのような連中の集まりだ。
女を断たれたため、エルナス親衛隊内では小さないざこざが起きるようになっていた。
そこであるいは避難民のなかに女がいれば、と思ってこうしてやってきたのだがネルディの女はあらかたグラワリア軍に奪われてしまったらしい。
ときおり、若い女の姿を見かけることもあったが、彼女たちのほとんどは正気を失ったような目をしていた。
おそらく、ネルディで想像を絶するような目にあい、命からがらフィンディラスまで逃げ延びてきたのだろう。
さすがのリューンも、そんな女を兵たちにあてがうのは気がひけた。
無頼の傭兵あがりとはいえ、人として最低限の倫理のようなものはある。
「ちっ……」
リューンは舌打ちした。
「こりゃあ、駄目だな……おとなしく、野営地に戻ることにするか」
そのときだった。
ふいに、けたたましい笑い声が聞こえてきたのは。
見ると金髪の二十代半ばといった、まだ若い女が狂ったように髪を振り乱し、叫んでいた。
「稲妻の女たちが! 赤いローブの炎を使う男たちが! グラワリアの妖魔どもは忌まわしい神々と契約したのよ! 奴らは稲妻で、炎でみんなを殺した!」
何人かの男が、彼女をなだめようとしていたが金髪の女は周囲の男たちを振り払って絶叫していた。
「稲妻と炎でみんな焼かれるわ! アルヴェイアがいくら兵士たちを集めたって、無駄なことよ! 稲妻と炎で兵士たちは焼かれるのよ!」
女は口から小さく泡を吐いていた。
どうやらすでに、正気を失っているらしい。
「稲妻が! 炎が!」
けたけたと笑いながら、狂女は力無く地べたに座り込んでいる避難民たちの間を歩き回っていた。
「ったく……ひでえもんだな」
リューンは思わずつぶやいたが、カグラーンはなぜか真顔で黙り込んでいた。
「兄者……あの女、稲妻とか言っていたな。ひょっとすると……こりゃ、面倒なことになるかもしれんぞ?」
「どういうことだ」
カグラーンは言った。
「ランサールの稲妻乙女。兄者も、名前くらいは聞いたことがあるだろう?」
ランサールとは特にグラワリアで熱心に信仰されている嵐の女神であり、リューンの守護神ウォーザの娘ともされている。
彼女に仕える尼僧のなかには、傭兵となって槍を携え、法力として稲妻を放つ「ランサール雷槍団」と呼ばれる一派があるのだ。
「まさか……」
ランサールの稲妻乙女は、戦場でひどく恐れられている。
リューンもかつて、一度だけだがあやうく稲妻による一撃をうけそうになったことがあるのだ。
カグラーンが陰鬱な口調で言った。
「もしガイナス王がランサールの稲妻乙女を雇ったとしたら、この戦……ひどく、面倒なことになりそうだぞ」
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