11 ガイナスの炎

 アルヴェイア軍二万二千はフィンディ河を超え、さらにフィンデ伯領とネルディ候領の境界を超えた。

 すでにここはネルディの地である。

 いつガイナスやスィーラヴァス率いるグラワリア軍と遭遇しても、おかしくはない。

 当然のことながら、アルヴェイア軍は敵軍の位置を知ろうと躍起になった。

 敵の位置を知ることは、すなわち戦の機先を制するということである。

 先に敵軍の位置を把握したほうが、自分に有利な状況で戦が進められるのだ。

 避難民からの情報は、数週間前のものが多いためあまり役に立たなかった。

 ネルディを端から端まで踏破するのに、一般的な行軍速度である一日二十イレム(約三十キロ)で進めばわずか五日である。

 何騎もの斥候の馬が出されたが、いまだ敵軍の姿を発見したという報告はない。

 さらに、魔術による偵察も行われた。

 水魔術師の術には自らを霊体となし、魔術界と呼ばれるこの世と重なる世界から現世を見る術がある。

 さらには、特定の人物の居場所、つまり距離や方向を知る術もあった。

 何人もの王国魔術院に属する水魔術師たちが、ガイナス王やスィーラヴァスの居場所を探るために呪文を詠唱した。

 だが、結果は不首尾に終わった。

 敵も当然のことながら、魔術による斥候は警戒しているのだ。

 ガイナス王やスィーラヴァスの周囲も、レクセリアやゼルファナスと同様、外部からの魔術干渉を遮断する結界がはられているのだろう。

 敵の姿はいまだ見えない。

 これからどうすべきなのか、軍議は紛糾した。

 まず、積極策を主張する者がいた。

 敵は大軍であり、奇襲を仕掛けようとしてもすぐにこちらは気づくだろう。

 行軍を続けながらいままで通り偵察を行えばいずれと敵軍の位置もわかるはずだ。

 一方、慎重派の意見としては、すでにネルディは「敵地」であり、地の利は敵にある。そこに迂闊に飛びこむよりは斥候の報告を待つべきだ、と。

 両者いずれも、それなりに説得力がある。

 確かにグラワリアは総勢三万の大軍なので奇襲をうける恐れは少ないだろう。

 とはいえネルディはすでに完全にグラワリアの手に渡っており、敵地であることも明らかだ。

 結局は総大将であるレクセリアの採決を仰ぐこととなった。


「戦では機先を制したものが勝つとはいいますが、まったく敵軍の位置が掴めない現状ではうかつに敵の支配する土地に侵入するのは危険すぎます。ここは、斥候の報告を待ちましょう」


 敵軍発見の報を携えた偵騎が戻ってきたのは、軍議が終わってから一刻(二時間)後のことだった。


 ネルディは古来より、その豊かな鉱物資源で知られていた。

 この時代、黄金はすでに掘りつくされていたが、銀や錫、銅、そしてなんといっても大量の鉄が大地の中に埋まっている。

 東の北アリッド山嶺にも幾つもの銀鉱山があったが、なんといってもネルディといえば露天掘りの鉄鉱床だった。

 岩がちで農作物を育てるのには不向きな土地だが、それを補ってあまりまる鉄が算出されるのだ。

 ネルディといえば露天掘りの鉄鉱山に山師たち、そして鉱夫のための酒や博打、あるいは女を提供する店のにぎわいで知られていた。

 だが、まるでかつてのにぎわいが嘘のように、ネルディの大地は静まりかえっている。

 ときおり荒涼とした岩だらけの土地の上を吹きすさぶ風のなかには、ひどくいがらっぽい煤煙の匂いが混じっていた。

 行軍を続ける間に、街道沿いの幾つかの中規模の集落を通過したが、あるのは黒く焼け焦げた建物の跡と古代の巨獣の骨のように天井に突きだした燃え残りの柱、そしてなにかの冗談のように真っ黒に炭化した、人の死体だけだった。


「ひでえな、こりゃ……」


 リューンとて歴戦の傭兵あがりである。

 悲惨な戦場のあとなど見慣れている。

 その彼の基準からいっても、ガイナス軍の行った破壊活動は凄まじかった。

 なにより恐ろしいのは、その徹底した破壊の意志である。

 一部だけ燃え残った部分はあっても、火をかけられた様子のない建物は皆無だった。

 あるいは、ネルディ全土の建物をガイナスは焼き払ったのかもしれない。

 気のせいか大気にまで煤煙が混じり、ただ息をしているだけで肺が黒くなりそうな気さえする。

 木材や石材だけではなく、ガイナスは鉱業施設もまた火に掛けたのだ。

 有毒な空気があるいはあたりの大気にとけ込んでいるかもしれない。


「徹底的ですな」


 リューンの傍らにいた、キリコの僧侶イルディスが低い声で言った。

 キリコは戦の神であり、イルディスもまたその僧侶として死ぬまで戦場で戦い続けることを誓わされている身だ。

 くわえて彼はもともとが木石のよう、と周囲からからかわれるような性格をしている。

 だが、キリコの僧侶特有の、それぞれの目の周囲を二重の輪で覆うような独特のまびさしの下で、イルディスの目には怒りとも哀しみともつかぬ光が浮いていた。


「いくらなんでも……ここまでやるとは。これは戦ではない……ただの、虐殺です」


 百体近い死体が積み上げられた場所の前で、イルディスはそう言った。

 火炎王ガイナス。

 噂にたがわぬ、凄まじい戦をする男だ、とリューンは思った。

 その破壊はあまりにも徹底的で、愉しんでいるといった様子は感じられない。

 むしろなにかに憑かれたかのような、病的なものを燃えあとからは感じ取れた。

 完全に破壊しなければ気が済まないといった、一種の強迫観念めいたものさえ感じられる。


(こんな野郎と、これから戦をするってのかよ)


 正直にいって、いままではリューンもどこかでガイナスという男のことを舐めていたのかもしれない。

 実際、彼はガイナス麾下のグラワリア軍と何度か戦ったことはあるが、そのときはここまで陰惨な戦をするという印象はあまりなかった。

 数年のうちで、ガイナスという男のなかでなにか変化があったのだろうか。


「稲妻と、火か……」


 あの避難民たちの間で、狂女はそう叫んでいたのだ。

 稲妻がなにか、これはランサール雷槍団のことにまず間違いないだろう。

 だが、炎とはいったい、なにを意味するのか。

 そもそも建物……特に石造りのものはちょっと油をかければ簡単に燃え上がるといったものではない。

 これだけの火力を、一体、ガイナスはどのようにして調達しているというのか。

 

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