12 策謀
リューンの後衛にひかえるエルナス公ゼルファナスも、馬上で無惨としかいいようのない光景を見つめていた。
だが、彼の闇色の瞳に浮かんでいるのは、哀しみや怒りとは無縁のものだ。
それは強いて表現するのであれば「退屈」でもしかいいようのないものだった。
隣で馬を進めていた一人の少年が、馬体をゼルファナスに近づけてきた。
年の頃は十三、四といったところだろうか。とてもこんな戦場には似つかわしくはない、少年である。
黒いさらりとした髪を切りそろえており、目元の涼しげな美しい少年である。一応はゼルファナスの世話をする小姓ということになっていたが、口さがない連中は彼のことをゼルファナスの「男ウォイヤ」の相手と信じ込んでいた。
ウォイヤとは古くからセルナーダの地に伝わる性習慣で、女同士の同性愛のことだ。男ウォイヤとは、つまりは男性同性愛のことである。
だが、実際にはこの少年には、小姓とも公爵の愛人とも全く異なる、もう一つの特殊な「役割」があったのだが、その事実を知る者はほとんどいない。
少なくとも生者のなかには。
「ガイナスという男……つまらないことをしますね」
少年が耳元で囁くと、ゼルファナスは微笑を浮かべて言った。
「まったくだ……ただ殺して、焼き払う。いかにも粗暴で、芸がないね。ガイナスという男、例のシャラーンの神にかぶれたらしいのはいいが、こうやって死者を焼き尽くすなんて……実に退屈きわまる。せっかくの王位も、無駄に空費しているようだ」
ゼルファナスは囁くように言った。
「ところでフィニス……例の件は、うまく進んでいるかな」
それを聞いて、フィニスと呼ばれた少年がどこか虚ろな笑みを浮かべた。
「例の件と申されましても……公爵閣下は一度に秘密裡に『いろいろな物事』を進めておいでですので……」
「やれやれ、君も私を策謀家扱いする気かね、心外だな」
ゼルファナスは蠱惑的な笑みを美麗な顔にたたえた。
「私は本来、策略だの策謀だのといったことは好まないたちなんだよ。考えるのも面倒だし、いつもうまくいくは限らない。私はただ『愉しみたい』だけだというのに……邪魔をする者がいる。だから、どうしても邪魔者を排除するには、いろいろと手をうたねばならない」
「とりあえず、メディルナスの件は、まだ状況はわかりません。それと……」
少年は、声を低めた。
「『魚』のほうは……いまのところ準備は順調に整っているようです。昨夜、お話した通り、『魚』も『竈』で焼かれるのは勘弁したいとのことで」
それは、一種の符丁だった。
だが、もしこの会話を聞く者がいたとしても、まさか魚がグラワール公スィーラヴァスを、そして竈がガイナス王を指しているとは夢にも思ぬだろう。
「なるほど……では、『魚』に関しては、手はずは整えられそうだな。問題は、『竈』と『お転婆娘』がしっかり、お互いにどこまで戦ってくれるかだが……」
ゼルファナスは苦笑した。
「どちらかが一方的に勝たれては困るんだ。一番望ましいのは『竈』と『お転婆娘』が徹底的に戦って、両者相打ちになることだが……世の中、そうはうまくいくとは限らないな。『竈』が勝ちすぎれば『我が軍』がお相手せねばならないし、もしそうなれば『魚』だって手のひらを返してこちらに襲いかかってくるだろう……」
「『グラワールの魚』によれば、彼が率いているのは一万二千だそうです……『竈』は一万八千……どちらも我が軍七千に対して圧倒的に有利ですからね」
フィニスの科白に、ゼルファナスがうなずいた。
「それに、彼らは勢いに乗っている。でもね、私はこれでも『お転婆娘』を高く評価しているんだよ。彼女は不快な存在ではあるが、王家の誰よりも賢明だ。軍事の才も、おそらくは天性のものだろう。彼女なら『竈』とやりあってもなんとかなるはずだ……」
それを聞いて、フィニスが意外そうな顔をした。
「閣下はレク……いえ、『お転婆娘』を嫌っているものとばかり」
「ある人物に対して好悪の念を抱くのと、その人物の能力を正しく見極めるのは、まったく関係のないことだ。私が好む者でも無能な者はいるし、私が嫌う者でも有能な者はいる……人とは往々にして自分の感情に負けて他者を冷静に評価できないものだがね。少なくとも、私はその愚は犯してはいないつもりだ。もっとも、私がそう思いこんでいるだけかもしれないが……」
ゼルファナスは愉しそうに笑った。
「正直にいえば、私は自分自身をあまり賢いと思ったことはない。周囲は私を褒め称えてくれるがね。案外、真の賢者とは……そう、エルナス親衛隊を率いている、あのリューンという男のような者かもしれない」
フィニスが不快げに言った。
「私は……私は、どうにもあの男は好きになれません。がさつで、粗暴で、学もないし、卑しい傭兵あがりで……」
「妬いているのかな」
ゼルファナスは心底、愉快げに笑った。
「安心しなさい。あのような男は私も好みではないよ。だが、彼にはなんというか……独特の魅力がある。彼には私と違って、失うものがなにもない……といっては失礼かな。とにかく、彼は『健全』だ。あらゆる意味においてね」
フィニスが陰鬱な顔をした。
「それは、私のような教団のものは『健全』とは対極にありますが……」
「それは私だって同じことだ」
ゼルファナスは、ふと真面目な顔で言った。
「私は自分の魂が病んでいることを誰よりもよく理解している。だから、私の考えることもどうしても歪んだことばかりだ。それにひきかえ、リューンにはそういった歪みがない。たいていの人間にはね、フィニス、どこか引け目とか、劣等感とか、そうしたものがある。だが、私の見たところ、あのリューンという男にはそういうものがまるでないんだ。あの男は確かに生まれは低いだろう。だが、彼はそんなことをまったく気に病んでいない。それなのに彼は……王になろうとしている」
そのことを、すでにゼルファナスは知っていた。
「フィニス、君は笑うかもしれない。だがね、あるいはあと何年かしたら、あの男が王位を巡って、私の前に巨大な敵となって立ちふさがるんじゃないか……そう思うときがあるんだ。彼は確かにアルヴェイアやグラワリアの王家の者のように、ソラリスの血を引く者ではない。だが、彼はある意味ではソラリスよりさらに古い、遙か古来よりこの地に伝わるウォーザ神の血をひいているように思えるときがある。あの男は、嵐だよ。私にはわかる。ウォーザの目の予言ではないがあの男はいつか本当に王になるかもしれない……」
そう言って、ゼルファナスは男とも思えぬ艶冶な笑みを浮かべた。
「そうなれば実に愉しいね。いつかあの男と王位を争う日がくれば……きっともっと『この遊び』は愉しくなるよ」
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