第二章 探り合い 

1 3日


 野営地では再び天幕がはられ、夜営の支度が行われていた。

 すでに時刻は九刻(午後六時)を超えているが、周囲はまだ昼間の明るさを残している。

 なにしろつい先日、夏至を迎えたばかりなのだ。夏の日は長いものである。

 かすかに茜色の光を帯び始めた陽光の下、二万二千もの人口をもつ臨時の「集落」がにわかに出現していく。

 まるで花が開くかのように次々に天幕がはられ、夕餉の支度が始められていた。

 二万二千の軍勢ともなれば、夕食の支度だけでも一苦労である。

 一応は調理の必要がほとんど必要のない堅いパンや大兎の干し肉、チーズといったものが糧食の主流を占めているが、大鍋では魚醤のようなショスと呼ばれる調味料とタマネギ、そして香辛料のスープが煮えて、旨そうな匂いを漂わせていた。


「で……」


 王国軍の千人隊長の一人が、巨大な天幕のなかに居並ぶ王国軍の将官や諸侯の前で言った。


「このものは、夕餉の支度の匂いにつられてやったきたそうです……なんでも、ここ一週間ほど、まともなものを口にしていないとかということで」


 千人隊長の前には、一人の小柄な男がいた。

 年の頃は、三十半ばくらいだろう。

 少なくとも、その肌やしわの感じからは、その程度の年齢とみるのが妥当に思える。

 だが、男の髪は、明らかに不自然な感じで真っ白になっていた。

 そのため、一見すると六十代を超えているようにすら見える。

 さらにはあごに浮いたひげも真っ白に染まっていたため、男の老人めいた印象をますます強めていた。


「あなたの名前をお聞かせ願えますか?」


 レクセリアの問いに、男は恐懼したように言った。


「そ、その……俺は、バラムといいます。もともとは、ネルディ城下で刀剣鍛冶をしていました。グラワリア軍が来襲したときには、徴用されてネルディ候の兵として、戦いました」


 おお、という小さなどよめきのようなものがあたりに流れた。

 いままでネルディ各地から逃げてきた避難民はいたが、実際に戦闘に参加して、直接、グラワリアと戦った者というのは初めてだったのである。

 おそらくガイナス王は、兵たちを一カ所に閉じこめて皆殺しにしたのではないか。

 いままでアルヴェイア軍の将兵たちはみなそう考えていた。

 避難民からの情報によりば、ネルディ城に籠城したネルディ候の兵、八百は、みな生きながら焼かれたという話だったのだ。

 だが、ここにその数少ない生き残りがいる。

 むろん、男が本当にネルディ候の兵士だったとは限らない。

 あるいはこれはそれなりに手の込んだグラワリア側の謀略で、偽情報を流してこちらを陥れるつもりかもしれないからだ。

 だが、水魔術師による簡単な「精神走査」の術では、男が嘘を言っている様子は発見できなかった。

 そこでこうして軍議の場に彼をひきつれ、グラワリアとネルディ候軍がどんな戦をしたのか、話をさせることにしたのである。


「最初は……噂でした」


 バラムと名乗った男は、小さな声でしゃべり始めた。


「なんでもグラワリアがネルディの北に、ものすごい大軍を集めているとかって。でも、ネルディはアルヴェイアの端にあって、長年、グラワリアと接してます。そんな噂はいつものことで、どうせたいしたことはないだろうってみんなで話していました。いままで、グラワリアの軍隊がいやがらせみたいに領内に入ってきて、近くの村を荒らしたなんてこともよくあったからです。ですが……今回は、いままでと違いました。敵は、とんでもない大軍で攻め込んできたんです」


 三万。

 それが、グラワリアの侵攻軍の総数だった。


「ダーネス卿は……あ、ダーネス卿はネルディ候のことです……おっしゃいました。野戦じゃあ、とても勝ち目はない。ここはとりあえず、城にこもって籠城するしかないと」


 大軍を敵に回した場合、自らが城塞などを有しているときは、城にこもって敵と戦うのは戦の常道といえる。

 ただし、籠城というのは、基本的には時間稼ぎである。

 敵軍の動きを遅滞させ、その間に友軍がやってくるのを待つ、というのが籠城戦の基本なのだ。

 もし救援が得られない場合、籠城は緩慢な自殺とかわらないことになる。


「ネルディの街のみんなは……全員で三千くらいですが……それなりに戦になれています。ネルディ城はもともと難攻不落で、何度もいままでグラワリア軍を撃退しています」


 それは事実である。

 峻険な岩場の上に建てられたネルディ城は、そもそもアルヴェイア北東部の守りの要ということもあり、それなりに堅牢な造りとなっていた。

 たとえ敵が三万という大軍を擁していても、まともに戦えば陥落まで楽に一月はもったはずだ。

 だが、ネルディ城はかなり早期のうちにグラワリア軍に破られたらしい。

 その原因がなんなのか、いまだにアルヴェイア軍はつかめずにいる。


「ネルディの街の動ける男たちはみんなで一緒になって、働きました。なにしろもともとが鍛冶の街だから、武器には不自由しないし、あらくれ男どものなかには傭兵あがりなんてのも混じってる。アルヴェイア軍がくるまでは一月、いや二月は持つはずだ……みんな、そう信じていました。でも……実際には、ネルディ城は三日しか持たなかったんです」


 とたんに、天幕に居並ぶ人々の間に動揺が走った。

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