2 炎の城

「三日……ですか?」


 これにはさすがのレクセリアも、いささか……どころか、かなり驚かされた。


「ネルディのような堅城をわずか三日で破るとは、グラワリアはいったい、どんな魔術を……」


 それを聞いて、バラムが歪んだ笑みを浮かべた。


「魔術……そうですね。グラワリアの奴らが使ったのは、少なくともふつうの、自然界の存在や力じゃありません。奴らのなかには、赤いローブを着た男たちが何人もいました。そいつらが、ネルディ城の火の海に変えちまったんです」


「赤ローブというと……火炎魔術師あたりですかな」


 ナイアス候ラファルが、例によって左目を黒髪で隠したまま言った。


「現在では廃れましたが、かつては、特に帝国期の頃には火炎魔術の破壊力を戦に使うこともごく一般的に行われていたとか」


 ラファルの言っていることは事実である。

 火炎魔術はネルサティア魔術の五つの元素系統のなんでも、もっとも「攻撃力」に富む魔術がそろっている。たとえば人間にむかって光の塊をぶつけるものや爆発して炎で周囲を焼き尽くす術などは典型的な火炎系統の攻撃魔術である。

 だが、現在では火炎魔術を戦に使うことはあまりなかった。

 もともと魔力減衰期ということで魔術師の使う魔術そのものの力が弱っていたためだ。

 そうした術を使う魔術師を幼少の頃から養成する手間を考えれば、それこそ農民から徴用した兵士に弓や槍を持たせるほうがよほど経済的にも効率的にも「安く」ついたのである。

 セルナディス帝国の頃には、火炎魔術師だけで編成された部隊も存在したという記録が残っているが、今では魔術師そのものの数も少ない。


「私たちも、はじめは赤いローブの男たちはみんな火炎魔術師だとばかり思っていました。でも、連中はそうじゃなかった。彼らは、ネルディ城下で私たちに『改宗』を勧めました。奴らは、火炎と破壊の神クーファーとかいう神を崇める異教徒たちだったんです。奴らの教義によれば、この地上は穢れているという。奴らは炎によって地上の万物を浄化するのだといいます。もちろん、ネルディの者たちはみな笑いました。そんな奇妙な神の信者になんてなれるかって。それにもともと、ネルディはマロウゴスの信徒が多い。同じ火の神でも、クーファーとかいう神と違ってこっちはまともな神だ」


 マロウゴスは、鍛冶と冶金の神であり、鉱山で働く者や鍛冶に携わるものの守護神である。


「同じ火の神なだけに、マロウゴス信者たちはみんなクーファーみたいないかがわしい教義を持つ神を馬鹿にした。そうしたら、彼らの先頭に立っていた男が言ったんです。『ならば、我らの神罰を受けるがよい』と……そして……そして……」


 男が真っ白になった頭をがくがくと震わせ始めた。


「クーファーは……あの炎の神の僧侶たちは、法力で生み出した炎をまるで生き物みたいに操ることができるんです。ネルディ城内のあちこちから、火が出ました。本当に信じられないくらいあっという間で……気がつくと、あのネルディ城が、石の城だっていうのに燃えていました。あれはこの世の炎じゃない……きっと、クーファーという神の世界からやってきたこの世ならざる炎なんです……」


 バラムは過去を思い出しながらも恐怖に震えていた。


「でも、それで終わりじゃなかった。今度は槍を持った女たちが、ネルディ城にむかって槍の穂先を向けたんです。次の瞬間、ネルディ城のあちこちに青い稲妻が走って、落雷しました。炎と稲妻……この二つで、ネルディ城はあっけなく陥落したんです。ネルディ城のなかは地獄でした。体中を火に包まれた奴らが走り回って救いの声を求めていた! 俺ももう服に火がついていて、なにも考えられない状態だった。そこで……俺は、思い切って、ネルディ城の北壁から下の河にむかって飛び込むことにしたんです。高さは軽く三百エフテ(約九十メートル)はあったけど、どのみち火に包まれて死ぬのなら……そう思いました。崖下には運悪く崖に激突した奴や、水面に打ち付けられて死んだ奴らがぷかぷかと浮いていたけど悩んでいる暇はなかった。そこで、俺は水に飛び込んで……気がつくと、下流の岸辺に打ち上げられていました。運良く、助かったんです」


 男は暗い目をして話を続けた。


「それからのことは、正直に言ってよく覚えていません……ろくに食う物もなかったし……ただ、グラワリアの奴らがネルディになにをしたのかは、はっきりとみました。どこにいっても、何もかもが破壊されてた。なにもかもが燃やし尽くされていた。奴らは……異常です! 確かに戦だ、略奪だの火付けだのは当たり前かとお思いかもしれませんが……今度のグラワリア軍はいままでとは違う! 奴らはただネルディに攻めてきたってわけじゃあいな……奴らは、どういうわけか、このネルディを焼き尽くすつもりだったんです! あるいはあのクーファーとかいう神の僧侶たちが裏で糸をひいているのかもしれないし、それともガイナス王が狂っちまったのかもしれない! 私はあちこちをさまよって、奴らがどんな酷いことをしてきたかこの目で見てきました……」


 バラムは、いきなり天幕の土床に頭をこすりつけるようにして平伏した。


「お願いです! グラワリアの奴らに一泡ふかせてやってください! 俺は妻も子供も気のいい友達も、みんなみんな、失ってしまった! あの忌まわしい、炎と稲妻に憑かれた奴らのせいで! だからお願いです! グラワリアの奴らも同じ目にあわせてやってください! そうじゃなきゃ、あいつらにむごたらしく焼き殺されていった連中が浮かばれねえ……」


 それを聞いて、顔に白い陶製の仮面をかぶった諸侯の一人が、悪霊払いの言葉をなにやらつぶやいていた。

 諸侯の一人、ウナス伯はかなりの力を持つ貴族だが、異常に霊的なものや化けてでる死者をおそれることで知られている。

 王の勅命でなければ、ウナス伯もわざわざこんなそれこそ無数の亡霊が徘徊していそうな土地を訪れることはなかったろう。

 ちなみに彼が顔つけている面は悪霊払いの神ネーリルの信者であることを表すものだ。


「恐ろしい……この土地は無惨に焼き殺された人々と、例の北方の炎の神に呪われてしまったかもしれませんぞ……実に実に恐ろしい……」


 普段は病的な臆病さで、ウナス伯は物笑いの種になることが多い。

 だが、バラムの話を聞いては、さすがにこの場でウナス伯を笑う者は一人としていなかった。

 グラワリア軍は三万という大軍であり、それにひきかえこちらは二万二千である。

 これだけでも彼我の戦力差は明らかなのに、彼らには炎を自在に生み出すクーファーとかいう謎めいた神に仕える僧侶と、ランサール雷槍団の乙女たちがついているのである。

 レクセリア自身、この戦に勝てるかどうか、正直にいって全く自信がない。それどころか、実は副将たるゼルファナスがひそかに敵方、グラワール公スィーラヴァスと通じ、なにかよからぬことをたくらんでいることも知らない。

 だが、それでも彼女こそがこの軍を率いる総大将なのである。

 レクセリアはバラムを見下ろしたまま、言った。


「ご安心なさい。我が王国の民を苦しめる者は、王妹としてこのレクセリア、決して許しはいたしません。陛下より預かった軍旅を用いて、必ずやグラワリア軍を撃滅してみせましょう」


 だが、ここで「勝ちすぎても」今度は兄である国王シュタルティス六世の不興を買うという、非常に難しい立場にレクセリアは立たされている。

 いや、いまは戦争に専念しよう、と彼女は思った。

 とてもではないが、今は「勝ちすぎる」心配などをしている状況ではない。

 ヴィオスに聞かされた謎の火炎教団の話は本当だった。

 さらには、ランサール雷槍団までもガイナス王は味方にひきいれているという。

 まだ良い策は見つからない。

 だが、必ずグラワリア軍を打ち倒す策があるはずなのだ。

 必ずそれは、どこかにある。

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