3 粗餐

 軍議を終えると、レクセリアは夕食を採り始めた。

 王国軍の一般の兵卒が採っているのとまったく変わらぬ食事である。

 レクセリアはかつては王女であり、現在では王妹という立場にある。

 だが、その身の回りはごく地味なものだった。

 むろん一軍の将としてそれなりの武威を際だたせるような華麗な甲冑をまとってはいるし、剣なども帝国期の頃より伝わる、さまざまな魔術のほどされた魔剣である。

 しかし、そうした必要最低限のものをのぞいては、レクセリアのまわの品々は案外、地味で実用的なものばかりだった。

 ひどく実利主義的なレクセリアの性格がよく現れてるともいえるだろう。

 そもそも、身の回りの世話をする者も宦官であるヴィオス一人だけなのだ。

 女の身で一軍の将であるということ自体が異常であることを、レクセリアは知悉している。

 だからこそ、従来の軍隊組織から逸脱しないよう、彼女は気を遣っていた。


「…………」


 がっしりとした木造の卓の上に並べられた糧食を口に運びながら、レクセリアはさきほどのバラムという男の言っていたことを思い出していた。

 グラワリアは圧倒的に有利な状況にある。

 大きな問題は二つあった。

 一つ目はまず兵力差の問題である。

 野戦において、兵力の多寡は勝敗を決する重要な要素である。

 こちらが二万二千に対して、敵軍は三万だ。

 かなり不利な状況といえる。

 二つ目は、言うまでもなくクーファーとかいう神に仕える僧侶たちと、ランサール雷槍団の存在だった。

 彼らの使う神々より与えられた魔術的能力を、ガイナスは見事に戦に活用している。

 堅い黒パンをタマネギと香辛料のスープにひたしたまま、レクセリアはひたすらに頭を使い続けていた。

 それにしても、パンはなかなか柔らかくならない。

 レクセリアが普段、食べている上質のネルドゥ麦の粉を使った白パンと違い、庶民の食べるパンは無発酵の種なしパンであるため、岩のように固い。

 そこでふつうはスープにつけて柔らかくするのだが、特に今日のパンは固いようだ。

 黒パンをつかんで思わず力を入れると、パンが二つの塊に割れた。

 二つに割る。

 そう、三万の敵軍にも似たような手は使えないだろうか?


「あるいは、グラワリア軍を二つに割ることをお考えですかな?」


 ふいに、傍らからヴィオスの声が聞こえてきた。

 彼は水魔術を使う魔術師でもある。

 俗に水魔術師といえば「心を読む」ということでおそれられているが、まさか彼がそんなことをしたとは考えられない。

 文字通り、赤子の頃からレクセリアはヴィオスに育てられてきた。

 彼女の襁褓を替えたのもヴィオスである。

 ある意味では他の王家の者たちよりも遙かに深い、まるで家族のような絆で二人は結ばれているのだ。

 レクセリアの思いを読むなど、ヴィオスからすれば簡単なことらしかった。

 レクセリアのほうはといえば、ときおり、ヴィオスという人間がわからなくなるときがないこともないのだが。


「グラワリア軍は、実質、二つの軍隊に分かれています。ガイナス直卒の軍勢と、スィーラヴァス公の軍の二つに」


「斥候の報告によれば、そのようでしたね」


 レクセリアは淡い金色の髪をかきあげると言った。


「なにぶん、情報が少ないので確たることは申し上げられませんが、ガイナスとスィーラヴァスは長年にわたり、グラワリア国内で敵対していた兄弟です。彼らの不仲が、ある日、突然、解消されるということはありえないかと思いますが」


「なにがいいたいのですか?」


 ヴィオスの考えていることはだいたいわかっていたが、レクセリアはあえて質問した。

 ヴィオスはある意味では、自分の分身のように感じられることもある。

 こうして対話することで、自分の考えをまとめようとしたのだ。


「わざわざ二軍にわけて野営を行っているのです。軍事的な理由の他にも、依然、両者の間に距離があるからわざわざ二手に分かれている……とは考えられませんか?」


 それは前々からレクセリアも疑っていたことだった。

 二人の兄弟が、こうしてアルヴェイアに対して共闘していることが、言ってみれば異常なのだ。

 必ず、両者を完全に二つに分断する手はあるはずだった。


「いっそのこと……さようですな、スィーラヴァスに軍使を出す、というのはどうでしょう。ただし……一見、隠密裡に」


 ヴィオスの言いたいことはすぐにわかった。


「なるほど、ガイナス王もおそらくは、スィーラヴァスのもとに間者を入れているでしょうから、その情報はすぐにガイナスのもとに伝わるでしょうね」


 敵軍の将から軍使がきた。

 しかも秘密裏に、となればガイナスも当然、疑心暗鬼に駆られるはずである。


「私の見たところ、ガイナスも弟のスィーラヴァスのことをあまり深く信用してはおりますまい。というより、ほとんど信用などしていないでしょう。それでも両者の間にはなんらかの協定があって、今回に限って両軍がネルディに侵攻してきた、そう考えるのが妥当でしょう。であれば……」


「スィーラヴァスが我らと密約を交わした……あるいは交わそうとしていると、ガイナスに誤解させるわけですね」


 出来のいい弟子を見る教師の目で、ヴィオスがうなずいた。


「実をいえば、なにもガイナスを疑わせるために密約を行うふりをするだけではなく……もし向こうが条件を飲めば、実際に密約を取り交わしても構わないのです」


 それは、決して正々堂々とした戦の進め方とはいえないが、戦場でそんなことを言っても仕方がないと、レクセリアは知っていた。

 青玉宮での貴族の権力闘争を目の当たりにしてきた彼女にとっては、戦はとにかく勝つことだけが肝要なのだ。


「しかし、具体的にはどのような……」


「我が軍がガイナス軍を攻撃している間に、スィーラヴァス軍が背後からガイナス軍を 攻撃するように仕向ければ最上ですな。もっとも……」


 レクセリアが遮った。


「当然、ガイナスもスィーラヴァスの動きには慎重になっているでしょう。ですが、ガイナスがスィーラヴァス軍の存在を常に意識していなければならない、という点で我が軍は有利にたっています」


 ヴィオスの言うとおりだった。

 ガイナスがネルディに侵攻してきた真の理由はわからない。

 あるいはゼルファナスの言うとおりネルディの鉱産施設を破壊してアルヴェイアの鉱業力をそぎ、自国でとれた鉄をこちらに高く売りつけるためかもしれない。

 それとも、ガイナスはクーファーという神の僧侶たちの教えに帰依して、ネルトゥスの主張する通り、ただ破壊のための破壊を求めているのかもしれない。


(もう少し、情報があれば……)


 だが、現在のアルヴェイア王国の諜報機能は、ほとんど絶望的なまでに低下している。

 国内で諸侯が力をつけ、互いに自らの権勢を拡大しようと躍起になっているうちに、外国で起こっている出来事に対して関心が低下してしまったのである。

 そして本来であれば諜報を行うべき王国の官僚機構も、ただ無駄な仕事を増やすばかりでまともに働いていない。

 そもそももっとアルヴェイアの諜報能力が高ければ、三万もの敵軍をグラワリアが集めた、という時点でこんな奇襲に近い形の侵攻を受けずにすんだのだ。

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