4 警告
実のところ、すでに青玉宮の渉外院あたりには、かなり以前から、グラワリア侵攻を予見させるような情報もかなり流れ込んでいたのではないか、とレクセリアは疑っていた。
だが、図体ばかりが肥大した官僚機構はろくな情報分析も行わず、この情報を放置していたのかもしれない。
(やはり……このままではアルヴェイアは滅びる)
大規模な敵国の侵略も予見できないような国が、長持ちするはずがない。
戦が終われば、ただちに渉外院の機構改革を行わねばならないだろう。
だが、いまはそんなことを言っていても仕方がない。
とにかく、眼前にある問題をかたづけなければならないのである。
レクセリアは、固い干し肉をかじると言った。
「おそらく、ガイナスとしては自分がネルディに軍勢を進めている間、グラワリアを空けたくはなかったのでしょう。その隙に国に居残ったスィーラヴァスに国内を好きにされたらあの男としてもたまらないに違いありません。今回の戦は、どう見てもガイナスが主導しています。だから、国内においておくわけにもいかず、スィーラヴァスを引き連れてきた……」
レクセリアは、歯できつく干し肉を噛みしめた。
もっとグラワリア国内の情報があれば、と切実に思う。
ふと、ヴィオスがいたずらっぽい笑みを浮かべたのはそのときだった。
「実をいえば、スィーラヴァスがガイナスに従った理由は、私にはある程度、見当はついております」
「本当ですか?」
さすがにレクセリアは顔色を変えた。
スィーラヴァスがなぜ参陣したのか、その理由については諸侯そろっての軍議でもわからなかったのである。
ヴィオスは王国の官僚機構とは異なる、独自の情報収集網を持っているらしい。
そういえば、彼はクーファー教徒のことも、バラムが話をする前から知っていた。
「出し惜しみするつもりもなかったのですが……物事を知るのには、良い時機、というものがあります。たとえばさきほどの軍議の前にこのことをお知らせすれば、どうしても軍議で諸侯とこの点について計ることとなったでしょう」
暗にヴィオスが恐ろしいことを言っていた。
つまり彼は、敵ではない、アルヴェイアの諸侯たちも完全には信用できないと告げているのだ。
「それで……スィーラヴァスは、なぜ参陣したのです?」
「ガイナス王はさきの戦で、親スィーラヴァス派の諸侯を五人、捕虜にしております。みなグラワール湖岸に領地を持つ、スィーラヴァスとしては非常に重要な同盟者ばかりです。ガイナスは今回、スィーラヴァス軍がネルディ侵攻に参陣すれば、彼らを身代金なしで解放すると約定を交わしているのです。これはスィーラヴァスとしても悪い話ではないでしょう。もしネルディの鉱産施設の破壊が目的でグラワリアの鉄の価値を相対的にあげるのがガイナスの目的であれば、グラワール湖を初めとする水運を握るスィーラヴァスとしても、後々、利益をあげることになります」
レクセリアはうなずいた。
「万一、スィーラヴァスがガイナスを裏切って奇襲をかけ、それに失敗したら当然、捕虜は殺されるでしょうね……スィーラヴァスがそんな大胆な行動をとる可能性はあると思いますか?」
「通常なら、まずありますまい」
ヴィオスは言った。
「スィーラヴァスとしては自軍を後々、ガイナスに文句を言わせない程度に我が軍と戦わせ、適当なところでひく腹づもりでしょう。それで彼の片腕ともいえる腹心たちが戻ってくるのなら、安いものです。ただし……」
宦官がすっと目を細めた。
「もし、ガイナス軍をしとめる絶好の好機が訪れれば……話は別でしょうな。当然、ガイナスもその愚を犯さぬような戦をしてくるでしょうが……」
レクセリアはしばし沈黙した。
「スィーラヴァスが『我々の味方』をしてくれる可能性の高い、もっとも良い材料はなんだと思いますか?」
「一番は、むろんガイナスの命です」
ヴィオスは即答した。
「二番目は……となると、悩みどころですな。むろんいろいろと手はありますが、ガイナスを追い払うためにあまりに高い贈り物をスィーラヴァスに払えば、もし今度の戦でガイナスを見事、討ち果たした後の問題となりましょう」
それは当然のことだった。
もしガイナス軍に勝利するだけではなく、ガイナスを討ち果たすことになればグラワリアは完全にスィーラヴァスの支配下におかれるだろう。
そうなっては、アルヴェイアにとっても面倒なことになる。
グラワリアがガイナスとスィーラヴァスの二派に分かれて戦っていてくれたほうが、アルヴェイアの利となるからだ。
「それにあまりに高い物では、かえってスィーラヴァスはこちらが約束を守る気があるのかと、疑いをもちかねない。もっとも現実的かつスィーラヴァスにとって魅力的なものとなると……たとえばネルディ割譲ではあまりにこちらの代価が高すぎますし……」
ヴィオスは長い沈黙の後、思わぬことを言った。
「……アルヴェイアの姫を、こちらから差し出すというのはいかがですかな? なにしろスィーラヴァスは、母が卑しい庶出の出で非常に自らの血統を気にかけているとか。殿下の妹君のネシェリア殿下であれば、そろそろ嫁入りしてもおかしくない年齢です。ネシェリア殿下はアルヴェイア国王シュタルティス二世の王妹で、両親ともに『黄金の血』をひいたセルナーダでもっとも高貴な血をひくお方です。その姫を差し出すとなれば、スィーラヴァスの自尊心をくすぐるのにはうってつけかと。さらにこの策は、もし万事がうまくゆけばガイナスが亡くなり、スィーラヴァスがグラワリア国王に即位したとしても、グラワリア、アルヴェイア両国の関係を強化するのにも役に立ちます」
ヴィオスの科白に、レクセリアは一瞬、目眩のようなものを覚えた。
もともとレクセリア自身、王家の姫としていつもゼルファナスに嫁げ、と言われ続けてきたのだ。
それなのに自分だけ言うなれば、「わがまま」を通し、そのくせ妹を顔も知らぬ異国の男に嫁がせることを勝手に決めるなど、ある意味では自分の行いは卑怯ではないのだろうか?
「殿下がお悩みなのは、わかります」
ヴィオスはあくまで冷静に言った。
「しかしこれは言うなれば空の証文です。契約を司るシャラスにかけて誓ったわけではない。むこうも、いざとなれば反故にされることくらいはあらかじめ承知しておりましょう。私の読みが正しければ、スィーラヴァスという男は必ず、この申し出になんらかの形で反応します。それに、最初に申し上げたように、なにも実際にスィーラヴァスと密約を交わす必要はないのですよ。我々がこのような内容で密約を取り交わそうとした、その事実がガイナスに伝わればそれで十分なのです。当然のことながらガイナスはいままで以上にスィーラヴァス軍を警戒し、その動きはある程度、封じられることになります。ただ……殿下、お気をつけください」
ヴィオスが、ふとその青い目に暗い光をたたえて言った。
「スィーラヴァスと密約を交わそうとしているのは、我々だけとは限りませぬ。たとえば、エルナス公閣下もある意味では、我が軍のなかのスィーラヴァスのようなものです。くれぐれも、あの御仁にはお気をつけくださいませ」
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