5 思案
夜明けから一刻後に、アルヴェイア軍は行動を開始した。
すでに、兵たちの間にはかなりの緊張が走っている。
だが、それも無理はない。
なにしろスィーラヴァス軍一万三千とガイナス軍一万七千、合計三万にもなるグラワリア軍は、ここから北に二日ほどの距離に対陣しているのである。
ここ三日ほど、両軍は互いに様子をうかがいあっていた。
多数の斥候や偵騎が放たれ、頻々と本陣に報告が入っている。幾つもの錯綜した情報が本陣に届けられていた。
王国軍のなかでもこのあたりの地勢に詳しいネルディ出身者が選ばれ、本陣に詰めている。
今回のように、二つの軍勢が出会っても、会戦にいたるまではそれなりに時間がかかることもある。
互いに互いを牽制しあい、自軍に有利な土地で戦おうとするからだ。
また将の性格ということもある。
たとえば慎重な将軍であればあくまで敵の動静にこだわり、積極的に動こうとはしない。
一方、勇猛果敢な将であれば、積極的に敵軍に攻撃を仕掛けようとする。
「ガイナスは、火炎王の名の如く、気性の激しい男です。おそらく向こうから打ってでようとしてくるでしょう」
両軍ともに対陣した初めの頃は、それが軍議でのおおかたの意見だった。
確かに、斥候などの報告によりグラワリア軍が積極的に移動していることは確認されている。
ここ数日、空には何羽もの鷲や鷹の類が飛んでいた。
古来より、セルナーダの戦訓には「戦場の鳥には気をつけよ」というものがある。
鳥に姿を姿を変えた魔術師や、その使い魔が上空から偵察をしている場合が多いのだ。
だが、空を飛ぶ鳥はそう簡単に撃ち落とせるものではない。
矢などよりはるかに命中率の高い攻撃呪文で撃ち落とそうにも、魔術の効果範囲を遙かに超えた距離を鳥は悠々と飛んでいた。
あるいはあの鳥のなかには、グラワリアの魔術偵察を行っているものも混じっているかもしれない。
もっとも、それはこちらにしても同じことだった。
二人の術者が変化の術でグラワリア軍の上空でその動きを鳥となって見ていたし、鷲などの使い魔と精神的につながった術者も、使い魔の視点で敵軍の動きを監視している。
その結果は、ガイナス軍、スィーラヴァス軍ともに、積極的にこちらのむかって動いている様子はない、ということだった。
あるいは、三日前にヴィオス配下の者が密使としてスィーラヴァス軍に向かったことも、敵軍の動きに関係しているのかもしれない。
つまり、ガイナス軍はスィーラヴァスがこちらの「密使」と出会ったことをすでにつかんでいるのだ。
だから、もともとが積極果敢な性格の彼としても友軍であるはずのスィーラヴァスの動きが気になり、うかつにこちらに攻勢をしかけられないのかもしれない。
(だとすれば……多少は、有利に戦を進められるかもしれない)
レクセリアはこのあたりの地勢を描いた地図を見ながら、ぼんやりとそんなことを思った。
スィーラヴァス軍に送った密使は、いまだ戻ってきていない。
彼は正式な軍使ではないし、あるいはひそかに殺されている、ということも十分にありうる。
まだ、実際に両軍がぶつかっているわけではないが、謀略という形ですでに戦は始まっているのだ。
もしスィーラヴァス軍が気になってガイナスが自由に動けないのだとすれば、少なくとも数の点での不利はなんとかなるかもしれない。
だが、二つ目の難問はレクセリアの知謀を持ってしてもよい解決案はいまだ見つかっていなかった。
ランサール雷槍団と、クーファー神の僧侶たちの存在である。
稲妻と炎、ともに敵にまわすにはやっかいな存在だ。
果たして現実に野戦で彼らがどれだけの威力を発揮するのかは、戦ってみなければわからない。
だが、少なくともネルディ城を焼き払ったというクーファーの僧侶の法力が生み出した火力は、決して馬鹿にはできないものだ。
なによりアルヴェイア軍は騎士が攻撃の主力をつとめることになっている。
騎士の突撃により敵部隊を壊乱させるという戦術は、帝国期の頃から用いられてきた伝統のあるものだが、それはこの戦術がそれだけ効果的なものだという証左である。
実際、何度か騎士による突撃をうければ農民から徴収されたような練度の低い歩兵はそれだけで潰走を始めるものだ。
徹底的な包囲殲滅戦でもない限り、この時代、戦とはいえどちらかが死に絶えるまで戦い続けることはまずはない。
どちらか一方が「逃げ出すまで」が戦である。
一度、部隊の一部が逃げ出してしまえばそこから陣形が崩れ、結局、全軍が潰走して敗北するという形の会戦がこの時代の常識だった。
だとすれば、火炎の威力は決して馬鹿にはできない。
まず、人間は本能的に火をおそれる。
そしてそれ以上に獣である馬は火を見ただけで恐慌状態に陥るのが常だ。
レクセリア自身、数ヶ月前の南部諸侯軍との戦いでは、炎を使って敵の騎士を混乱に陥れ、勝ちを収めているだけに炎の威力はよく知っている。
野戦でクーファーの僧侶たちを使うならば、まず彼らを前衛に置くだろう。
そして突撃してきたアルヴェイアの騎士たちに炎を浴びせ、大混乱に陥れる。
その火が収まる頃合いを見計らい、側面からグラワリアの騎士たちが突撃をかければ、後方に控える歩兵隊もとうてい、持ちこたえられまい。
(だめだ……)
レクセリアは少女らしい蕾のような唇を、ぎゅっと噛みしめた。
何度、頭のなかで絵図を描いても、負ける。
たとえ敵のほうが寡兵であっても、勝てるとは思えない。
スィーラヴァスももしガイナス軍が炎を使って圧倒的有利とみれば、彼に味方として軍功を納め、恩を売ろうとするだろう。
そうなれば両軍を分断しようとした策も無意味なものとなる。
(なにか手はないものですか)
レクセリアは地図を改めて凝視した。
まともにぶつかりあって負けるとなれば、なにか罠でも仕掛けるしかない。
しかし、それすら思い浮かばないというのが現状である。
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