6 策

 地図にはこのあたりの街……いまではみな廃墟と化しているが……や河川、渓谷、丘陵、あるいはいかにもネルディらしく、鉱山の位置などが記されていた。

 そのときだった。

 ふいに突風が吹き、大地から巻き上げられた大量の埃があたりに舞い散った。


「げほっ……げほっ……」


 このあたりはもともと比較的、乾燥した土地のため、埃が飛びやすいのだ。

 くわえてなにかの鉱物が混じっているのか、埃はやけに黒っぽく、どこか金属質の味と匂いがした。


「殿下……大事ありませんか?」


 傍らにいて馬を進めていたエルキア伯ヴァクスが、不安げに言った。

 どこか鼠を思わせる顔をした小男である。


「私ならば、平気です」


 レクセリアはそう言って、エルキア伯を眺めやった。

 実のところ、ヴァクスは討ち取られたラシェンズ候ドロウズと並び、南部諸侯軍を率いていた元反逆者である。

 反逆者たちの扱いを巡って、わざわざ諸侯会議が開かれた。

 そのなかで、レクセリアは反逆した諸侯たちを許すよう主張したが、これに反発したのがゼルファナスである。

 ゼルファナスは、反逆者全員の処刑するべきだと言っていたのだ。

 実際、もし今回の急なグラワリア軍の侵攻がなければ、ヴァクスをはじめ王家に反旗を翻した南部諸侯たちもどうなっていたかわからない。

 皮肉なことに彼らはガイナスがネルディに攻め込んできたことで、一命をとりとめたのだった。

 敵国の軍に攻められた上、突然の国王崩御という事態の進展に、とても国内の南部諸侯を処罰している暇も余裕もなかったのだ。

 結局、彼らは新王シュタルティスにより特赦を出され、その罪を許された。

 それどころか、兵を集めてともにガイナスを討伐するよう王による勅命をうけたのである。

 実際、レクセリア軍に含まれる諸侯軍には、反逆に加わった南部諸侯も少なからずいる。

 彼らにしてみれば「反逆者」の汚名をすすぐべく、今回の戦ではむしろ他の諸侯軍よりも意気盛んなくらいだった。

 昔の敵軍が今日の友軍となるあたり、皮肉なものである。


「恐れながら殿下……お顔が、いささか黒く汚れておりますぞ」


 エルキア伯ヴァクスが忌々しげに言った。


「まったく……このあたりは、どうやら石炭の鉱床が露出しているようですな。どうりで黒く汚れるわけです」


 エルキアの地もネルディ同様、鉱業が盛んだった。

 自然と、領主であるヴァクスも鉱物に関する知識が豊富になるらしい。


「こうしたところは露天掘りをすれば良い鉱山になるのですがね……しかし私は、よくよく石炭とは相性が悪いらしい」


 ヴァクスは手元から絹の手巾を取り出すと、黒くなった顔を拭いた。


「以前、炭坑の視察に赴いたときに、事故に巻き込まれたことがありましてね。まったく、あのときは死ぬかと思いましたよ」


「炭坑で事故……というと、落盤ですか?」


 ヴァクスはかぶりを降った。


「いえ……実は……」


 かつて遭遇した事故について、ヴァクスが説明を終えたそのときだった。


「はは……ははは……あはははははははははははは」


 ヴァクスは、あっけにとられたような顔でレクセリアを見つめた。

 顔をすすでも塗りつけたように黒くしたまま、アルヴェイア王国の王妹殿下は、ひどく愉しげに笑っていたのである。


「で、殿下……?」


 だが、笑いはなかなか収まらない。


「はははは、ははははは、はははははははははは」


 まるで発狂でもしたかのような異常な笑いぶりに、ヴァクスは不安げな顔をした。

 彼にしてみれば、なぜこんなことでレクセリアが笑っているか理解できなかったのだ。


「あの……なにか、それほど愉しいことでもございましたか?」


 エルキア伯の科白に、レクセリアがうなずいた。


「ええ……実に素敵なことがありましたわ。ひょっとすると、今回の戦の最大の功労者は、ヴァクス卿、あなたになるかもしれません」


「は?」


 まだ戦も始まっていないのになにを言っているのだ、という顔でヴァクスはレクセリアを見つめていた。


 レクセリアはそれからしばらくの間、心底、愉快げに笑い続けた。


(なるほど……世の中にはそのような現象があるとは……まったく、私もまだまだ無知ということですね)


 彼女はついに、見いだしたのだった。

 ガイナス軍の火炎による攻撃を防ぐ方策を。

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