第四部 嵐の王
第一章 決闘
1 晩餐
それはさまざまな意味で奇妙な晩餐の宴といって良かった。
だが、宴の主催者は、至極、上機嫌の様子だ。
さきほどから、うまそうに料理を食らい、赤葡萄酒をなみなみと注いだ酒杯を次々に干している。
(すげえ食欲だな……これで、本当に病人なのか?)
自らに寄せられる好奇と侮蔑の念など気にした様子もなく、リューンは宴の主催者、すなわちグラワリア国王ガイナスの健啖ぶりに半ば呆れていた。
卓の上座に座る……グラワリア国王であるからこれは当然のことだ……ガイナスは、燃える炎を思わせる赤い髪と、さらに高温の炎にも似た青い輝かしい目を持つ巨漢である。
実際、豪快に赤鶏の炙り肉をひきちぎり、パンをむさぼり、次々にさらなる珍味佳肴を口のなかに入れては流し込むガイナスの食欲は、とても病人のそれとは思えなかった。
だが、やはりそれでも、ガイナスが病んでいることは明らかである。
まず、痩せている。一気に体についた肉がしぼんでいったような、それは病的な痩せ方だった。
さらにいえば皮膚は黄ばみ、顔はどこか皮膚と肉の下の骸骨の存在が透けて見えるほどだ。
くすんだような黄色い肌は、酒の飲み過ぎなどで肝の臓が痛めたものに特有の症状だった。
長い傭兵時代の経験で、酒漬けになり死んでいった男たちはみな似たような肌をしていたものだ。
(それにしても、一国の王も……こうなったら、おしまいだな)
それが、リューンの率直な感想だった。
ガイナスの異常なまでの食欲も別に無理をしているわけではないのだろうが、どこか不自然に見える。
まるで死ぬ前に一片でも多くの肉を食らわねばという思いにでも駆られているかのようだ。
さらには、酒の飲み方も尋常ではない。
なるほどこれでは体をこわすわけだ、と酒豪で知られたリューンもあきれるほどに大量の酒を、ガイナスは呑んでいた。
傍らには、赤みがかった短い金髪を持つ痩身の美女の姿がある。
確か名前はメルセナといったはずだ。
グラワリアに特有の稲妻の女神、ランサールに仕える尼僧の僧兵である。
ランサール教団は、かつてさまざまな経緯があり、全面的にガイナス王を支援することに決めたのだという。
いまも宴席の周りを、多くのランサールの尼僧兵たちが並んでいた。
彼女たちはみな、お揃いの槍を持っている。
ある程度の法力を持つ尼僧たちは、この槍から稲妻を発するとされている。
まるで監視されているようだが、実際、そういう意味合いもあるのだろう。
いまではランサールの尼僧は、完全にガイナス王に忠誠を誓っているという。
ときおり、刺すような視線をランサールの尼僧から感じるのは、決してリューンの気のせいではない。
(ちっ……どうやら連中、よっぽど俺のことが気にくわねえみたいだな)
むろん、それには理由があるのだが。
リューンは、黙々と肉を掴み、食らった。
牛肉と大兎、そして鹿肉などが中心となった食卓である。
料理自体は悪くはないが、あまり食欲は進まなかった。
なにしろここは紅蓮宮、すなわちグラワリア王宮であり、この晩餐会に出ている品もみな贅をこらしたものばかりなのだ。
料理が美味なのは当然としても、食事のうまさは席を供にする者たちが誰かによって、かなり変わる。
さらにいえば、さきほどから食卓には重い空気のようなものがたれ込めていた。
もともと、リューンは剛胆ではあるし、礼儀作法なども気にしないほうだ。
以前はアルヴェイア王宮の青玉宮に出入りした経験もあるのだから、こういった場にまったく慣れていないといったわけでもない。
しかしいま、彼の置かれている環境が、リューンからいつもの闊達さを奪っていた。
リューンは身長でいえばガイナスにも負けず劣らずの巨漢である。
さらにいえば、その肉体は病で衰えたガイナスとことなり、見事に実用的な、美しい男性美を誇っていた。
いまは貴族の着るような礼装をまとわされているが、それも窮屈そうで、その下には分厚い筋肉がはちきれそうになっている。
金色の蓬髪にわずかに隠された顔も、美男といってよいものだ。
だがなんといっても彼を一目見て、誰もが注意を惹かれるのはその瞳だろう。
右目が青い瞳、左目が銀色にも見える灰色の瞳という異相の持ち主なのだ。
これは俗に「ウォーザの目」などと呼ばれていた。
ウォーザとは古くからこのセルナーダの地で崇められている嵐の神の名であり、このような瞳を持つ者はいずれ「嵐の王」と呼ばれる王になるだろうという俗信がある。
「しかし、兄者」
リューンの傍らにいた小男が、小さな声で言った。
「そんなに、むしゃむしゃ食うなよ。それと、一応はここは御前なんだ。もうちっと、礼儀作法ってもんを……」
リューンとは対照的に、その身長は五エフテ(約一五0センチ)あるかないかといった小男である。
それなりに上等な衣装をまとってはいるが、リューンと同様、あまり似合っていない。
さらにいえばリューンと違い、蛙のようにぎょろりとした不細工な面相の持ち主なので、ある種どこか堂々としている兄と違い、より一層、貧相に見えた。
「礼儀作法もへったくれもあるか」
リューンは眉根を寄せると、弟にして彼の率いる傭兵団「雷鳴団」のまとめ役でもあるカグラーンにむかって言った。
「これだって、おとなしくしてるほうなんだぜ。だいたい、俺がこんな宴席での礼儀なんか知ってるわけ、ねえだろう。それなのにこんなところに呼んだ奴のほうが悪い」
それは宴を主催しているガイナスへの非難ということだ。
途端に、小心なカグラーンの顔色が変わった。
「ちょっ……兄者、ガイナス陛下にむかって……」
そのときだった。
くすくすという、露骨にこちらを嘲笑するような笑い声が卓の向かいから聞こえてきた。
ガイナス、リューンと長身揃いの面々のなかで、さらに彼らよりも頭一つ半ほどぬきでた、ほとんど異常ともいえる巨体の持ち主である。
顔はいかつく、眉が濃い。
目には精力的なぎらぎらとした輝きが宿っていた。
いかにも武人といった趣である。
とはいえリューンとは違い、悪く言えば下品なところは感じられない。
それなりに洗練された空気をまとった男である。
だが、それも当然といえば当然だった。
男の名は、アルヴァドスといい、彼はグラワリアでも有数の大貴族、ゼヒューイナス侯爵位の所有者なのだから。
「リューンどのは、このような宴席には慣れておられぬようだ」
アルヴァドスが、不敵な笑みを浮かべた。
「しかしながら、これは貴殿にとって『最後の晩餐』となるはず。存分に、楽しまれるがよかろう」
まさに慇懃無礼としかいいようのない物言いだった。
だが、彼の言っていることは、ある意味では間違っていない。
明日、リューンはこのアルヴァドスと命を賭けた決闘を行うことになっているのだ。
もし戦いに負ければ、言われたとおり、これがリューンのとる最後の晩餐ということになるだろう。
だが、リューンはまだ死ぬつもりなど、むろんなかった。
「ええっと……失礼ながらアルヴァドス卿」
リューンは、その整った面に不敵きわまりない笑みを浮かべた。
「あいにくと、俺は明日の戦い……負けるつもりはありません。そちらこそ、ゆっくり最後の晩餐を愉しんでおいたほうがいいんじゃないですかね」
いくら軍功をたてたとはいえたかが一介の傭兵団の首領が、大貴族にむかって吐いてよい言葉ではない。
一瞬、アルヴァドスが激発したように顔を真っ赤にしたが、すぐに相手はもとの落ち着きを取り戻した。
(なるほど、簡単に挑発になるようなたまじゃねえ……そういうことか)
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