6  慣れ

「ご覧の通り」


 と言いながら、セヴァスティスはネルトゥスのものよりさらに長い……どう見ても犬歯というよりは「牙」と表現すべき二本の歯をむきだしにして笑った。


「私もこのようなのを持っている。私は、別に気にもしないが、幼い頃はこれでいろいろといじめられたものだ。もっとも、そうして私を侮辱したものは『なぜか』みな死人の地獄に堕ちたようだが」


 セヴァスティスが、暗いの森の奥に潜むアルグ猿のような哄笑を放った。


「他人にとってはどうということもないことであっても、本人にとってはとてつもない大事、というものが誰しもあるもの。そう……ナイアス候の痣こそ、まさにそうしたものの典型にして、ナイアスの城壁の最大のほころび……」


 だんだん話が見えてきた。

 確かにナイアス候の周囲には、痣にまつわる奇妙な醜聞がいくつかあった。たとえば実はナイアス候は顔に痣のあった賎しい吟遊詩人の息子かもしれない、という話はネルトゥスも耳にしたことがある。青玉宮の宮廷雀たちが好みそうないやな話だ。


「私は青玉宮にいる間、ナイアス攻略のために古い記録をいろいろと調べた……すでにナイアスの城壁のなかには、何人もの私の送り込んだ間者がまぎれこんでいる」


 つまり、本格的な戦の始まる前からとうにセヴァスティスは手を打っていた、ということだろう。

 この男は、とネルトゥスは思った。

 決して、ただ残虐で勇猛なだけの将軍などではない。驚くほどの知謀……というより、奸智に長けている。

 なにかひどく忌まわしい、恐ろしい計略をこの男は考えているのだ。


「どのみち……エルナス公はナイアスにこない。おそらく、エルナス公は『私がナイアスを落とすことを計算しており、それを理解してセムロス伯領にむかっている』のだ」


 呆然とネルトゥスは口を開けた。

 なんだ、この男は? なぜエルナス公がナイアスにこないと確信を持っていえるのだ?


「エルナス公は、大した知者だ」


 セヴァスティスは笑った。


「おそらく、とうに私が過去にネヴィオンで戦った戦のことを調べ上げ、私がどのようにナイアスを攻略するか、そこまで読んでいるだろう。『だから』あの御仁はセムロスにむかっている……」


 意味が、わからない。

 アルコーンという遊戯がある。戦を模したもので、盤上の駒を動かして勝敗を競う。

 アルコーンの達人同士の戦いにこれは似ている、とネルトゥスは思った。おそらく、エルナス公ゼルファナスとセヴァスティスの二人は、ほぼ同格のアルコーンの名人なのだろう。だが、ネルトゥスも……そしてディーリンさえも二人がなにを考えているのかさっぱりわからない。

 ただ一つわかることは、二人とも恐ろしく頭が切れる上に、どこかぞっとさせられねような残忍さを持っているということだ。


「ネルトゥス卿……今度の戦、我らは楽に勝てまする。しかし、同時に派手に負けまするでしょうな」


「まるで謎かけですな」


 正直にネルトゥスは言った。


「ナイアス候の痣の話といい、エルナス公の動きといい……私のような単純な頭ではとうてい、わかりかねます」


「ご謙遜を」


 セヴァスティスは笑った。


「真は、ネルトゥスどのもそろそろ気づいているのでは? これだけ手がかりを与えれば……そして『私がなぜアルヴェイアの兵士たちに残忍な行為に慣れさせているのか』を考えれば」


 セヴァスティスの言葉に、ネルトゥスは慄然とした。


「残忍な行為に……慣れさせている?」


 では、そこまで計算してセヴァスティスは、あのむごたらしい城壁の外での行為をいまも繰り返しているというのか。


「戦場はむごいもの。特に人を殺したことのないものにとっては、恐ろしい場所。しかしながら……どのような残酷なものでも、何度も何度も繰り返されればしだいに人は慣れてくる。いま、必要なのはそれなのですよ、ネルトゥス卿。この戦に勝ちたくば、我らは残忍な行為に慣れねばならない。まあ『結果としては負ける』のですが、義兄上は『ナイアス陥落』を求めておられる。手段は選ばないとすら申されている。となれば……こちらに出来る限り被害のでない戦いをするしかない……」


 自然と足下から全身の肌にびっしりと鳥肌がたってくるのがわかった。


「なにを……」


 ネルトゥスは固唾を呑んで言った。


「なにをされるおつもりですか? セヴァスティス将軍。一体、貴卿は……」


「なに、戦ですよ」


 セヴァスティスは顔を歪めた。もともとが一見すると貴公子の如き美貌のために、その歪み具合がかえって不気味に見える。


「愉しい愉しい流血のときが、間もなく始まります。ネルトゥス卿も、戦支度をなされたほうがよろしい。いよいよ、貴卿の活躍するときがくるのです」


 ふと、セヴァスティスが暗い目をして尋ねた。


「ところで……貴卿は、無辜の民を虐殺したことはおありか?」


 さきほど飲み下した大兎の肉が胃から逆流してきそうな嫌悪感がやってきた。


「あいにくと、そのようなことはいまだ経験はない! また、そのようなことをするつもりも……」


「それは困る」


 セヴァスティスは冷静に告げた。


「貴卿にも『それ』をしてもらわねばならぬのですから」


 なにを言っているのだこの男は、とネルトゥスは思った。

 正気とも思えない。無辜の民を殺せとあるいは言っているのか。それはつまり、城門をあけてナイアスの都に入り、民を虐殺しろということなのか。


「私は……」


「してもらわねば、困る」


 セヴァスティスは冗談で言っているようではなかった。どこまでも、真顔だった。


「我らは総勢、六千に過ぎない。もし、五万の敵を相手にして壊走したら……」


 五万。どこからそんな大軍勢が出てくるのだ。


「セヴァスティス卿……なにを仰せられるのだ。わからぬ。私には……私には……」


 その瞬間、ネルトゥスは気づいた。

 五万というのが、ナイアスの都の人口と一致するという恐ろしい事実に。

   




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