5  ネルトゥスの牙

「『ハルメスの鮫』殿は、どうやら私が相当にお嫌いなようですなあ」


 セヴァスティスの言葉に、ネルトゥスははっと顔をあげた。

 ここは陣中であるというのに、セヴァスティスの顔には緊張感のようなものはかけらもない。いまも、うまそうになにかの肉にかぶりついている。

 天幕のなかでは、何人もの諸侯が食事をとっていたが、どうやらセヴァスティスとこちらのやりとりに気づいている者はいないようだ。


「私はネルトゥス卿を武人としては高く評価している……ですが、貴卿の戦いと私の戦いは、違う」


 そう言って、セヴァスティスはにっと笑った。ひどく下卑た笑みだが、その鮮やかな緑の瞳は笑ってはいない。


「違う……と申されると?」


 途端に、セヴァスティスが笑った。


「それは貴卿のほうがよくご存じのはず。貴卿にとっては、戦は騎士を率いて突撃し、戦果をあげるもの……違いますかな?」


 確かに、その通りだ。

 そもそもネルトゥスは、攻城戦があまり得意ではない。野戦指揮官としての能力にはそれなりの自身があるが、攻城戦は苦手だ。

 だが、今回の戦は攻城戦といってよいのかどうかすら、疑問に思っている。

 攻城塔を使うこともなければ、工兵で城壁を崩すこともない。ただ、投石機で城内に農民たちの無惨な死体を投げ込み、あるいは上流から油を流してアルヴェイス河に火をつけるという地道かつどこか陰惨な「戦い」を続けている。

 ネルトゥスの観点からすれば「これのどこが戦なのだ」という思いがある。とはいえ、むろんセヴァスティスがただの愚か者だとは考えてはいない。

 セヴァスティスは兵をつかわずとも、城壁のなかの「人間たちの心」に、いわば攻撃をしかけているのである。

 それは、ネルトゥスにとってまったく未知の戦だった。

 否、実をいえば野戦であっても、そこにいたるまでも過程そのものが相手の将との心の読みあいということも出来る。そもそも野戦にしたところで「片方の士気が限界点をこえて軍勢が組織として機能しなくなり、壊走を始めた時点で負け」という見方もできる。

 そうと理屈でわかっていても、これはネルトゥスの考える戦とは違う。


「ネルトゥス卿は、ディーリン卿にもいろいろと『助言』をしておられるようだ。このような戦をすれば、王軍の声望が下がるとか……」


 面倒なことになってきた、とネルトゥスは思った。

 つまり、セヴァスティスはこちらの存在が気にくわない、ということらしい。あるいはよけいなことを実質的な王軍の指揮官であるディーリンに言ってくれるな……ということだろうか。


「なるほど、王軍らしい戦い方でないことは承知している。だが、私のやり方であればこちらの被害を出さずに敵に最大の被害を与え、なおかつほぼ無傷でナイアスの都を手にいれることができる……」


「それは」


 ネルトゥスは言った。


「なにかよほどの策がある、ということでしょうか」


「いかにも」


 セヴァスティスは、にいっと凄まじい笑みを浮かべた。


「私の策がうまくいけば、こちらにはほとんど被害を出さずにナイアスの都を手に入れることができる……」


 そんなことが、可能なのか?

 確かにセヴァスティスの陰湿なやり口に、ナイアス城内の士気が低下しているのは理解できる。だが、このままおとなしく向こうが城門を開けて降伏してくるとはとても思えないのだ。


「信じられませんかな?」


 セヴァスティスは肩をすくめた。


「ネルトゥス卿……戦でもっとも肝要なこととは、なにか、つまりはそこです」


「戦では……兵の質、指揮官の力量……そして……」


 くすくすとセヴァスティスが笑った。


「なるほど、『そういうことも』大事でしょう。しかしね。私の考えはいささか異なる。私はですね……『指揮官の心のありようを知ること』がもっとも肝腎だと考えているのですよ」


 指揮官の心。

 確かに野戦でも、相手がどんな陣形をしき、どう兵を運用してくるか、いわば心の読みあいが重要な要素となる。セヴァスティスの言っていることは、個々の武勇を誇る者は見落としがちではあるが、確かに戦のある一面の真実を語っている。


「今回、私は義兄上……失礼、ディーリン卿に『ナイアスを陥落させろ』と命じられた。となれば、ナイアス候の人となりを知ることかなにより大事と思い、いろいろと調べさせてもらった。一見、鉄壁にみえるナイアスの守りには……実は、大きなほころびがある。それがなにか、ご存じか?」


 確かにナイアスの城壁は堅牢だが、ほころびらしい箇所などどこにも見あたらない。


「それは一体……」


「痣」


 一言、セヴァスティスはつぶやいた。

 意味がわからず、ネルトゥスは大兎の炙り肉をパンと一緒に口に押し込むと、葡萄酒で流し込んだ。


「痣……痣というと、あのナイアス候の顔の痣……ということですかな?」


 むろん、ネルトゥスもナイアス候の痣のことくらい、話は知っている。ナイアス候ラファルは美男ではあるが、自らの痣を病的なほどに恥じ、嫌っているという。だが、むしろナイアスの領民はその痣という一瞬の欠点こそがナイアス候の唯一の傷だと、逆に自らの領主を誇っているという。つまり、痣くらいしか欠点のない優れた領主だということだ。


「正直に申し上げるが、私にはなぜナイアス候の痣が、それほど重要なのか……」


「では、貴殿はその『牙』でなにか言われたことはおありでないと?」


 一瞬、背筋に寒気のようなものと同時に、怒りが頭蓋に噴き上がってくるのがわかった。

 牙。

 ハルメスの鮫と恐れられるのは、ネルトゥスの犬歯がひどく発達しているためだ。だが、セルナーダの地では、発達しすぎた犬歯を牙と呼ぶのは最大級の侮辱である。

 人間をくらうアルグ猿は、人間との混血児をつくる。「牙」をもつ人間はそのアルグの血をひいている……という説がある。

 俗説、ですむ話ではない。実際にその可能性があるからこそ「牙」や「アルグ混じり」と相手に面とむかっていえば、下手をすれば決闘沙汰にすらなりかねない。とくに誇り高い貴族の間では。

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