4  善人

 感嘆したようにセムロス伯が言った。


「さすが陛下……ご明察です。なに、エルナス公がセムロスを求めるというのならば、くれてやればよいのです。ただしそれをやれば……エルナス公は、他のアルヴェイア諸侯ほとんどを敵にまわすことになります」


 ディーリンの言っていることは事実だった。

 たとえセムロスを占領しても、軍事的な価値はさほどない。もし価値があるとすれば、それは「セムロス伯の根拠地である」という一語に尽きる。

 つまり、エルナス公ゼルファナスからすれば、「敵軍の真の指揮官の家族や財産を人質にとった」ということができるのだ。

 一応、ディーリンは「王国のために反逆者を討つ」という大義があり、事実、国王も軍を親率している。こんなときに、ディーリン個人の領地を襲えば、待っているのは貴族諸侯の白眼である。

 さらにもし、ゼルファナスがセムロスの民を殺したり、あるいはディーリンの家族を処刑したりすれば、ゼルファナスの置かれている立場は悪くなる。いくら彼が王家の非道、またディーリンが国政を私していると叫んだところで、領民やディーリンの家族を殺せばゼルファナスは完全に信望を失う。

 なぜならば、すでに彼には「死の女神ゼムナリアの信者かもしれない」という疑いがかけられているからだ。

 そんな疑いをかけられる時点で、すでにエルナス公の両手は縛られているも同然なのである。もしこれでセムロスで虐殺行為などを行えば、誰もがゼルファナスを見限る。


(そうか……やはりそういうことか)


 今更ながら、シュタルティスは慄然とした。


(セムロスは……セムロス伯領そのものが、従兄弟殿にむけた罠なのだ。もし手をつければ、エルナス公はその声望を失う。いくらセムロスをおさえても、そのままではいずれナイアスが陥落し……そうなれば完全に諸侯たちはこちらに味方につく)


 しかし、自分の領地すらも罠の餌としてしまうディーリンという人物の恐ろしさを、シュタルティスは改めて知った。

 ディーリンは、領民に人気があることで有名である。また、ディーリン自身も、領民たちを愛している。シャルマニアなどはときおり「父上は私などより領民たちのほうがよほど可愛いのです」とグチをこぼしていたほどだ。

 そこに嘘はない、とシュタルティスには思える。それなのに、その可愛い領民たちを危険にさらし、むしろある程度、殺戮されたほうが後々、ゼルファナスを「ゼムナリア信者として糾弾する」には都合が良い、とディーリンはそこまで考え、そして実行している。

 もしこんな策を思いつく者がいたとしても、はたして実行できるかどうか。

 貴族諸侯の土地や領民へのこだわりは、並大抵なものではない。土地と民こそが彼らの財産であり、あらゆるものの基盤であるのだからこれは当然のことなのだが。

 それを捨ててまでディーリンはなにをなそうとしているのか。


(そうか)


 卒然と、シュタルティスは悟った。


「ディーリン卿……余はそちを見誤っていたようだ」


 シュタルティスは肩を震わせて言った。


「貴卿は……真に王国を憂い、アルヴェイアを再生させるために必要なことをなそうとしている。貴卿は……」


「私は以前からそう申し上げていたはずですがね」


 ディーリンが、いたずらっぽく笑った。

 彼は決して私利私欲でいままでの布石を打ってきたわけではないのだ。最悪、自領を犠牲にしてまでも、王国と王家の権威を復活させようとしている。むろん、その王権の裏ではセムロス伯家の手の者が実権を握るようにはするだろうが……それでも、ディーリンという男が一種の「愛国者」であり、真に王国の現状を憂いていることは明らかだ。


(なんということだ)


 シュタルティスは全身に走る震えをおさえることが出来なかった。


「ディーリン卿……貴卿は……貴卿こそは……」


 若き国王は、それきり言葉を失い、いまだ震える手で葡萄酒を杯に注いだ。


(なんということだ……まさか、『ディーリンがこれほど愚かだったとは』)


 とはさすがに言えなかったのである。

 シュタルティスは、ある意味ではこれ以上ないほどの現実主義者である。

 幼い頃から、常に貴族諸侯の力を均衡を見定め、決して命を奪われぬよう、それだけを頼りにして「王として生きのびてきた」のだ。そうした人間にとって一番、安心できるのは、「私利をむさぼる人間」に他ならないのである。

 利で動く人間は人として、人格を批判されることはあるだろうが、同盟者としてこれ以上、心強い者はいない。なんとなれば、自分の存在が相手の利益になる限りは、絶対的に相手を信用できるからである。

 だが、ディーリンはより高い志とでもいうべきものを持っている。

 むろん、私欲、我欲もあるとはいえ、そうした俗物の皮をかぶりながらも、心の奥底では国を本当に憂えているのだ。


(駄目だ……この戦は、負ける)


 それはシュタルティスの直感だった。


(戦というのはそういうものだ……どこまでも自らの利だけを考える者が勝ち、志だのきれい事を言う者は必ず負ける)


 それは、戦術眼や作戦能力の問題とは別次元である。

 戦の指揮官にとって最高の資質とは「勝つためにならなんでもする」という強靱な意志である。この、基本的な意志を持続させるためには、ディーリンは不適格かもしれない。


(見誤った……)


 シュタルティスは、心底、恐怖していた。


(セムロス伯なら私利私欲で動いてくれるものとばかり思っていた……だが、これでは駄目だ、これでは従兄弟殿には勝てぬ)


 温顔伯の笑顔を見ながら、シュタルティスは再び葡萄酒の杯に真紅を液体を注ぐと、一気に干した。


(まさか……セムロス伯が、ディーリン卿が、真に……このような『善人』だったとは!)

   

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