アルヴェイア王国滅亡記

梅津裕一

第一部 アルヴェイアの戦姫

第一章 ウォーザの目を持つ者たち

1 戦支度

「まったく、いやな天気だぜ」


 天を見上げながらリューンは吼えるような大声をあげた。

 空には雲一つない。真っ青な、抜けるような快晴だった。

 つい一週間ほど前まで大地のところどころに残っていた雪もようやく融け、春の穏やかな陽光が満ちあふれている。

 一陣の爽やかな風があたりを吹き抜けていった。木々にも緑の芽が芽吹きつつある。


 一見すれば好天としかいいようがないが、リューンがいやな天気だと言ったのにはそれなりの理由があった。


「こんなんじゃ、雨の一滴もふりそうもないな。まったく、縁起でもねえ」


 陽光を防ぐために片手を目の上にかざして、リューンは東の空に昇った太陽を眺めた。

 このセルナーダの地では王や皇帝は太陽にたとえられることが多い。

 そもそも神話体系の主神が、太陽神なのである。

 だが、古代から太陽が王の象徴だったわけではない。

 さらに古に時を遡れば、この地では嵐の神こそが神々の王だった。


 海を渡ってきた異民族によって、かつての嵐の神を神々の王とする先住民は侵略された。


 しかしリューンはその、征服された古き民の伝統と血を、心身に受け継いでいる。

 だからこそ、太陽がさんさんと陽光を降りそそぐ今日のような好天は、彼にしてみればむしろ凶兆なのである。


「こりゃ、やばいかもしれねえなあ」


 リューンはすっと目を細めた。

 右目は青いが、左目はまるで銀色にも見える灰色の瞳である。


 俗に言う「ウォーザの目」の持ち主だった。


 ウォーザは嵐の神であり、かつての神々の王だった。

 だが、異民族の持ち込んだ新たな太陽神への信仰により、ウォーザは王の座からただの一柱の神へと引きずり落とされたのだ。

 その象徴こそが、目である。

 かつてはウォーザの片目は黄金に輝いていたという。

 古代のこの地の人々は、自らが崇拝する天空神の片目こそが「太陽」だと信じていたのだ。

 しかし、独自の太陽神を信じる支配者たちは、先住民たちのこの考えを許さなかった。

 神話では、異民族の太陽神は偽りの太陽であるウォーザの右目をえぐり出した、とされている。

 以来、ウォーザは金色の瞳を失い、隻眼とも……また「からっぽの空の青と月の銀の瞳を持つ」とも信じられている。

 左右の瞳の色が違うだけでも珍しいというのに、この色の組み合わせはまず滅多にいない。

 そして古来より、伝説で語られているのだ。


 いつか再び新たな太陽が生まれるときに一度、太陽は死に、その後に「ウォーザの目」を保つ者が新たなる嵐の王となる、と。


 むろん、なんの根拠もない迷信、伝承の類である、と笑い飛ばすことも出来る。

 だが、ウォーザの目の持ち主本人は、それが己の運命だと確信していた。

 本人にとっては、ことは冗談ではすまされない。また、冗談ですませるつもりもない。

 王になる、というのはリューンにとっては、自らの運命なのだ。

 だからこそ、今日のような雲一つない天気など不吉としか言いようがないのである。

 いまだ太陽が死んでいないのだから、いま天にある太陽は異民族の神の化身である。

 それにひきかえ、ウォーザは天空の神であると同時に嵐の神でもあるのだ。


「まったく……『俺の神様』、ウォーザ様よ。こんなんじゃ戦に負けちまうぜ。派手にここらで一雨、ふらせてくれよ! だいたい、俺が勝つときは盛大に雨がふるって相場が決まってるんだ」


 そう言うと、リューンは金色の巻き毛がかった蓬髪をくしゃくしゃとかきまぜた。

 驚くほどの長身の持ち主である。その身長は、実に六エフテ半(約一九五センチ)近かった。

 金属片を縫い込んだ革鎧の上からも、その巨躯が見事な筋肉でよろわれていることが伺いしれる。

 背には、これまた長大な剣を背負っていた。刀身の長さだけで四エフテ(約一・二メートル)はありそうな怪物じみた大剣である。

 リューンは見るからに獰猛な獣といった、荒々しい精気を放っていた。

 だが、金色の髪に半ば隠れた顔は、その野性味あふれる体躯とはどこか似つかわしくない、ひどく整った面差しをしている。

 端麗なその顔立ちは、美貌といっても良いほどだ。

 年の頃は、二十代の前半といったところだろう。


「兄者! リューンの兄者!」


 背後から声が聞こえてきたのはそのときだった。


「いったいなにやっているんだ、こんなところで! ラシェンズの殿様が、兵を集めはじめてるぞ。戦だ、戦だ!」


 そう叫んで、一人の小男が、ひょこひょこと男にむかって近づいていく。


 「ウォーザの目」を持つ若者は、にやりと人好きのするような笑みを浮かべた。


「なに……ちょっと、神様にお祈りしててな。こんなお日様がかっかと照りつけているような天気じゃあ、戦に負けちまうかもしれないだろう?」


「兄者」


 小男が、顔をしかめた。


「負けるなんて……戦の前だってのに、縁起でもないことを言わないでくれ。もう、昔と違って俺たちもただの傭兵ってわけじゃないんだ。一応は、俺たちゃあ『雷鳴団』の団長と副団長なんだぜ? うかつなことを言って、部下たちの士気を下げるような真似はしないでくれよ」


「へっ」


 リューンは、小さく肩をすくめた。


「カグラーン、お前、子供の頃からそんなことをくよくよ悩んでいるからちっとも背がのびなかったんだ」


 それを聞いて、カグラーンと呼ばれた小男が言った。


「は、よく言うぜ。それを言うなら、兄者はなんにも悩みなんてなかったから、そんな馬鹿みたいに背が伸びたんだろうな」


 二人はとても血の繋がった兄弟とは思えぬほどに、対照的な外見をしていた。

 長身のリューンに対し、カグラーンのほうはひどく小柄である。

 その身長は、ようやっと五エフテ(約一五〇センチ)を超えるか超えないか、といったところだ。

 また美男の兄に比べると、弟のほうはひどく不細工な顔だちをしていた。黒いぎょろりとした両目とやたら大きな口は、どこか蛙を思わせる。

 兄と同様、金属片で要所を補強した革鎧をまとい、腰には小剣を佩いていたが、お世辞にも似合っているとはいえない。

 まるで道化が芝居で傭兵の格好をしているように見えないこともなかった。

 実際、カグラーンは傭兵ではあるが、剣の腕のほうは大したことはない。


 彼の持つ能力は、通常の傭兵に求められるものとはまた別なのである。


「兄者、そろそろ戦の前の、儀式が始まる。ぐずぐずしていると、イルディスが兄者のぶんの加護の法力まで、他人に使っちまうかもれないぞ」


 それを聞いてリューンが言った。


「へん、イルディスはキリコの僧侶じゃねえか。考えてみるとキリコっていえば、もともとは太陽神に仕えていた軍神だろう? これから俺たちは、王様の軍勢と……いってみれば、太陽神の代理人どもと戦うんだ。キリコも俺たちのこと、守ってくれるかな?」


 途端にカグラーンが顔を青ざめさせた。


「兄者、滅多なことはいわんでくれ! 戦の前にキリコ様の悪口を言うなんて……なにしろキリコ様っていえば、俺たち戦の神にして、傭兵の守護神なんだぞ! だいたい兄者だって、いままで戦場で何度もキリコ様の加護で助けられているじゃねえか」


「ああ、わかったわかった」


 リューンは乱暴に髪をかきむしると天を仰いだ。


「えーと、ウォーザだけじゃなくて、キリコの神様も俺のこと、守ってくれよ」


 相変わらず、とても神に祈っているとは思えないような、荒っぽい言葉遣いである。


「まったく兄者は傭兵のくせに、キリコ様への信心がたりない。バチでもあたったらどうするんだ」


 カグラーンが怒るのも、ある意味では無理からぬことではあった。

 神々は現実にこの世ならぬ異界に存在して力を持ち、自らに仕える僧侶などを通して、俗に法力などと呼ばれる魔術的な力を人々に与えるのである。

 神罰も、現実の問題としてひどく恐れられているのだ。

 そのためリューンのように神々に文句を言うものなど、滅多にいない。


 野営地に戻ると、すでにリューン率いる雷鳴団に所属するキリコの僧兵、イルディスが何人かの者に加護の法力を唱えているところだった。


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