2 ウォーザの子
アルグとは、森や荒涼たる土地に住まう、人と猿が混じったような忌まわしい種族である。
セルナーダには魔術的な力を持つ獣、いわゆる魔獣が数多く生息しているが、アルグはそのなかでも最も畏れられている魔獣だった。
怪物的な力と鋭い爪、そして発達した牙は人間の肉を簡単に引き裂くことが出来るうえ、アルグの好物は人肉ときている。
おまけに彼らには人間に近い知性があり、独自の言葉を持つうえ、まじない師が使うのと同様の精霊魔術を使うのだ。
アルグに女性がさらわれる、といった不幸な自体は辺境ではさして珍しいことでもない。
運がよいものはすぐに殺され、その血肉を彼らが崇める邪悪な神々に捧げられて残った肉はむさぼりくわれるが、運が悪いとその前にオスのアルグのなぶり者とされることもある。
そしておぞましいことに、人間とアルグとは、混血が可能なきわめて近い種族なのだ。
そのため、異常に発育がいいリューンなどは「アルグの子」扱いされることが多かった。
また母の精神が不安定だったのも、村落に住む人々の不安をかきたてたようだ。
これはまじない師にはよくあることで、入神状態に陥ったりする際にはそれこそ精霊……場合によっては、神々……に憑かれるのだが、はたからみれば狂気にとらわれたようにしか見えない。
(あの親子は母親がアルグに犯されて気が狂って、子供のほうは混血の半アルグだ)
敵意と悪意は、リューンにとってなじみぶかいものですらあった。
だが、生来の運動能力と発達した肉体とで、リューンはそんな噂をたてた奴らをいつも文字通り、殴り飛ばしてきた。
そのたびにまた新しい場所へと放浪しなければならないわけだが、特に苦にもならなかった。
母がまじないの技とは別の理由で、夜、知らない男となにかをすることは知っていた。
いつのころからかリューンも人並みの性的な知識を仕入れ、母がなにをしているのかを理解するようになった。
しかし、不思議と心は痛まなかった。
(なんだ……俺がウォーザ神の子だってのは、どうやら嘘みたいだな。たぶん俺の本当の親父は、おふくろの「客」だったんだろうよ)
そんなことを考えはしたが。
基本的には、おそらくは二つほど年下の弟の面倒を、リューンは母に替わって看たものだ。
(おふくろも、カグラーンの世話をしてやればいいのに)
リューンは母に愛されて育ってきた。
ほとんど溺愛されてといってもいい。
だが、弟……すなわちカグラーン……をなぜか母は嫌っていた。
リューンと違い弟は不細工で体の発育も悪く、もしリューンが母親の替わりに世話をしていなければ幼少の頃に死んでいたかもしれない。
(この子はウォーザ神の子ではありません)
母はカグラーンの顔をみるたびに、そう言っては汚いものを見るような目で見つめていた。
自分自身の父親がウォーザ神かどうかはともかくとして、確かにカグラーンとは父親が違うだろうということくらいはリューンにも察しがついた。
おそらく母は、カグラーンの父に良い思いを抱いていないのだろう、と。
母親は「生まれが違いすぎる」の一点ばりで、カグラーンが我が子であることすら認めたくはないようだった。
結局、兄のほうは過大な母親の愛情にうんざりし、一方の弟は母への愛に飢えているというどこか歪んだ状況も、リューンが十二になったときに終わった。
母が死んだのだ。
場所は、アルヴェイアの東方辺境に近い場所だった。
グラワリア軍の略奪に巻き込まれ、母は兵士に強姦されるのを拒絶し、短剣で喉元をついたのだった。
それなりに見事な最後だったと思う。
リューンが最初に人を殺したのも、あのときだった。
暗い闇のなかで、長剣を振るう。
母を襲おうとしていた赤い軍装のグラワリア歩兵の姿が闇のなかに沈んでいく。
大量の真紅の血液が、闇をやがて赤く染めていく。
リューンの人生は血塗られている。
まだ幼い兄弟は、ある傭兵団に拾われた。
弟のほうは病弱とはいえ生来のずば抜けた記憶力と頭の回転の良さを買われ、傭兵団づきの魔術師から読み書きを教わった。
一方、リューンはといえば、剣一本で身をたてる傭兵になった。
それからもう十年の月日が流れた。
(なんだかやけに長いような、いや、短いような十年だったな……)
女を知り、酒を呑み、血に酔いしれた。
戦うのはリューンの性にあっていたし、たいていの者はなかなか慣れぬという流血も別に不快ではなかった。
(本当に俺の父親は、ひょっとしたらアルグ猿なのかもな)
それでも劣等感にさいなまれたりしないのが、リューンという男だった。
生来が陽性なたちとでもいうのか、悩むのは性にあわない。
ウォーザ神の子というのはいくらなんでも法螺だろうが、確かにリューンという男には古代の神々のような、原初の力強い、神話的とすらいえる並はずれた力があった。
単に膂力だけではなく、精神的にも、酒にも女にも、そしてもちろん戦にも、リューンは並はずれて、強いのだ。
だからこそ、今でも彼は信じている。
(俺はいつか……「嵐の王」になる)
王。
傭兵をしている間に、王というのが自分たちより遙かに偉いものであることは知っていた。
リューンの同僚だったある傭兵は言ったものだ。
(たいていの戦争ってのは、王だの貴族だのが喧嘩するから起こるんだ。ま、だからこそこんな傭兵なんて商売で俺たちが食っていけるわけだがね。まったく、王様たちがうらやましいよ)
(そんなに王様がうらやましいってんなら、あんたが王様になればいいじゃないか)
リューンの科白に、傭兵は爆笑した。
無理もない話ではあるが。
王になる。
誰もが法螺話かたちの悪い冗談だと思うだろう。
だが、リューンは自分がいつか、本当に王になるだろうことを疑ったことはなかった。
(ウォーザの神様が父親ってのはともかくとして、確かに俺は嵐の日には決まって勝ち戦になるし、なにか……そういう運命みたいものがあるのかもしれねえ)
母は落雷によってリューンを受胎したという。
「神の子」というあまりにも巨大な法螺を聞かされ続けてきたため、リューンはある意味ではそのあたりの、正常と異常を区別する感覚が麻痺してしまっているのかもしれなかった。
さすがに神の子というのは法螺かもしれないが、王になるくらいのことなら出来ないとも言い切れないだろう、くらいの感覚である。
そしてついに、その運命の階段を一段、昇るときが近づき始めている。
(あのお姫様……レクセリア王女ともあんなことがあったし、続いてエルナス公にも会えて、王宮に来いって言われた……こんな『偶然』があると思うか?)
むろん、リューンはそれが偶然でないことを「知っていた」。
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