3 青玉宮

 アルヴェイアの王宮にはさまざまな呼び名がある。

 単純に「王城」と呼ぶ者もいれば、「青の宮殿」などと呼ばれることもある。

 建物そのものは白い大理石や花崗岩といった石材で建てられているが、場所によっては青い色漆喰を用いたり、あるいはスレートの屋根なども青く塗装しているためだ。

 「青玉宮」などという別名もあった。

 外郭の高さは実に四十エフテ(約十二メートル)もあり、さらには外側にはアルヴェイス河からひいてきた水をたたえた堀で守りを固めている。

 度重なる戦乱によって破壊されたかつての帝国期の宮廷の一部を改修し、増築を繰り返してきたため、その構造は複雑きわまりないものとなっていた。

 基本的には王の起居する本丸や、王妃や王女たちが住まい、宦官が管理する後宮からなる王家の関係者の居住施設である。

 だが、同時に王宮は、アルヴェイア国政の中心地としての機能も有していた。

 城壁のなかには王国財務院に法務院、さらには軍務院などの行政機関が設置されている。

 貴族出身者の他、民間からも登用された礼装の文官たちに、王宮を警備する王国軍生え抜きの近衛兵、さらにはあのトカゲの民ゼルヴェイア近衛などが、迷路のような王宮の回廊を闊歩していた。

 西隣では二本の塔からなるユリディン寺院に隣接し、東には三本の尖塔と硝子の屋根、黄金に塗られた大伽藍を持つ太陽神ソラリスの大寺院と接している。

 知識と魔術の神ユリディン、そして王国の守護神であるソラリスの僧侶たちのローブ姿を王宮のなかで見かけることもさほど珍しいことではない。

 平時であれば土耳古石や青玉色の屋根の下で美しい衣装に身を包んだ女官たちがなごやかに笑いさざめくさまが見られるものだ。

 だが、一週間ほど前から、青玉宮のなかには普段とも微妙に異なる、はりつめた、物々しいとも騒々しいともいえる空気が漂っていた。

 なにしろ諸侯会議を控え、メディルナス王宮は大量の外来者を迎えているのだ。

 それぞれ特徴のある家紋を染め抜いた衣装に身を包んだ貴族諸侯たちの臣下が、互いに張り合うように肩をいからせては回廊を歩き回っていた。

 諸侯会議開催に伴い、諸侯が引き連れてきた供回りの者たちである。

 諸侯会議が終わるまで、王宮で彼らの面倒を見なければならないのだ。

 王宮の世話係や女官たちは、多くの客を抱えて大わらわだった。

 貴族たちがみながみな、友好的な関係というのであれば別に問題はないのだが、現実にはそうもいかない。

 姻戚関係を結んだ友好的な家系もあれば、所領などを巡って対立している者たちも少なくないのだ。

 久々の再開を喜び合っている者たちがいる一方で、主君と仲の悪い領主の臣下とたまたま顔を合わせ、ひどく険悪な雰囲気を漂わせている者も珍しくはない。

 さすがに王宮内で刃傷沙汰は御法度とはいえ、万一ということもある。

 特に敵対関係にある諸侯の臣下同士がなるべく顔をあわせぬよう、王宮で働く者たちは知恵を絞って部屋割りをしていた。

 諸侯会議の際、王宮に引き連れることの出来る供回りの数は、爵位などによって制限されている。

 それでも、平時の何倍もの「客」を抱えて、王宮のあちこちでささやかな騒ぎが起きていた。


「ウィルダース伯の配下の者が、部屋が狭いとご不満の様子で……」


「いいか、アーニ子爵には、絶対にラキスト産の葡萄酒はお出しするなよ。あのお方とラキスト伯とは三代前からいろいろと遺恨があってな……」


「『クローミルの間』の麦酒の樽が足りません! あと、大兎の丸焼き、これは隣の『アシェイラの間』に運んで!」


「だれだ、このシーツの支度をしたのは! 汚れがとれていないぞ! まったく、洗濯女の奴ら、なにやってやがる! こんなシーツを侯爵閣下の寝台に用意したら、侮辱したと思われかねないぞ!」


 食事の支度に始まって、寝室の準備、あるいは厠のほうまで、本来の許容量を超える人数が集まったことで王宮内は大騒ぎである。

 むろん、とてもではないが諸侯の供の者たち全員が王宮内に宿泊できるはずもない。

 高級な宿はむろんのこと、普段であれば騎士たちなどは決して泊まらぬような木賃宿まで、メディルナス市街の宿屋が繁盛していた。

 なかにはメディルナスの都の城壁の外に、天幕をはって寄宿している者もいるほどだ。

 ある意味では活気に満ちた、それこそ戦場のような一週間だった。

 だが、いままでの騒ぎはいわば祭りの序盤に過ぎない。

 ようやく最後にして最大の賓客であるエルナス公爵も到着し、いよいよ、祭りの本番とでもいうべき、諸侯会議が開催されようとしていた。

 今回の諸侯会議も、いつもと同様、王宮の大広間の一つ、「青玉の間」で行われることになっている。

 王宮と同名のこの広間で、重要な国事が行われるのが通例だった。

 縦横三百エフテ(約九十メートル)もある、床に青い絨毯の敷かれ、カーテンまでもが青で統一された巨大な青づくしの広間である。

 俗に「アルヴェイア百諸侯」などと呼ばれるが、今回、王の名において招集をかけた者たちは総勢、三十二名にのぼる。

 アルヴェイアのさまざまな地方からやってきた貴顕たちが、大きな輪を描くようにして置かれた幾つもの卓の傍らに、すでに着席していた。

 ほとんどは男性だが、なかにはヴィンス公爵夫人ウフヴォルティアのような女性もいる。

 貴族たちはみな、第一礼装と呼ばれる、最も重要な国事の際にまとう衣装を身につけていた。

 なかでも重要なのが、まず外套である。

 古来より貴族たるもの、家紋を入れた外套は領主としての権威の象徴とされていた。

 そのためみな外套には金をかけている。

 椅子に座る際は邪魔になる外套を外し、それぞれの座席の後ろに置かれた特別製の外套掛けにかけておくのが、諸侯会議での習わしとなっていた。

 広げられた外套は、諸侯の後ろにまるである種の旗を立てているようにも見える。

 会議の最中、たとえその人物が誰か顔だけではわからなくても、背後に広げられた外套をみれば、どこの貴族か一目で識別できるようになっているのだ。

 さまざまな色合いの獣や器物、あるいは植物などをかたどった家紋を見れば、その人物が何者か即座に判別できるのである。

 色合いもかたどったものもさまざまだが、意匠にはそれぞれ約束事がある。

 まずは外套の中心に、外套の持ち主本人の家系の巨大な家紋が配置されている。

 それを取り巻くように、複数の小振りな家紋が花の花弁のように配置されていたが、これは現在の当主と姻戚関係にある家系の家紋である。

 金糸や銀糸、その他、家系ごとにさまざまな色を用いた複雑な模様で飾られている。

 外套を見ればその家門の歴史や領内の状態がわかるといわれるほど、模様の一つ一つにさまざまな意味が込められていた。

 たとえば金の槍の模様であれば、百人の騎士を抱えているという証であるし、麦穂の模様は所領から算出されるセルドラ麦やネルドゥ麦といった穀物の量を意味するものだ。

 どの貴族の外套も襟のあたりは貂や狐といった獣のふわふわした高価な毛皮で飾られており、生地本体も絹や最上等のリナフェイルの毛織物といった値の張るものを用いていた。

 外套は貴族の権威の象徴なのだから、金を惜しめば他家に侮られることになる。

 だが、貴族にとって外套よりもさらに重要なのが、彼らが首から鎖で首飾りのようにかけている「爵具」と呼ばれる金属器だった。

 もともとは杯なのだが、さまざまなごてごてとした装飾が施されているため、ほとんど杯しての原型をとどめていないものが多い。

 新王が即位する際、王は儀式として指を短剣で切り、その血を葡萄酒で満たした巨大な黄金の器に落とす。

 王に忠誠を表す貴族は、自らの爵具を使ってその聖別された葡萄酒を汲み、飲み干すのである。

 爵具とは、王の血を入れた葡萄酒を汲むための祭器なのだ。

 ただし、これはセルナーダの多くの儀礼がそうであるように、単なる象徴的な行為ではない。

 実は爵具も、「王器」と呼ばれる葡萄酒を入れておく黄金の巨大な器も、それぞれがソラリス寺院の僧侶たちに祝福をうけた法力を帯びた品なのである。

 王の血を入れた葡萄酒を爵具で口にした者は、ソラリス神の力によって王本人との霊的な繋がりが生まれるのだ。

 この繋がりには軽い強制力めいたものがあり、もし王に反旗を翻すようなことがあればある種の呪いとなって、現実にその貴族の体に災いをもたらす。

 実をいえばアルヴェイアをはじめとする三王国の中央集権が機能してきたのには、この爵具の持つ魔力も小さくはなかった。

 自分の体が弱ったり、病気になったりするのを覚悟で王家に反抗しようとする者は当然のことながら少なかったのだ。

 だが、近年、異変が起きた。

 いまから八年ほど前に、突如、ソラリス神の力が極端に弱まったのである。

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