第三章 諸侯会議

1 アルグの子

 夢のなかで、長剣を振るっていた。

 柄を革で巻かれた、古びた剣だ。そもそもいつこの剣を手に入れたのかも、リューンは覚えていない。

 たぶん、これは生まれて初めて手にいれた剣だろう。幼い頃から、リューンはこの剣を使って遊んでいた。


(おふくろの客の支払いだったのかな)


 と後にしてみれば思うこともある。

 リューンの母は、いわゆるまじない師だった。

 まじない師とは、遙か古代からこのセルナーダの地に伝わる魔術の専門家である。

 そもそもセルナーダの魔術は、ネルサティア系の、いま一般に「魔術」と呼ばれているものとは系統が全く異なるものだ。

 ネルサティア魔術が地水火風闇のいわゆる五大元素を基本とする考えなのに対し、セルナーダ古来の魔術は「精霊」と呼ばれる存在を行使するのだ。

 古代セルナーダの思想によれば、精霊とは万物に宿る霊的な本質のようなもの、らしい。

 たとえば巨岩にはおのずと岩の精霊が宿り、また樹木、あるいは河川、鉱物などにもそれぞれ固有の精霊が宿るという。

 こうした精霊と直接、交感することで魔力を行使するがセルナーダのもともとの魔術だった。

 また人々や動物の霊体なども、彼らが使役するものである。

 ネルサティア魔術を使う魔術師からみれば、原始的で、野蛮な魔術といえるだろう。

 だが、いまでもこうした魔術を使い、精霊と交感する職能が残っている。

 すなわちリューンの母のような、まじない師である。

 かつてはまじない師は巫女や巫覡などとも喚ばれ、精霊はおろかさらに強大な力をふるう神々とも通じることが出来たという。

 しかし、いまではまじない師といえば、悪霊祓いをしたり、あるいは憑き物を落としたり、さらには精霊を使って魔力を……ネルサティア魔術に比べれば効果はかなり低いが……ふるったりする、社会的に見ても下層の存在である。

 ネルサティア魔術の術者も一般の人々からは畏れの目で見られているが、まじない師に対して、人々は畏れと同時に強い蔑視も抱いている。

 ネルサティア系の「正当な魔術」が普及するにつれて、いつの頃からか古代からのセルナーダ特有の魔術を使うまじない師たちは、卑しむべきいかがわしい技を使うもの、とみられれるようになったのだ。

 正確にいえばネルサティア系の支配者と魔術師たちが、そういうふうに喧伝してまわったのだが。

 そのため、この時代、まじない師といえば社会の底辺に近い階級である。

 僧侶やネルサティア魔術の術者とも異なる、小さな俗っぽい魔術を行使する奴ら、と世間の人々はまじない師のことを考えている。

 リューンとカグラーンの母は、そんなまじない師の典型だった。

 姿形はぼんやりとしか覚えていないが、彼女が特に嵐に関わる精霊をよく使ったのははっきりと覚えている。

 小さな稲妻を放ったり、あるいは雨乞いを成功させたりもしていた。

 かなりの術者だった、といってもいいだろう。

 世間から白眼視されることが多い職業ではあるが、母はむしろそうした世の中の人々を見下していた。

 いつも彼女は、息子に自分の血統を自慢していたものだ。


(いまでこそ我々は下々の者に混じっていますが、もともとは私たちの一族は、かつてはセルナーダ一の勇士を輩出した大氏族でした。私の祖母の祖母を辿っていけば……)


 侵略者であるネルサティア人の文化が父系を重視するのに対し、古代からのセルナーダ文化は母系に重きをおく。

 従って、ネルサティア人の侵入する以前、遙か古来から伝わってきた技を継承するリューンの母も、先祖のことは祖母の祖母、という形で表現した。


(リューンヴァイス、お前にはその古の、純粋な古代セルナーダの地が流れているのです。金色の髪も、大きな逞しい体も、もともとは我らの祖母の息子たちがもっていたものなのですから……それに、お前の、その瞳)


 あれはいつのことだったろうか。

 まだカグラーンが乳飲み子だった頃だから、四つくらいだろう。

 おそらくリューンの故郷、アルマティアのどこかだろう。

 アルヴェイア王国の南東部、南アリッド山脈に接する寒冷な土地の、どこかの村の馬小屋で、リューンは母が彼を身ごもったときの話を初めて聞いたのだった。

 それは、彼が覚えている最古の記憶である。


(あれはそう……暗い夜でした)


 母はなにかに憑かれたような表情で言った。


(場所は雷鳴山の麓、嵐の力の強いところです。雷鳴山のことくらいは知っていますね)


 雷鳴山とは、一年中とまではいかぬものの、四日に三日は強烈な嵐が吹き荒れているという苛烈な岩がちの山で、南アリッド山嶺一の高峰である。

 常に雷雲と稲妻が蠢いているところから、嵐の神ウォーザの聖地とされていた。

 ウォーザ信仰では、天上に住むウォーザ神が地上に嵐をもたらすのはこの山の頂からとされている。


(私は……ある日、故郷を抜け出して以来、ひたすらに雷鳴山にむかって駆け続けました。私は確かに「神の声」を聞いたのです。その声は、私に告げました……「お前は神である我ウォーザの子を産む定めにある」と。私は神のお言葉に従い、そして一条の雷をうけたのです)


 確かに母の顔の右側から右腕にかけて、醜く焼けただれたような痕が残っていた。


 彼女が落雷を浴びたのは、おそらく事実だろう。


(そして私はお前を身ごもり……神の子であるお前を産みました。お前が目を開いたとき、右目が青く、左目が銀のような灰色をしていても私は驚きませんでしたよ。あなたは「嵐の王」になる定めなのです)


 それは、古くからセルナーダに伝わる伝承だった。

 おそらくは古代セルナーダ先住民の残したものだろう。


 やがて太陽は一度、天より失せ、その後ふたたび新しき太陽がのぼらん。ウォーザの目をもてる者、しかる後に嵐の王とならん


 という詩句である。

 単に「嵐の王の予言」とも呼ばれている。

 母の最初の衝撃的な「告白」以来、リューンは毎晩、母にこの話を聞かされてきたのだった。

 幼少の頃は決して豊かな生活ではなかったが、特に自分を不幸と感じたことはなかった。

 記憶を遡れば、母とカグラーンとともに、あちこちをさまよい歩いていた頃の情景が蘇ってくる。

 まじない師というのは、定住する者と流浪と者との二種類に大きく分けられたが、リューンの母はどちらかといえば後者に近かったといえる。

 定住する者のまじないは、精霊の力をよいほうに使うことが多い。

 また、同じ村落共同体……まじない師が都市に住むことまずないといっていい……にネルサティア魔術を使う「同業者」がいない場合、村内でそれなりに高い地位を得ることもある。

 農村で信仰されているいわゆる「実りの神々」は主神こそネルサティア系の太陽神ソラリスだが、他には嵐の王たるウォーザや、大地母神アシャルティスといったセルナーダ古来の神々が多いため、僧侶たちからもある種の「身内」として扱われることもある。

 だが、日常の生活で役立つ技の他にも、まじない師は精霊を使って敵を呪ったりも出来る。

 こうした者は、流れのまじない師となるしかない。

 リューンの母は、こうした攻撃的なまじないの技を得意としていたのだから、あちこちを放浪したのも仕方のないところだろう。

 幼少の頃の記憶では、一所に半月ほどいては旅に出る、ということを繰り返していた記憶がある。

 母は、まじない師としてはかなりの腕の持ち主といって良かったが、たとえ癒しのような人の役に立つような術を使ったときであっても、周囲の人々……特に保守的な女性……から嫌悪の目で見られることも多かったのだ。


(あれはね、よくない女だ。まじないで男をたぶらかすのさ)


(父なし子を二人も抱えているだろう? あの子たちの父親だって、いったいどんな相手が知れたもんじゃない)


 子供の頃から、リューンは並はずれた長身の持ち主だった。同じ年頃の子供より少なくとも三つは年上に見られたものだ。


(あの子たちの父親はね……本当は、アルグ猿かなにかだよ)


 それは、セルナーダに住む者の間では最上級の侮蔑の言葉といって良かった。

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