第四章  飛躍の前

1  会談

 サティネスの街は、公的にはネス伯領のなかのただの街である。

 ネス伯領の中心地は、あくまで領地と同名の、ネスの街だ。

 サティネスでいう副伯という称号も、正式にアルヴェイア王国で認められているものではない。あくまで、ネス領内でのみ通じる称号なのだ。

 なにしろ夜ということもある。レクセリアの目には、街の細かい様子などほとんどわからなかった。ただ、まるで森で息をひそめる獣に取り巻かれるような視線は感じた。

 周囲には、どこかおびえたような様子で、一応はネスの紋章を身につけた兵士たちが、リューンとレクセリアを取り巻いている。

 リューンは大剣を外すよう促されたが、公然と拒否した。そのあまりに堂々とした態度に、兵士たちも完全に気圧されてしまっている。

 リューンはともかく、レクセリアはアルヴェイアの王妹である。失礼があってはならないと、言い聞かされているのだろう。

 老騎士ヴァトスは相変わらずいろいろと愚痴をがなりたてていたが、レクセリアもさすがにうんざりして老人を放置していた。

 やがて、レクセリアたちは城壁と一体化した、城らしい構造物の内部へと案内された。

 広々とした広間である。

 石床の上に、木製の巨大な卓が置かれている。その周囲には、矛槍を持った兵士たちが十人ほど並んでいた。

 そして、卓の向こうに、いささか緊張した面持ちで、一人のまだ若い男が立ちつくしていた。


「これは……」


 まだ、リューンが背に大剣を背負ってるのを見て、ネスの領主代理、副伯ネスヴィールが一瞬、驚いたような顔をした。


「いや、しかし……」


「案ずることはありません」


 レクセリアは言った。


「『嵐の王』は、誇り高いおかたです。彼から剣を奪うには実力で奪うしかありません。しかしながら、もしそんなことを考えれば、そちらもただではすみませんよ」


 それは、ほとんど、否、明らかに恫喝である。


「ま、というわけだ」


 そのままリューンが、青と銀の瞳で、周囲を見渡した。


「そっちもずいぶんと兵士をそろえているみたいだが……こっちは、剣持ってるのは俺一人なんだ。ま、これでおあいこってところだろう」


 実際の戦闘力では、リューン一人のほうが遙かに強力だとレクセリアは思うのだが、よけいなことを言ったりはしなかった。


「どうぞ、席におつき下さい。王妹殿下」


「いえ……それより、『陛下』が先に」


 これは、レクセリアにとっても一種の賭けだった。

 あくまでも、ネスヴィールは「アルヴェイア王国の王妹であるレクセリア」に対して礼儀を払っている。そのレクセリアは「自分より上位の存在」として、リューンを「陛下」と呼び、着席を勧めたのだ。


「どれ、よっこらしょっと」


 リューンは、周囲の目を気にした様子もなく椅子に座ったが、彼は決して愚かではない。

 この、着席の順序からすでにいろいろと、政治的なものが絡んでいることを看破しているだろう。

 続いて、レクセリアも着席した。

 最後に、ネスヴィールが席についた。

 ネスヴィールの顔は、いくぶん青ざめている。あるいは、怯えているのかもしれない、といくぶんレクセリアはネスの双子の弟に対し、同情的な気分になった。

 なんといっても、「嵐の王」に「アルヴェイア国王の王妹」を招く立場である。彼らに接触するだけで、ある意味ではひどく危険な立場に置かれるのだ。


「さて……では、そちらの御仁をどうお呼びすればよいのか」


 ネスヴィールが、リューンを見ていささかうろたえたように言った。

 決してネスヴィールは臆病でもなければ暗愚でもない。アルヴェイア有数の名族に生まれ育った貴種であり、能力も人物眼もある。

 その彼でさえ臆するほどの力を、確かにリューンは放っていた。

 ある意味では、野生の肉食獣を食卓に招いているのと似たようなものだ。それほどに、剣呑な空気をしらずのうちに放っている。

 さらにいえば、リューンという男は、いつしか自ずと王者の風格めいたものさえ漂わせ始めていたのである。


「俺は……ええと、一応はグラワリア王ってことになっているが、それもこう、面倒だし……嵐の王っていうことにもなってるが、陛下って貴族のあんたに呼ばれるのもなんだかこう、むずむずしていやなあんばいなんで、リューン殿、くらいでいい」


「無礼なっ」


 何人かの周囲の兵士が色を成したが、ネスヴィールはさすがに腹が据わっていた。


「よろしい。では、貴殿はリューン殿とおよびしよう。さて、殿下……」


 ネスヴィールは、レクセリアを見つめた。


「殿下が、アルヴェイア国王シュタルティス二世陛下の真の妹御であることは疑いようもない。しかしながら……その……」


「あるいはなにかの魔術の影響下により、意識を支配されているとでも?」


 ネルサティア魔術でも、特に水の系統の術者には、他者の精神を操作するものがいる。このため、貴族などはこうした術に対する護符を身につけるのが日常化しているが、ネスヴィールがそうした点を疑うのももっともな話ではあった。


「なにぶん、その……こうしたことは、前例がございまぬゆえ。黄金の血をひくおかたが……その……」


「どこの生まれともつかぬ傭兵風情と結婚なんて信じられん、って話か」


 リューンはにやりと笑った。


「一応、言っておくが、俺もレクセリアも、別段、好きこのんで結婚したわけじゃあない。俺たちはガイナス王に騙されたんだよ。それで、いつのまにか夫婦ってことに……」


「その点については私からお話しましょう」


 レクセリアは、グラワリアのかつての王宮、いまは名前の通り、炎に包まれて燃え尽きてしまった紅蓮宮での出来事を語り始めた。

 アルヴァドスとの王位をかけた決闘との下りにさしかかると、ネスヴィールは目をむいた。どうやら、ただの噂だと思っていたらしい。


「というわけで、リューンは戦いに勝利し、ガイナス王から次代のグラワリア王位を授かりました。しかし、その場で起きたのはそれだけではありません……」

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