14  ネスヴィール

 リューン軍となってアスヴィンの森をゆく間、レクセリアは自分の身分など忘れていた。呑気にそんなことを言っていられる場合でもなかった。

 だが、「人の世」に戻ってくると、またそうした古くからのさまざまな因習の鎖が勝手にからみついてくるのである。

 ネスヴィールは、どうするのだろうか。

 もし、彼が古くからの道を守るつもりならば城門は閉ざされたままだろう。いくらリューン軍が精鋭揃いとはいえ、これだけの規模の城郭を百人でおとすのは不可能である。さきほどのような十数倍の敵に勝利できたのは、あくまで野戦であり、しかもごろつきたちをうまく利用したからだ。第一、ここでサティネスを落としたら、今度はリューンたちが悪役になってしまう。


(ネスヴィール……ここがおそらく、あなたの一生の分かれ道ですよ。このまま、兄の影として過ごすか、それとも……)


 だが、と同時にレクセリアは思う。

 もしリューンに逢えば、おそらくネスヴィールの運命は変わる。それをレクセリアは経験で知っている。

 だが、その運命の変化は、果たして彼にとって良いものなのだろうか。

 嵐の王とは、荒ぶる力の化身ではないか、そんなことをときおり思う。

 そもそも嵐の王に加護を与えている、いわば守護神たる嵐の神ウォーザは、暴風と雷、豪雨といったものを司る神格なのだ。

 嵐による降水がなければ作物は育たない。それゆえ、農村の人々は「実りの神々」の重要な一柱としてウォーザを崇めている。だが暴風の神は一歩間違えれば、恐ろしい災厄を引き起こすのだ。

 レクセリアは一刻も早く、兄である国王とエルナス公の内戦を終結させ、アルヴェイアに秩序をもたらすことを望んでいる。そのために、この「嵐の王」の力が役立つと信じている。

 だが、もしもそれが間違いだったら?

 あるいはリューンはむしろ、混乱と戦乱をアルヴェイアにもたらす者だったとしたら?

 だとしたらもし、ネスヴィールがリューンとあえば、彼の運命もまたおかしな具合にねじ曲がってしまうかもしれないのだ……。

 そのときだった。

 いままで沈黙を保っていた城壁の上から、若い男の声が聞こえてきたのは。


「私はネス伯爵ネスファー卿より領地を預かるサティネス城代ネスヴィールである」


 たしかに、その声はネスヴィールのものに間違いなかった。


「貴公らがまず、グラワリアの軍勢を追い払ってくれたことに対しては、素直に礼を申し上げる。しかしながら……そちらには国王陛下の妹御レクセリア殿下がおられるとのことだが」


「その通りです、ネスヴィール!」


 レクセリアは叫んだ。


「私の声……覚えているはず」


「確かに、よく似ておられるが」


 ネスヴィールの声はどこか冷ややかだった。


「万一、騙りなどであれば……どのような処罰をうけるか存じておろうな」


 王族を騙るなど、大罪である。文字通り、万死に値する。


「むろんのこと! 私は騙りなどではありません! いくらネスヴィールといえども、私に対する非礼は許しませんよ」


 あえて、レクセリアは強く出た。


「ふむ……そのご気性、なるほど、『本性を出したときの』レクセリア殿下そのままのようだ」


 途端にレクセリアはかっとなったが、すぐに怒りを抑えた。ネスヴィールの声に、どこか親近感に似たものを感じとったのだ。


「しかしながら、もしレクセリア殿下がそちらにおられるとしても……『嵐の王』なるものは、私は知らぬ」


「おいおい、俺は……」


 なにかを叫ぼうとしたリューンを、レクセリアは素早く目で制した。こういうときにリューンに喋らせると、面倒なことになる。


「嵐の王は、アルヴェイアに平和と統一をもたらすもの」


「これは異な事を仰せられる」


 ネスヴィールの口調がいささか固くなった。


「すでにアルヴェイアは、国王シュタルティス二世陛下の御許、一つの国である。エルナス公が大逆をなしてはいるが、いずれ賊軍も討伐されるであろう」


 つまり、ネスヴィールはあくまで公式には、自分たちは国王派についている、と言っているのだ。


「しかしながら、私も国王陛下の臣下たるネス伯に仕える身、となればレクセリア殿下を粗略に扱うわけにはいかぬ。よろしい……レクセリア殿下を、客人として歓迎しよう。そして、嵐の王とか申す者も」


 つまり、二人だけでサティネスに来いと、ネスヴィールは言っている。

 しばしレクセリアは逡巡した。

 少なくともネスヴィールと直接、話す機会ができれば、大きな前進といえる。だが、いくらリューンが戦士として図抜けた力を持つとはいえ、二人だけというのは、いざというときに……。

 そんなレクセリアの不安を見越したように、リューンが言った。


「かまわねえよ。二人きり、夫婦水入らずってのもいいじゃねえか」


 むろん、リューンは危険を承知している。こういうときには、やはり「夫」としてリューンを頼もしく思う。


「平気だよ、なに怖じ気づいてやがるんだ。俺はお前を助けにアルグ猿のところに殴り込んで、連中が呼び出そうとしたろくでもない神様もどきまで倒したんだぜ? もう忘れちまったのか?」


 いわれてみれりばその通りだ。

 まるで叙事詩の一節のようだが、あのアスヴィンの森のなかで、リューンはアルグの呪術師たちが異界から召喚した彼らのよこしまな半神すらも、大剣をふるって倒したのである。


「アルグの信じる化け物とはいえ、神っていやあ神だ。そんなものに比べれば、こんな城に閉じこもってる兵士の百や二百……ものの数じゃねえな」


 そう言って、リューンは凄みのある笑みを見せた。

 実際、リューンのことだから二百人はさすがに無理でも、百人くらいはひょっとすると本当に倒してしまうかもしれないと考えるあたり、すでにレクセリアの感覚も、ある意味、おかしくなっているのかもしれない。

 レクセリアはリューンにむかってうなずくと、言った。


「わかりました。私と嵐の王リューン、そしてこちらが一時的に『身柄を預かっていた』騎士ヴァトス・ネセルスと一緒に、そちらに参りましょう。さあ、城門を開いてもらえますか?」

 

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