11  残虐遊戯

 青い空には綿のような雲が浮いている。

 本来であれば、あたりには緑からそろそろ黄金の色合いに変わり始めたネルドゥ麦が豊かに実り、大地を淡い萌葱色に変えているはずだ。

 だが、すでに畑は焼かれ、その変わりに六千の軍勢がナイアスの北の都を完全に包囲していた。

 また、投石機から人体が発射される音がする。渋い顔をして、セムロス伯ディーリンはその様子を見つめていた。

 準備は万端なはずだった。完全に、ナイアス候家の主邑は囲まれている。もしナイアス候が逃げるつもりならば、たぶん橋をわたって南の城門を開けて、そこから逃亡するだろう。南の都側に五百しか兵を配置していないのは、いざというときに敵を逃がすためのものでもあるのだ。

 完全に周囲を取り囲めば、敵は徹底抗戦を計ろうとする。だが、逃げ場があれば、そこから敵は逃亡することができる。

 実際、近頃ではディーリンは、さっさとナイアス候が軍勢を率いて南から脱出してくれないか……そんな気分になっていた。

 攻城戦がうまくいっていないわけではない。むしろ、ほぼ完璧に進んでいると言っても良いだろう。

 だが、ディーリンが予想もしていなかった変化が、王軍のなかのアルヴェイア人部隊に起き始めていた。

 朱に交われば赤くなるというが、それにしても、あのセヴァスティス麾下の「悪夢隊」の放つ毒にでも染まったというのだろうか。


「閣下」


 そのとき、ついと一騎の騎士が馬を寄せてきた。

 青と白の陣羽織に、異様なほどに長い検視を持つ三十半ばほどのがっちりとした体躯の男だ。彼はこそは他ならぬ、かつては「ハルメスの鮫」と恐れられていたが、最近は「敗北伯」などという不名誉な名をつけられつつある男だった。

 爵位でいえば、ともに同格の伯爵である。さらに家格でいえば、ハルメス伯家は古くから続く名門だ。

 とはいえ、現在では言うまでもなく、セムロス伯のほうが格上である。経済力、政事における影響力など、とても比べ物にならない。さらに現在はセムロス伯が青玉宮と王家と王を、実質的に裏で操っているのは衆目の知るところだ。

 だが、あえてディーリンはいつものように穏やかな笑みを浮かべると、対等の立場として言った。


「ネルトゥス卿は、あるいは攻城戦では退屈ですかな? 貴殿の勇猛ぶりは……」


「いまは、そんな戯れ言を言っている場合ではありますまい」


 内心、ディーリンは感心した。

 かつてのネルトゥスは武人だが、あるいはそれゆえなのか、普段はかえってどこか臆病な感じがしたものだ。戦場では獅子奮迅の働きをするくせに宮廷内では居心地が悪そうにしている武人、それがかつてのネルトゥス像だった。

 このところの連敗という試練が、あるいはネルトゥスという男を一回り成長させたのだろうか。


「失礼ながら、ディーリン卿がひきいれたあの毒蛇の毒は、敵よりもむしろこちらに効きすぎたようですよ。特に兵卒にとって……あれは、よくない」


 さすがにディーリンは兵の心の動きには敏感、ということか。「ハルメスの鮫」の異名はいまだ健在だ、とディーリンはひそかに思った。

 だが、あえてとぼけてみる。


「と申されますと? はじめのうちはネヴィオン兵とも諍いがあったようですが、いまではアルヴェイア兵も……」


「同じ毒に染まりつつある」


 ネルトゥスはにべもなかった。


「いまのアルヴェイア兵はほとんどが諸侯が徴用した農民兵……彼らは元々、世間というものを知っているわけではありますまい。そこでいきなり『あんな刺激』を与えられたら……」


 やはり、ネルトゥスは味方につけておくべき男だ、とディーリンは思った。こちらの危惧をすでに見抜いている。


「なるほど、攻城戦とはいえ戦は戦だ。多少は気が高ぶることもありましょう。酒をくらって喧嘩をする程度ならまだよい。むろんこちらは処罰をくわえますが……近隣に潜んでいた善良なナイアス候領の農民を、ネヴィオン人たちはなぶりものにして遊んでいる。最近では、アルヴェイア兵までもがそれに加わっている。これはゆゆしき事態ですぞ」


 ネルトゥスの言っていることは正論だった。


「確かにナイアス候が王家に背いた、これは立派な反乱でしょう。しかしナイアス候家の領民には罪はない。だというのに、アルヴェイア兵も『反逆者』の大義名分をもてば人に……同じアルヴェイアの民にはなにをしてもよいのだと思い違いを始めている!」


 いちいち耳にいたい言葉だが、耳に快い言葉を聞き続けた者の魂がすぐに腐ることをディーリンはよく知っていた。


「貴殿のおっしゃることはわかる」


「では、なぜセヴァスティス将軍を野放しにしておくのです」


 ネルトゥスの首筋が怒りのためか赤く染まった。


「あれは諸刃の剣……むろん、閣下もそれはご承知のはずだったでありましょうが……これはさすがに酷すぎる。人を投石機で名蹴込んで『遊ぶ』などという馬鹿げたことをしていれば、王軍の名は地に墜ちますぞ」


 セヴァスティスは、口では「城内に籠もる市民たちの士気を下げるため」と吹聴している。だが、ディーリンの目から見ても、義理の弟の行いは残虐きわまりない遊戯にしか思えなかった。


「これでは、エルナス公に逆利用される。王軍は非道の軍と言われればこちらとしては反論ができない。敵に反逆する大義名分を与えるだけではありませぬか! いくら諸侯が利で動くとはいえ、ものには限度がある。このままでは、エルナス公に諸侯が集まることも……」

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