12  援軍

「だが、相手は『かの女神』の信者かもしれぬのだぞ」

 

 ディーリンは、声が震えぬように気をつけて言った。「かの女神」とは言うまでもなく死の女神ゼムナリアのことだが、「女神本人が」この言葉を聞きつけているとも限らない。

 セルナーダの地では神々は象徴でも単なる信仰の対象でもない、ときおり現世に降臨するような者たちだからだ。


「正直な貴殿の意見を聞きたい。私は、エルナス公が真に『かの女神』の信徒である可能性は高い、そう考えている」


 しばしネルトゥスは沈黙していた。


「……嘘からでた真、ということですかな」


 辛辣な言葉だった。

 事実、ゼムナリア信者の疑いをかけて、ゼルファナスを陥れようとした。それは確かだ。だが、あの時点ですでにディーリンは「あるいは」と疑っていた。


「もしゼルファナスが『そうであった』場合……決して、我々は負けられぬ。太陽と生命を司るソラリス神の御子たちが、三王国の王なのだ。その玉座に、『かの女神』の信徒がつくことなど決して、許されぬ……」


「あるいは」


 ネルトゥスが、低い声で言った。


「すでに……三王国の命脈は尽きようとしているのではありますまいか。太陽の子らが王たちとなる時代はもう……」


「なにを」


 一瞬、ひどい眩暈を覚えた。同時に左の脇腹に、例の鈍い痛みが走った。


「なにを仰せられる。ネルサティア人が来訪してよりこのかた、セルナーダは太陽王の血に連なるものが支配してきたのだ。帝国の時代も、そして帝国が三王国に分立しても、王は……」


「では、『嵐の王』の存在は?」


 嵐の王。あのガイナスが次代の王に認めたとかいう傭兵あがりのことか。


「はは、ネルトゥス卿。あれは酒毒のまわったガイナス王の最後のいやがらせのようなもの。ああしておけばグラワリアは乱れ……」


「真は、閣下のような聡明なおかたはすでに気づいておられるのでは」


 ネルトゥスの言葉に、極力、反応しないようにディーリンはつとめた。


「すでに太陽の王の時代は終わり……新たな風が吹きつつあると。その風はやがて大いなる嵐となり、あるいは世は闇に包まれるかもしれぬと」


「失礼ながら、それは妄言というもの」


 そうだ。そうしたことは、すべて妄言ということしなければならないのだ。

 そんなことをすれば可愛いセムロスの民が苦しむ。アルヴェイアの民も苦しむ。いや、すでに戦に巻き込まれ、セヴァスティス率いる兵たちにおもちゃのように嬲られているものたちすらいるのだ。


「閣下……閣下は、大したお方だ。あるいは、閣下のようなかたこそが真であれば王位に就くべきかもしれない。初めは、国を割りわざわざ大きな戦に持ち込むなど、民に害を与えるだけど思っておりました。しかしながら……閣下はさらに大局を考えておられた。閣下は『かの者』の信徒を含め、国内の危険な勢力をすべて『反逆者』として根こそぎ討ち取る気だ。そのために私財をおしみなくつかい、王国の堕落した官僚どもを、そして国王陛下をも味方にひきいれ……統一された王国としてアルヴェイアを生まれ変わらせるつもりでありましょう」


 背筋に冷たいものが走った。体が震えるのがわかった。

 いままでセムロス伯ディーリンといえば、いかにも老練な政事を自らの家のために使うくえない男、そう思われていたに違いない。否、そうした面はディーリン自身、決して否定していない。

 だが、その裏に秘めた思いを理解する者が、思わぬところから現れた。

 いっそいままでの思いをすべてぶちまけちたい、ふとそんな衝動を覚えた。このままではアルヴェイアは駄目になる。だからある程度、他者からの反感を買い、あるいは憎まれても王国は根本からすげ替えないといけないのだと。

 そのためには、絶対にゼルファナスを王位につけるような真似はしてはならない。


「しかし閣下は過ちを犯されている」


 ネルトゥスの声に、気迫がこもった。


「あのセヴァスティスの毒は……危険にすぎるというもの。あれは悪……しかも、とてもわかりやすい悪です。人をたぶらかし、獣よりいやしい怪物に変えてしまう。セヴァスティスとあ奴の率いる兵たちはみな、そういったものたちだ」


 そんなことはとうに承知しているつもりだった。だが、アルヴェイア兵までが感化され、残忍に、嗜虐的になりはじめている。


「だがそれも戦場では必要では」


 ディーリンは咳払いをした。同時に左脇腹に激痛が走ったが、なんとかそれをこらえた。


「ゼルファナスが『かの女神』の信徒であるならば一度牙をむきばすさまじい戦をすることでしょう。毒は毒を以て制するしかない」


「おっしゃりたいことはわかります」


 ネルトゥスの褐色の瞳に、暗い哀しみのようなものが宿った。


「しかしながら……セヴァスティスの持つ毒は、やはり毒なのです。残虐な兵が優秀な兵というわけではない」


「そうなのだろうか」


 ディーリンは、低い声で言った。


「ネルトゥス卿……貴殿も知っての通り、私は戦下手と言われている。私は兵を集め、糧食をそろえ、さあ戦だというところにまでもっていくことまでは出来る。おそらく、いまのアルヴェイアの誰よりもそれをうまくやる自身がある。しかし、それでも集まったアルヴェイア諸侯の兵は、わずか三千。これが、現実というものだ」


 馬上でディーリンは話を続けた。


「しかしセヴァスティスはセルナーダ最強の兵を二千五百も持っている。むろん、リュナクルス公がただの好意で貸し出した兵でないことも理解している。代価は高くつくだろう。しかし、それでも……」


「なるほど」


 ネルトゥスの声には、どこかで哀れみすら感じられた。


「あくまでもそうお考えならば、いた仕方ない。しかしながら、やはりあれは毒です。一つ間違えれば、ディーリン卿……貴殿の名は、後世にまで最悪の形で残ることになりますぞ。自らの権勢のために、異国の兵を引き入れた売国奴として」


「売国奴か」


 ディーリンは笑った。それは、あまりにも滑稽だったからだ。


「私は自分が可愛い。セムロスの民も、アルヴェイアの民も可愛い。だから私は領主として、貴族としてふさわしい仕事をしてきたつもりだ。暗愚な息子どもには見切りをつけ、娘すらも婚姻の道具にし、あるいは国王に愛妾として捧げた。私は、子供たちから嫌われ、憎まれ、恐れられている。だが、それも当然のことか……」


 ゆっくりと吐息をつくと、ディーリンはナイアスの都を凝視した。


「だがたとえ売国奴と呼ばれようと、ナイアスは落とさねばならん。ナイアスを落とせば、必ず諸侯はこちら側についてくる。勢い、それこそが大事だと私は思うが……」


「その点は閣下のおっしゃる通りです。しかし、私はどうも今回のエルナス公の動きがげせない……もし私であれば……」


 そのときだった。

 後ろの陣地から駆けてきた一人の騎士が、ディーリンのもとにやってくると耳打ちした。


「閣下……ヴィンスのウフヴォルティア侯爵夫人からの知らせです。エルナス公は、ヴィンスの都に手をつけずにそのまま通過したとのこと。さらに、ウナス伯らしい仮面をつけた物が率いる部隊も同道しているとのことです。総数は……四千」

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