10 ささやかな惨劇
セヴァスティスとかいう、それこそホスに憑かれたような将軍がいて、城壁の外にいる人間にむごたらしい拷問をくわえてるという。わざわざ歩哨の兵士に見せつけるようにして、たとえば農夫とその実の娘を強引に性行させて笑い者にしたあげく、体をばらばらに切り裂き、串刺しにして「食べる」ともいう。また血で真っ赤にそまった釜で、ゆでて「食べる」という話もある。
もちろん嘘に決まっている。
いくらなんでも、相手は立派な人なのだ。そんなおぞましいことをするわけがない。いや、出来るわけがない。
だが、敵には半アルグが混じっているという噂もある……。
だとしても、かりにもアルヴェイア王が率いる軍勢が、そんな蛮行を許すはずがないではないか。いまの国王というのが飾りだけの王だとはユーナスも知っていたが、そこは貴種の生まれだ。民を苦しめるような無道は真似はしないはずだ……。
では、なぜこんな噂が流れるのか。
ナイアスの殿様も馬鹿ではないのだから、絶対に兵士には口封じをしているはずだ。城内の市民には城の外でなにが起きているかを知らせないようにと。
だが、それならばなぜ流言が飛ぶのだ。
あるいは……誰かが、意図して噂を流しているものがいるとしたら?
そうだ。そんな残虐な行為をするとしたら、必ず意図があるはずだ。自分は無学ではあるが、頭は回る自身はある。
あるいは、ナイアス候はすでに降伏を奨められているのではないか。
だが、ナイアス候は意地になって断っている。そこで、セヴァスティスという将軍はふえて残虐行為を行ってみせる。早く降伏しないと、お前のところの市民もみなこのような目にあうぞと圧力をかけるためだ。
逆に言えば、降伏すれば助かるかもしれないのに。
「馬鹿だ」
ユーナスはつぶやいた。
「早く降伏すればいいのに……ナイアス候は、馬鹿じゃないのか」
そのときだった。
周囲から、鉄の針でも刺されるような無数の視線を感じた。
誰もがユーナスを見つめていた。凄まじい、それこそ殺意を込めた目でユーナスを見つめていた。
どうやら娼婦らしいまだ若いが首筋のあたりが異様に痩せこけた女も、ユーナスと同様、城壁の外から逃げてきたらしい農夫らしい太った男も、あるいはもともとが物乞いだったらしい片足のない男も、他にも何人もの、何十人もの視線がこちらの突き刺さっている。
そのうちの一人、まだ若い男が腰から護身用らしい短剣をひきぬいた。
「おい……お前、いまなんて言った? まさか痣の殿様の悪口、言ってなかったよな」
周囲の空気が変わった。
さらに自分にむけられる憎悪の量が増加していく。若者はわりと派手ななりをしていた。きっとナイアスの商家の若造かなにかだろう。
若造がなにを。そうは思ったが、ユーナスはぎりっと歯を噛みしめた。
耐えろ。我慢しろ。俺には妻がいる。娘がする。娘はまだ十二と八つなのだ。二人が嫁入りする姿を見るまで死んでたまるのか。
いままで善行をつんできたのだ。やましいことはなにもない。だから神々も俺のことを守ってくださるに決まっている。娘の嫁入り姿を見せてくれるはずだ……。
「な、なにもいってませんよ」
ユーナスは情けない笑顔をつくった。
「私はこう言ったんですよ……早く敵もあきらめて降伏すればいいのに。ナイアス候に勝てる奴なんていないって」
途端に、あたりの空気が和んだ。だが、その裏には異常なほどの、あるいは過剰なほどの期待感がある。
「そうだよな……ナイアス候が勝つに決まっているよな」
若者の言葉に唱和するように娼婦らしい娘が叫んだ。
「そう、痣の殿様が勝つにきまっている!」
「だよな、負けるわけがない! あのお人はなんだって出来るんだ!」
「痣の殿様、万歳!」
「痣の殿様、万歳!」
よかった。いや、そうだ、俺はたしかに、ナイアス候が勝つと言っていたのかもしれないとユーナスは思い返していた。当たり前だ。痣の殿様は勝つ。俺が嘆声こめて育てたネルドゥ麦の白パンを食べてあの人は生きてきたのだ。負けるわけがない。勝つ。必ず勝つ。
そのときだった。
ふいに、頭の上、左右から建物のひさしがはりだしているためひどく狭い空に、なにか赤黒い影のようなものが見えた。
なんだあれは、と思う間もなくすぐに近くの路地にそれは落下した。べちゃっという、粘ついた音が鳴った。
「なんだ、あれ……」
なにかの動物の、臓物のようにそれは見えた。だが、なぜ空から臓物が落ちてくるというのだろうか?
また空に弧を描いて今度は白いものが落ちてきた。
それがなにか、しばらくの間、ユーナスには理解できなかった。
おかしい。なんだいまの白い棒のようなものは。まるで……。
「ひっ」
そのとき、娼婦が顔を真っ青にしたまま、白いものを指さした。
「これ……手だっ! 人間の……手だよ!」
娼婦がなにを言っているのか、みな、意味がわからないようだった。
それはユーナスにしても同じことだ。空から臓物や人の手が降ってくるなど、とてもありうるとは思えない。どこかの辺境ではそうした怪異もあるという話だが、ここは文明国アルヴェイアのど真ん中なのだ。
いや、待て。
こうしたときに、投石機というものが使われることをユーナスは知っていた。つまり、もし王軍が投石機でばらばらにした人間を城内に投げ込んでいるとしたら?
なぜ、そんなことを?
意味がわからない。そんなことをしてどうするのだ。
頭が真っ白になったところに、また大量の人体が降ってきた。今度はまとめて投げてきたようで、ばらばらと石畳のうえ激しい雨でも降るかのような音がした。続いて、子供が遊ぶ豚の膀胱に水を詰めた風船が破裂するような音が鳴った。どうやら、人間の胴体部分が降ってきたらしい。
気がつくと、ユーナスは自分の肩のあたりが赤黒い血に濡れていることに気づいた。吐き気がした。
「なんということをするんだ……奴ら、人の血が通ってないのか!」
遊んでいる。なぜかそんな気がした。これは相手の士気を削ごうとか、いやもちろんそういうこともあるのだろうが、それ以上にこの凶行を行った者はこうした行為を愉しんでいるのだ。
そのとき、ころころと丸い鞠のようなものがユーナスの足下に転がってきた。
それが人間の、しかもまだ幼い少女の頭だと気づくまでしばし時間を必要とした。
可哀相に。なんとむごいことをするのだろうか。まだ、二女のフェイアと同じくらいの女の子ではないか。髪も金髪で、白い頬はむっちりとしていて、瞳は薄い水色で……。
誰かが叫んでいた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
うるさい。誰が叫んでいる。自分だ。そうだなぜ俺は叫んでいるのだ。
こんなことがあるわけがない。これは夢だ。これは絶対に夢に決まっている。しかも最悪の悪夢のなかの悪夢に違いない。
なぜ、愛しい娘、フェイアの頭がばっくりはぜて白い脳らしいものをあふれさせたまま、こちらにころころと転がってこなければならないというのか。
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