11  ネス副伯の思考

 ネス伯爵領はアルヴェイアの北辺に位置する所領である。

 北はグラワリア国境のケルクス河に面している。

 そのため、対グラワリア戦役の続いた時期に、だいぶ領内は荒れていた。

 現在はケルクス河の北はスィーラヴァス派の支配地域なので、大規模な戦乱はない。

 とはいえ、グラワリア内戦で仕事にあぶれた傭兵などが野盗化し、河をわたって領内に侵入してくることはしばしばあった。

 そのため、ネスの民はグラワリア人を蛇蝎のように嫌っている。

 かつて平和な時代はケルクス河の水運で栄えたものだが、いまはその繁栄ぶりはみる影もない。

 南北に細長い領地でも特に北部地域は、人々は貧苦にあえいでいた。

 だが、なんといってもネスの人々にとって頭痛の種なのは、兵士にとられるということである。

 領地が広いため、また謎めいた古来からの魔力により双子が生まれる確率が異常に高いため、ネスはかなりの人口をもつ。

 そのため、ネス伯も大量の兵を動員することができた。

 とはいえ果たしてこれだけの規模の動員を本当に良いものかと、ネス伯の双子の弟、ネスヴィールなどはつい考えてしまうのだった。

 兵たちの装備は貧弱である。

 いかにもにわか集めの兵であることは明らかだ。

 みな、薄汚れた毛織物の上着とズボンの上に、ところどころすりきれた革鎧といったもので武装している。

 領主は常備軍というものを持たないため、彼らはみなネスの領民だった。

 特に農夫たちが多く、なかには先祖代々の錆びた槍などを持つものもいる。

 春の日射しのなか、ネス城近隣の丘陵部に集められた兵たちの姿は、どう見てもみすぼらしく、なにかうそ寒いものをネスヴィールは覚えた。


(こんな戦などしている暇があるのか)


 というのが彼の本音である。

 兄のネスファーなどは、この戦でエルナス公派を倒せば恩賞が期待できると笑っている。

 ネスファーはよく言えば陽性な気質の持ち主であり楽天家なのだが、そのぶん、つけは領民たちにまわってくる。


(本当に……これで、いいのか)


 つい、ネスヴィールは考えてしまうのだ。

 これで兵たちを率い、エルナス公派の軍勢と戦うのはかまわない。だが、その間に領内はがら空きになる。

 また河を渡って、グラワリアから野盗たちがくることは確実に思える。

 さらにいえば今度の戦自体、果たして意味があるものかと内心、疑問もある。


(つまるところは、セムロス伯とエルナス公の権力闘争ではないか。いくら玉座がかかっているとはいえ……こんな内戦ばかり続けば、国の基盤である民たちが苦しむだけなのではないか?)


 ネスヴィールは兄と瓜二つの、茶褐色の髪に青い瞳の、なかなかの美青年ではあったが、兄よりも思慮深く……悪くいえば陰気といわれる。

 狩りや宴会好きな兄と違い書物を好み、また領内の巡察なども頻繁に行っている。

 そのため、特に北部では、兄であるネスファーよりネスヴィールのほうが人気があった。

 南北に長いネスの中心は、南西のネスの城都である。

 だが、細長い北部をおさめるために、ネスヴィールも北に城を一つ、もっていた。

 ネス領内では、彼は「副伯」という奇妙な称号をもっている。

 ただし、これは正式な爵位ではない。

 あくまでネス伯領内でのみ通じる慣習のようなものだ。

 そのため王宮での式典などでは、あくまでネスヴィールは兄に仕える一介の騎士にすぎない。

 誰もがふだん二人で行動していることをとがめはしないが、それでも厳然と正式な爵位をもつ兄と自分は違うのだと、思わされることは多々ある。


(兄上は中央の政事に関わろうとして、セムロス伯の味方についたが……領地をないがしろにしている)


 それがネスヴィールの本音だった。


(そして今度は、ネス伯として、セムロス伯を助けることで新たな力を得ようとしている……それ自体は間違っていないのかもしれないが)


 だがそれにしても、やはり領地のことを無視しすぎではないか。

 実際、領地を実質的にとりしきっているのは、ネスヴィールなのである。

 外見は瓜二つの双子の兄弟だったが、その内面はかなり異なっていた。

 兄はいつも光のあたる場所にいる。

 中央の政界でも積極的にセムロス伯と接し、またヴィンスのウフヴォルティア侯爵夫人などとも親しく、着実に自らの権力を築き上げている。

 それに対して、自分はどうだ?

 いまも兄は、麗々しく軍装に身を包んだ騎士たちに囲まれ、なにやら笑い声をあげていた。

 ネスファーにとっては、これからの戦はきっと愉しい娯楽のようなものなのだろう。

 だが、それでいいのか。

 確かにエルナス公派に勝てば、恩賞ももらえるだろう。

 あるいはセムロス伯は、思い切った政策を国王に進言し、幾つものエルナス公派にまわった貴族の家を取りつぶすかもしれない。

 そうなれば主のいない領地もふえる。

 そうした場所に、自分のようなものが領主として封ぜられることがないとはいえない。

 とはいえ、もし負けたら?

 兄はそこまで本当に物事を考えているのか。

 むろんネス伯家といえば大貴族であり、アルヴェイアでもっとも高貴な家門の一つではある。

 だが、兄はその「ネス伯」という称号を頼みにして、とんでもないところに領民を導こうとしているではないか?

 なるほど、セムロス伯ディーリンやウフヴォルティア侯爵夫人といった王国きっての政略家と渡り合う度胸は、大したものといえるかもしれない。

 だが実のところ、兄は特にディーリンあたりにうまく利用されているだけではないのだろうか。

 ネス伯が動いたとなれば、アルヴェイアの北部諸侯もその動きを注視する。

 隣接した他の諸侯とは必ずしも友好的な関係を築いているとはいえないが、ネス伯という称号にはそれだけの重みがある。

 ネス伯がセムロス伯についたと知って、事実、何人かの北部諸侯がすでに兵を集め、セムロス伯派を支持している。

 表向きには「ゼムナリア信者であるエルナス公を国王が討伐する」のだから、名分もたつ。

 だがやはりネスヴィールには、兄はディーリンにうまくおだてられ、のせられ、利用されているとしか見えない。

 つまりは苦労知らずの殿様気質ということだ。

 その影の部分を、いままでネスヴィールは一人で背負い込んできた。

 兄に悪気はないのは理解している。

 ネスファーはそもそも、人をあまり疑わないたちであるし、ということはつまり本人も隠し事の少ない性格をしているということだ。

 ネスファーは常に華やかで、富裕なアルヴェイア貴族の理想を具体化したような若者なのだ。

 だが、その明るい太陽のような兄の影にいる自分はどうか。

 光が強ければ強いほど、その光に照らされぬ影もまた濃く、強くなる。


(俺は兄上に嫉妬しているのか)


 

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