10  痣

 だがそんな彼を救ってくれていた者がいた。

 この忌まわしい痣を、決して醜くなどないと言ってくれたものがいた。


(私も顔のことでは昔からさんざん言われておりますから)


 「彼」は言ったものだ。

 ラファルよりも遙かに若いエルナス公爵が、邪気のない笑みを浮かべて言った言葉はいまでもラファルの心にしっかりと刻印されている。


(私がこのような姿に生まれついたのもまた運命。正直、うんざりさせられるときもございますが、ナイアス候もその痣は運命と思って甘受されよ。神々のご意志は深甚なるもの。あるいはいつか……その痣を笑った者たちをに、ふさわしい復讐を行う日がくるかもしれませんぞ。そのときは、必ず私がお助けいたしましょう)


 一言でいえば、ラファルはその言葉に感動したのだった。

 なるほどエルナス公は美しい。

 だが美しすぎる男というものは、さまざまな不快な目にあうことも多いだろうことは想像がつく。

 美も醜も、人目をひき、噂になるという点ではかわらないのだ。

 もし自分がゼルファナスのような顔であったなら、きっと人々の噂する声に絶えられなかったとラファルは思う。

 そのときから、ラファルは若きエルナス公爵を信用し、王家に捧げたものとは別の……いわば「魂の忠誠」を誓った。


(あのような者こそが、王となるべきなのだ。母を産んだような愚かな王家など……いっそのこと、滅びてしまえばいい)


 いつも神経質そうな表情をうかべるナイアス候ラファルのなかに、それほど激烈なものが潜んでいることを知るのは、彼とごく親しいものばかりである。


「閣下……閣下」


 背後から困惑したような声が聞こえてきた。

 振り返ると、息子のラナリスが馬上でこちらを見つめていた。

 その顔は父に似て、鋭く整っている。

 だが、彼の顔には痣がない。


(こいつは……真の我が子なのか?)


 なんという運命の皮肉か、自分の子供に呪わしい痣がないと知ったとき、ラファルが真っ先に思ったのはそれだった。

 痣。

 呪わしい痣こそが、ナイアス候ラファルという、文武に秀でた、貴族たるにふわさしい器量を持つ男の内面をゆがめている。

 周囲からは、また無数の視線が突き刺さってきた。

 途中で、馬が止まってしまったのに考え事をしていたため、そのことにラファルは気づかなかったのだ。


(まあ……痣の殿様だから、間抜けなもんだねえ)


(どうせまた痣のことを考えていたんだろうさ)


(あんなので王家と戦をしようとするなんて、まったく馬鹿じゃないかね。痣に知恵をくわれちまったんじゃないか)


 無言のまま、馬の腹を両脚で叩いて馬を再び進めていく。

 痣。痣。痣。痣。


(そういえば……国王も俺の痣を笑っていたな。あの愚物めが)


 それが、ラファルには許せなかった。


(そしてセムロス伯も、あのにやにや笑いで俺のことを笑っていた)


 温顔伯と呼ばれるディーリンが、ラファルには許せなかった。


(妻もいつも俺の痣を笑っている)


 妻のこともラファルには許せなかった。


(そして母も……いまも墓のなかで俺のことを笑っているのだ!)


 母。

 忌まわしい母。

 おぞましい母。


(お前はいつか王家に弓引くと思っていたよ。お前の痣は賎しい吟遊詩人の血を意味するものだ。吟遊詩人の血をひく者が領主になるなんて……いずれお前は反逆者になる)


 皮肉にも、母の予言はあたってしまった。

 すでにメディルナス近隣には、それなりの兵力が集まっているという。

 驚くべき事に、セムロス伯ディーリンは母方のつてを伝って、ネヴィオンの西方鎮撫将軍セヴァスティスをアルヴェイア国内に引き入れたという。


(セヴァスティスといえばガイナス王とならぶ……あるいはそれ異常に残虐な男と聞く)


 果たしてナイアス候家の兵だけで、セヴァスティスのネヴィオン兵、そして王家……というよりはセムロス伯につく諸侯の兵を打ち破れるか。

 ナイアスは東はメディルナス公爵領に面しているが、西に少しいけばセムロス伯側につくヴィンス候領がある。

 つまり、挟み撃ちにあうということだ。

 大河アルヴェイスを挟んで南北の河岸に広がるナイアスの城壁は、高く、堅い。

 また糧食のそなえもそれなりにあり、籠城すれば三ヶ月は戦えるはずだ。

 その間に西からエルナス公率いる軍勢が、きっとやってくる。

 そうなれば形勢は逆転するかもしれない。


(俺の痣を笑った奴を皆殺しにしてやる)


 ふっとラファルは笑った。

 空では太陽が輝いている。

 冬はもう終わり、春が始まろうとしている。

 今年の春は、アルヴェイア全土に血の臭いが満ちるだろう。

 あるいは死臭でむせるだろう。

 エルナス公家とセムロス伯家の戦いは、凄惨なものになるはずだ。


(だが、それでいいのだ。みんな死んでしまえ。俺の痣を笑った者は……みな、殺してやるに限る)


 実際、ラファルはすでに一人、自分の痣を笑ったものを殺している。

 自らを産み、そしてこのような歪んだ男に育てた実

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