12  偽者

 ただの迷信、で片づけられればいいのだが、魔術や神々といった超自然の存在が現実のものとして機能しているこのセルナーダの地にあっては、それは深刻な問題である。

 ときおりネルトゥス自身、なにか気まぐれな幸運と偶然の女神の気に障るような真似をしたのではないか、と思うことがある。

 だが、エルミーナはあくまで気まぐれな女神であり、所詮はそれこそ「運」だと開き直ることにしていた。


「しかし、事と次第によれば」


 ふと、ネスファーがぞっとさせられるような笑みを浮かべた。


「我々は……あるいは、つく側を間違えたのかもしれない」


 途端に、ネルトゥスの背筋を冷たいものが走った。

 反射的にあたりを見渡すが、部屋のなかにいるのはネルトゥスとネスファーの二人だけだ。

 一応、ネスファーの抱えている魔術師が結界をはっているらしいが、それでも王家は王立魔術院に優れた術者を多数、抱えている。ましてやここは、王家の本拠地、青玉宮なのだ。


「ネスファー殿、滅多なことは申すものではありませんぞ」


 我知らずネルトゥスは声を低めていた。


「わかっている。いまのはただの戯れ言だ……そのようなことより」


 卓の向かいに座っていたネスファーが、ついと顔を近づけてきた。


「貴卿をお呼びだてした真の理由は、別にある。どうも……セムロス伯のご様子、いささか、おかしすぎるとは思われませんか?」

 

 それは、ネルトゥスもずっと感じていたことだったが、やはりネスファーも思いは同じだったらしい。


「確かに……やはり、人は誰でも老いるもの。さしものディーリン卿も……」


「否」


 ネスファーが、奇妙に熱の籠もった目をぎらつかせて言った。


「そうではない。ディーリンどのは老いたわけではないのだ」


 では、なにが理由だというのだろうか。


「あるいは……やはり、セムロスの虐殺が、相当に堪えているということかもしれませんな。なにしろセムロスの民を、ディーリン卿は我が子のように愛していたとか……いや、それをいえば、ディーリン殿は跡継ぎの息子を三人、皆殺しにされている……」


 貴族にとって、自分の血統が途絶えるというのは非常に深刻な問題なのだ。どんなに息子が三人とも愚物揃いだったとはいえ、男子の跡継ぎを失えばことは家の存続に関わってくる。


「私もはじめはそう思った。だが、それにしてはもやはりディーリン卿は人変わりがすぎる。まるで……そう、ナイアスが陥落してからあの御仁は明らかに、別人のようになってしまわれた」


 それは、事実だ。

 まさに、別人のように……。

 ネスファーが、皮肉げな笑みを浮かべている。一体、なにをこの男は言いたいというのだろうか?

 そのとき、ようやくネルトゥスも、ネスファーの言いたいことに気づいた。


「まさか」


 思わず唾を飲み込んだ。


「いや、しかし……まさか、そのようなことが……つまり、セムロス伯ディーリンは……いや、いま我々がそう呼んでいる者は、まさか……」


「赤の他人、の可能性が高い。いや、正直に申せば私はほぼ別人だと踏んでいる」


 ネスファーは手に盃をかざすと、ヴィンスの濃厚な赤葡萄酒を口に含んだ。


「私はネスの生まれだ。ネスといえば、貴殿もご存じの通り、双子の産地。私の知人にも双子は無数にいる。となれば自然と……『顔だけは似ていても別人かどうか』を判断する目は、鍛えられる」


 それは確かにそうだろう。

 普段から双子、似た顔のものたち同士に囲まれていれば、そうしたものを判別できなければ日常生活にすら支障をきたすはずだ。


「私の臣下も皆、同じことを言っている。いくら同じ顔をしていても、違うものはやはり違うのだ。それが、瓜二つの顔に慣れた我らネスの者たちの結論だ。セムロス伯ディーリンは……偽物だ」


 ひどく喉が渇いてきた。

 偽物。

 あるいは、影武者かなにかだろうか。


「たとえば幻術を使って姿を似せたとか、そういったことでしょうか」


 魔術師の行使するネルサティア魔術や神々の法力には、幻術の類もいろいろとある。


「いや、たぶんそうした術は使ってはいないだろう。だが、やはり別人であることには変わりがない。おそらく……本当によく似た別人だろう。影武者として用意したのかどうかはわからないが……」


「しかし、シャルマニア嬢は、ディーリン卿に対してなんの疑問も抱いてはいなかったようだ。シャルマニア嬢は、ディーリン卿の実のご息女。いくらなんでも……」


 すると、ネスファーが凄みを浮かべたままかぶりを振った。


「シャルマニア嬢は、とうの昔に気づいている……いや、それどころか、あの女があるいは偽物を用意したのかもしれない。そしておそらくは、セヴァスティスもそれをとっくに知っている」


「しかしなにが……なにが目的で」


 ネスファーが目を細めた。


「シャルマニア嬢の母上はネヴィオン人。セヴァスティスもネヴィオン人。となれば……ある程度、裏がみえてきそうなものではないかな」


 再び、背筋をうそ寒いものが走った。


「では……まさか、ネヴィオンの謀略? だが、いまはネヴィオンもリュナクルス公家と残る三公家の間で緊張しているはず……とてもそんな余裕は」


「だからこそ、アルヴェイアがしばらく荒れてもらわねば困る、という考えもできる。もしネヴィオンでも内戦が激化するのであれば、他国も荒れていたほうがよい」


 そんなことをしている場合なのか、という問いが脳裏をよぎった。


「では、本物のディーリン殿は……」


「わからん。だが、青玉宮には、高貴な罪人を閉じこめるにはうってつけの場所がある」


 確かに、その通りだった。

 青玉宮の地下には、巨大な地下牢が存在するのだ。

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