8 クーファー教団

 以来、メルセナはガイナスに従順に従ってきた。

 彼女はランサール女神に仕える尼僧であり、女神の言葉は絶対なのだから。


「谷間であれば、こちらの攻撃正面は限定されます。敵軍の包囲は難しくなりましょう。あるいはレクセリアとかいう敵将は、そのあたりを狙っているのではありますまいか」


 メルセナの言葉に、ガイナスがうなずいた。


「まあ、まともに考えればそんなところだろうな。それに我が軍がうかつに谷間に入った場合……後ろにも、気をつけねばならなくなる。もし谷の奥深くに入り込んでレクセリアと戦っている間に後背をスィーラヴァスにでもふさがれてみろ」


 ガイナスは凄絶な笑みを浮かべた。


「そこでスィーラヴァスの気が変われば、こちらは前後から挟撃を受けることになる」


 王の言葉にメルセナが美しい眉を曇らせた。


「おっしゃる通りですね……となれば、当然、谷を迂回して……」


「だが、谷は北から南にむけて斜面になっているというぞ?」


 ガイナスは愉しげに言った。


「つまり、谷をゆけば我々のほうが高い位置で騎士の突撃をかけることができる……」


 そのとき、王の傍らにいた一人の深紅のローブをまとった男が、奇妙な訛りのセルナーダ語でつぶやくように言った。


「騎士の突撃など、無用……我ら『クーファーの信徒』の火炎の力さえあれば、アルヴェイア軍を聖なる神の炎によってただちに浄化できましょう」


 自信があるというよりは、まるでそれが既定の事実であるが如き態度である。

 グラワリアには日焼けして黄金から褐色の肌を持つ者も多いが、この赤ローブの男は明らかにもともとの肌の色そのものがセルナーダ人の、どちらかといえば白い肌とは異なっている。

 濃い赤銅色のその肌は、北のサーリルカイン山脈を越えた北方の炎熱の地、シャラーンの人間に特徴的なものだった。

 顔立ちそのものもセルナーダ人よりさらに彫りが深く、目鼻立ちが異様とすら思えるほどにくっきりしている。

 年齢は特定しづらいが、目元や首筋のあたりにしわが多いことからしておそらくは五十は超えているだろう。

 その髪は剃髪しているのか、あるいは禿頭なのか頭上には一本の髪の毛もなかった。

 両の目の奥では、燃える炭のような漆黒の瞳がぎらぎらとどこか狂的な光を宿らせている。

 実際には華奢で小柄なのだが、巨漢といってよいガイナスの傍らにいても、その覇気に圧倒されるどころか、また王とも一種異なる、強烈な熱気のようなものを放っている。


「ウル・シャルジム師よ……それほどまでに、自信がおありか」


 ガイナスの言葉に、ウル・シャルジムと呼ばれた男はうなずいた。


「むろんよ。我らの神の力あらば、いずれ世界は炎によって浄化され、完全に清められる。大いなる炎、混沌大帝たるクーファー神の世界の完全浄化の力に抗える者などこの世には存在せぬ」


 ずいぶんと大げさな大言だ、と笑うことはたやすい。

 だが他ならぬガイナス自身、クーファーの僧侶団たちが協力した際に見せる火炎法力のすさまじさをよく知っていた。

 帝国期の頃には優れた火炎魔術師だけからなる部隊があり、遠距離から敵に無数の火球を浴びせたという。

 クーファー僧侶団はその再来、否、いまだかつてこのセルナーダの地に現れたことがないほどの火炎の使い手だった。

 もともと彼らは、北方のシャラーンの地から弾圧をうけてこのセルナーダの地に逃げ延びてきたという。

 彼らの真の目的は布教にあるが、その魔術的な力の強大さにガイナスは目をつけた。

 彼らはもともと火炎と破壊を神聖視しているため、ふつうであれば為政者としてはもっとも嫌う種類の民である。

 だが、ガイナスのような男にしてみれば、彼らは存在そのものが一種の「武器」なのだった。

 ただし、効果が強大すぎるがために、一歩使い方を間違えれば我が身も滅ぼすであろう諸刃の剣ではあったが。

 今回のネルディ侵攻は、当初から完全なネルディ破壊を目指したものではなかった。

 ラシェンズ候ドロウズが率いる南部諸侯軍があっさりレクセリアに敗北した時点で、すでに今回の侵攻の戦略意図は失われてしまっている。

 とはいえ戦のために集めた兵は実に三万にものぼる。

 そして当然、そのためにはそれなりの軍資を消費している。

 このまま集めた兵を解散させればまったくの無駄遣いというものだ。

 そこでガイナスはどうせならと、守りが手薄なネルディに侵攻し、暴れ回るつもりだったのだ。

 ネルディの主立った城塞や城を破壊し、それなりに鉱産施設を確保してネルディの北半分を領有するというのが新たな狙いだった。

 ところが、実際に戦をしてみればクーファーの僧侶たちが異常な、想像以上の働きぶりをみせた。

 そうなると兵たちにまで破壊衝動が感染し、結局、グラワリア軍三万はそれこそ火炎の神に憑かれでもしたかのように飽くなき破壊を続けたのである。

 そうした意味では、ゼルファナスの考えは深読みのしすぎで、むしろネルトゥスの意見のほうが正しかったといえる。

 ガイナス自身、もともとが火炎王と呼ばれるほどの激しい気性の男だ。

 そこに戦場の興奮も手伝って、彼にも破壊を求める心が強く感染してしまっていた。

 それが、グラワリア軍の過剰ともいえるネルディ劫略の真相である。

 もしクーファー教団の者たちがいなければ、グラワリア軍は順当に城攻めをしていくつかの戦略拠点を確保するという「まともな」戦をしていただろう。

 正直にいえば、ガイナスにしてもいさかかやりすぎたのではないか、という思いはある。

 しかし、それ以上に、破壊を求める衝動が強い。

 そしてその恐るべき衝動は、ガイナスが率いる将兵たちをも突き動かしていた。

 そもそも戦場というのは人間の暴力衝動が発散され、獣性が解放される場所である。

 ガイナス軍も王と同じく、いまや火炎と破壊を求める怪物たちの群れと化していた。

 すでにネルディの村々を焼き払い、兵たちの意気も上がっている。

 いわば軍勢そのものが勢いに乗っているのだ。


「ふん……レクセリアよ、我らを谷間に誘いこんで、こちらの包囲を防ぐつもりかもしれんが、『いまの我が軍』は兵を密集させた敵にこそ最大の威力を発揮する、ということが理解できていないようだな」


 ガイナスは笑みを浮かべた。

 スィーラヴァス軍も、よほどガイナス軍が不利な状況にならない限り、敵にまわろうとはしないだろう。

 彼らは友軍として、クーファーの僧侶たちが生み出す火炎法力のすさまじさを目の当たりにしているのである。


「よかろう……レクセリア王女、ヴォルティミスの谷で、おまえとアルヴェイアの将兵たちは生きながら焼かれることになるだろう」


 呵々大笑するガイナスの声が、あたりにこだました。

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