9 奇妙な作業
ネルトゥスは渋い顔で、兵たちの作業を見つめていた。
彼の故郷、ハルメス伯領から引き連れてきた、彼自身の兵である。
ネルトゥスは多くの元南部諸侯軍と同様、レクセリア軍に所属していた。
しかし、こんなことをしていったい、どうしようというのだろうか。
兵士たちは命令された通り、奇妙とかいいようがない作業を続けていた。
むろん、騎乗した騎士たちはそんな汚い作業はしない。
騎士とは高貴な身分であり、一般から徴用された兵士たちとは違うのだ。
彼らは軍事の専門家であり、領民を守る義務をもつ。
「しかし……こんなことをして、なんになるのでしょうな」
ネルトゥス麾下の騎士の一人、リクスが困惑した表情で言った。
「さて、な……」
実をいえば、ネルトゥス本人が事情を知りたいものである。
せめて敵の騎士の突撃を防ぐ馬防柵でも設置したほうがよほどまともというものだ。
兵たちのいま行っている作業によって、敵軍が止められるとはとうてい、思えない。
それにこんな谷間を戦場に選ぶというのも、どうだろうか。
確かにこの谷間であれば、敵から包囲される可能性はまずない。
なにしろ、幅がわずか一千エフテ(約三百メートル)しかないのである。
おそらく戦闘は、正面に騎士を並べ、両軍の騎士同士が互いに突撃しあうという形になるだろう。
ネルトゥスも騎士のはしくれとして、自分が活躍できる戦場のほうが嬉しいという気持ちはある。
しかし、ここで騎士同士の突撃を繰り返せば、いくら歩兵による縦深陣をしいたとしても、結局は数において勝る敵軍のほうが最終的には有利となるのではないか。
「作業は、なかなかに順調なようですね」
背後から声をかけられて、思わずネルトゥスは振り返った。
見ると、鹿毛の牝馬に乗ったレクセリアが近衛の騎士に守られながらこちらに近づいてくるところだった。
「こ、これは……殿下」
あわててネルトゥスは馬から下りようとしたが、レクセリアが微笑を浮かべると言った。
「そのままで構いません。ハルメス伯領の兵たちは、なかなか働き者のようですね」
「は……」
ネルトゥスは恐懼して言った。
「なにしろ我が兵は、おそれおおくもすぐる日の戦いで、王家にむけて弓を引くような真似をいたしました。むろんすべてはこの私の命によるものですが、兵たちも改心し、改めて王家と王国に忠義につくすべく……」
「あの戦は、仕方のないものでした」
レクセリアは言った。
「あるいは、ドロウズ卿も妻女を通じて、ガイナスにあらかじめ謀反をそそのかされていたのかもしれません。それでドロウズ卿の罪が消えるわけではありませんが、彼は自らの死をもって罪をあがないました。いまとなっては、彼もガイナスに踊らされた犠牲者のようなものかもしれません」
やはり、レクセリアはドロウズの裏にグラワリアが……正確にいえばガイナスがいたのではないか、と疑っているようだった。
「南部諸侯軍に参加した将兵も、この戦で獅子奮迅の働きをみせれば、王家への忠義を果たすこととなりましょう。ネルトゥス卿、期待していますよ」
「は」
ネルトゥスは馬上で背筋をぴんと伸ばした。
「我らが騎士は軍の先鋒として必ずや……」
「そのことですが」
わずかにレクセリアが困ったように眉を寄せた。
「実は……騎士は、今度の布陣では後衛に控えてもらいます」
「はあ?」
ネルトゥスは相手の身分も忘れ、思わず呆然として間抜けな声をあげてしまった。
「そ、そんな……こんな谷間で、騎士を後衛に控えるなど、正気とも思えませぬ! だいたい、さきほどから兵に行わせているあれはいったいどんなまじないだというのですか? あんな無意味なことを……」
するとレクセリアは彼女としては珍しいことに、年相応の少女らしく、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「あれは、ただのまじないなどではありません。今度の戦を勝敗を決する、秘策です」
「あれが……ですか」
ネルトゥスは吐息をついた。
レクセリアには当然、なにか深い考えがあるのだろう。ネルトゥス自身、自分は頭の固い猪武者であることを自覚している。
「まあ……策についてはあえて問いません。しかし、なぜ騎士を後ろに下げるのか、せめてそれだけはお聞かせ願いたい」
ネルトゥスの問いに、レクセリアは答えた。
「我々はこの谷間に、いわば閉じこもる格好になります。一方、ゼルファナス軍は、谷の外で敵のスィーラヴァス軍に備えてもらう予定です。ですが、もしゼルファナス軍の守りを突破してスィーラヴァス軍が谷の南側からこちらにきた場合……あなたたち、騎士の力が必要となるのです」
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