7 証人
大理石のはられた裁きの間……王国裁判の開かれた今は「法廷」のなかに、国王の言葉がいんいんと響き渡った。
「証人、王国法務院判事マイアネス……」
自分の名を呼ばれて、法服を身にまとった一人の男が、ゆっくりと前に進み出た。
床の複雑な模様を描く大理石に靴音がやけに反響する。
「貴殿が、なぜ余に……国王にこの事案を委託することになったのか、詳細を説明してもらいたい」
最高判事である国王の科白に、マイアネスと呼ばれた三十代初めの、ひどく神経質そうな男が咳払いをすると言った。
「そもそも私、マイアネスは、先年、エルナス公を襲撃した賊に対する取り調べを行っていました。そもそも、なぜエルナス公を襲撃したのかと。すると、ヴァラル村の鍛冶屋、アティスと名乗るこの男は、とても信じられないような話をしたのです……」
マイアネスは緊張したのか、震える声で言った。
「あとは証人として、ヴァラル村のアティス本人から話を聞いたほうがよろしいかと存じます」
それを聞いて、国王が言った。
「では……証人として、ヴァラルのアティスを召喚する」
法廷となった裁きの間の一画に設けられた扉が、きしむ音とともに開けられた。
何人もの兵士たちに囲まれた一人の男が、裁きの間に足を踏み入れる。
さすがに国王や諸侯といった王国の貴顕の前にでるとあって、一応は湯浴みをさせ、清潔な麻の衣服をまとわされている。
だが、長きにわたる監禁によって、ヴァラルのアティスはげっそりとやせこけていた。
頭は綺麗に禿げ上がり、砂色の髭がぼうぼうと伸びている。
その血走った瞳は、凄まじい怒りをたたえて被告であるゼルファナスを睨みつけていた。
もし人が視線で人を殺せるなら、間違いなくエルナス公は即死していただろうと思わせるような、もの凄まじい目つきである。
「貴殿は、ヴァラル村のアティスに間違いないな?」
シュタルティスの言葉に、ヴァラルのアティスがうなずいた。
「ええ……あっしは、長年、ヴァラル村で鍛冶屋をやっていたアティスです。間違いありません」
アティスはそのまま、エルナス公ゼルファナスを睨みつけた。
「俺がこの男を……エルナス公を殺そうとしたのは、こいつが俺の娘を……娘を殺したからです! なにがエルナス公だ! 王国一の大貴族だ! こいつは……こいつは、人として最低の、死の女神ゼムナリアを信じる悪党なんですよ!」
途端に、廷内にざわめきが起こった。
みなすでに、エルナス公がゼムナリア信者であるとの嫌疑をかけられていることは知っている。
だが、あらためて「証人」の口から発せられた生々しい言葉は、傍聴席の人間の心を揺るがせるには十分なものだったのだ。
なにしろ死の女神ゼムナリア信仰に対する恐怖は、セルナーダ人の間では骨身に染みているといっていい。
ゼムナリア、その名を出すだけでかの忌まわしい死の女神に命を奪われるという俗信すらあるほどだ。
さらには死の女神の信徒は無秩序な殺人を繰り返したり、死者を動死体と呼ばれる操り人形として操ったりもするのである。
人々がこの女神と信者に対して恐怖するのも、当然といえば当然のことだった。
「まったく忌まわしく、恐ろしい話ですが……これから俺がお話するのは、ソラリス神に誓って、みんな真実です」
そう言うと、ヴァラルのアティスは、語り始めた。
平和なヴァラル村にある銀の月が新月の夜、黒い陣羽織を羽織った騎士たちが現れ、村人を集めると「ゼムナリア信者」の疑いをかけて虐殺したこと。
さらには、殺されたアティスの娘を、ゼルファナスらしい男が「この娘を動死体の侍女として仕えさせよう」と言っていたという……。
傍聴席は、もはやざわめきすらなく、しわぶきをたてる者もいなかった。
アティスの証言の生々しさに、誰もが圧倒されてしまっているのだ。
「それから一人、生きのびた俺はエルナス公領から逃げ出しました……なにしろ、エルナス公領は死の女神ゼムナリアの信者が支配する呪われた土地だったんです……いろいろと道中、ありましたが、王城にいって直接、訴えるしかない。そう思いました。でも、メディルナスの青玉宮のそばにやってきたまではいいが、一体どうすれば王様に俺の訴えを聞いてもらえるか、さっぱりわからない……そんなときに、青玉宮で諸侯会議が催されて、エルナス公も招かれているって話を聞いたんです」
アティスは一気にまくしたてた。
「こうなりゃあ、俺一人でもあの男を……ゼムナリア信者であるゼルファナスの奴を殺すしかない。いつしか俺はそう思い定めることになりました。それで……娘の仇を討とうとした……つまりはそういうことです」
憎々しげにアティスはゼルファナスを睨みつけた。
「王様! それにお偉い貴族のみなさん! こいつの外見に騙されちゃいけません! なるほど確かにこいつは、一見すると虫も殺しそうにない顔をしてる! でもそれは恐ろしい中身を隠すための偽りなんですよ! この男は、忌まわしい死の女神ゼムナリアを『我が守護女神』と呼ぶような恐ろしい男なんです! こいつは……人の皮をかぶった、怪物なんですよ!」
しん、と怖いほどの静寂が法廷のなかに張りつめた。
国王であり、裁判の判事であるシュタルティスも、こめかみのあたりをぴくぴくとひくつかせている。
アティスの証言に、この場にいる者たちはみな、毒気にあてられたようになっていた。
それほどに彼の証言には、一種、異様ともいえる熱気がこもっていたのだ。
とてもそれは、作り話とは思えなかった。
もしすべてが誰かの書いた脚本通りでアティスがそれを演じているだけだとしたら、彼は大した役者だったといえるだろう。
「まさか……エルナス公に限って……」
「しかし、あのアティスという者も、とても嘘をついているようには……」
ざわざわと、廷内の傍聴席から人々のささやき交わす声が発せられる。
「せ、静粛に!」
シュタルティスが、うわずった声で言った。
「皆、静粛に……」
そのまま国王は、上座から被告人であるゼルファナスを見下ろした。
「聞いての通り、あのものは……ヴァラルのアティスは、エルナス公、貴卿をゼムナリア信者として告発しているわけだが、なにか申し開きをすることはあるか?」
「ございます」
ふいに、苦悩するかのような目をしてゼルファナスが言った。
「私は……エルナス公として、ヴァラルのアティスなる者に謝罪をせねばなりません」
途端に、傍聴席にどよめきが走った。
「どういうことだ?」
「まさか……エルナス公は、自分がゼムナリア信者であることを認めるとでもいうのか」
なにしろ、エルナス公としてかつての領民に謝罪するというのである。人々がそう思うのももっともな話だった。
「静粛に! 静粛に!」
シュタルティスが、木槌で「裁きの銅鑼」と呼ばれる小さな銅鑼を何度も叩いた。
潮がひいていくように、再び廷内が静まりかえる。
「エルナス公」
国王は、どこかおびえたような様子で言った。
「貴卿は……ヴァラルのアティスなる者に、誤らねばならないと申した。これは一体、どういう意味か?」
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