6 開廷
もともと彼女は、エルナス公であるゼルファナスのことを好いていない。
確かに、あの男の内面にはなにかどす黒い、おぞましいものが巣くっていることを女の直感でウフヴォルティアは察知している。
そもそも彼女の情人、レクセリア姫もゼルファナスのことを嫌っていたのだ。
さらにいえばヴォルテミス渓谷の戦いでも、ゼルファナスが指揮する軍勢さえもっと真剣に戦っていれば、レクセリアが虜囚になるという最悪の事態は避けられたはずだ。
そういう意味では、ゼルファナスに憎しみに近い感情すら抱いている。
とはいうものの、さすがに今回のこれは、やりすぎではないかとも思う。
よりにもよって、ゼルファナスがゼムナリア信者として断じるのにはいささか無理がありはしないか。
いままでウフヴォルティアはいわゆる「六卿」たちのなかでも、セムロス伯派についていた。
だが、これは積極的にそう望んだというよりも、ゼルファナスと敵対したためである。
正直にいって、セムロス伯がここまでするとは、思わなかった。
シャルマニアを国王に近づけ、その寵愛をうけさせたまではよい。
第二王妃の座を狙ってのことだろうが、それも権力に近づくためにはよくある手だ。
さらにいえば、大樹の宴を開いて王国の官僚たちを味方につけるのも理解できる。
だが、これほど直接的な手段で、エルナス公を宮廷から排除しようとするとは。
一度、王国法務院により国王裁判にまで持って行かれた以上、「エルナス公にゼムナリア信者の疑いがかけられた」ことは、後代まで公式な記録に残ることになる。
なにより、一般民衆の間にも、動揺は広がるだろう。
しかしこれはウフヴォルティアからみれば、諸刃の剣だ。
セムロス伯はこのままエルナス公を中央政界から葬り去りたいのだろうが……いや、場合によっては命さえ奪いたいのだろうが……もし、国王がゼルファナスは潔白であるとの判決を下せばどうなるか。
なにしろエルナス公はもともと民衆の間での人気が高い。
セムロス伯は、エルナス公にゼムナリア信者の汚名を着せようとしたとして、民からの信望を失うだろう。
わりと手堅い、あくまで堅実な手を打つ策士というセムロス伯の人物像とは今回の強引な手法がうまく結びつかない。
(やはり……焦っている、ということかしらね)
そうとしか思えない。
なにしろセムロス伯は五十になる。
この時代、五十を超えればそろそろ老境にさしかかったと見なされるのだ。
これからシャルマニアが無事、国王の子を懐妊するまでどれほど時間がたつかわからない。
またもし男子を懐妊したとしても、一人前の王子として育つまでには時間がかかる。
そうなれば、低位とはいえ王位継承権を持つ「男子」たるゼルファナスの存在が、どうしても邪魔になる。
セムロス伯からすれば、いまだ生まれるどころか存在すらしていない孫のために、なんとしてもゼルファナスをなんとかしておきたいのだろう。
そのときだった。
裁きの間の堂々たる扉が開かれたかと思うと、一人の男が何人もの近衛騎士に取り巻かれて室内にゆっくりと足を踏み入れた。
白銀を溶かしたような流れる髪に、闇色の瞳を持つ若者である。
簡素ではあるが、上等な絹の衣装をまとったその男は、言うまでもなくエルナス公ゼルファナスだった。
裁判の被告とはいえ、縄をうたれているということはない。
地下牢にすら入れられることはなく、あくまで普段、彼が王城に逗留する際に使っている「海の間」に軟禁されている、といった状態である。
さすがに相手がエルナス公ということで、シュタルティスも配慮したのだろう。
(ということは……いまだ、陛下のお心も定まっていない、ということかしら)
無理もあるまい、とウフヴォルティアは思った。
なにしろ優柔不断なシュタルティスのことである。
そう簡単に、しかも従兄弟でもあるゼルファナスを断罪することは出来ないだろう。
裁きの場にひったてられたというのに、ゼルファナスはあくまで余裕のある態度を示していた。
ちらりとセムロス伯のほうをみると、微苦笑を浮かべる。
明敏な頭脳を持つ彼からすれば、だれが裏で筋書きを書いているかなど、明々白々といったところなのだろう。
一方のセムロス伯のほうも、悠然たる微笑を浮かべていた。
お互い、自分の立場をよくわかっているらしい。
ふいに、布令係の小姓の声が裁きの間に響き渡った。
「アルヴェイア第二十四代国王シュタルティス二世陛下のおなりでございます」
それを聞いて、傍聴席に座っていた者たちが一斉に立ち上がった。
裁きの間の、周囲から数段高くなった裁判官席の後ろの扉が開かれると、そこから一人の若者が姿を現す。
今日の衣装は、国王の最高判事としての身分を現す法服である。
頭の上には、小さな冠を頂いていた。
傍聴席にいるセムロス伯ディーリン、また被告であるエルナス公ゼルファナスに対し、ひどくおどおどとした様子である。
実際、ゼルファナスと比較して見てみるとどちらが被告でどちらが判事かわからないほどだった。
被告で、ことによれば死罪を申しつけられるかもしれないゼルファナスのほうが、よほど堂々としているのである。
国王シュタルティスは、長い外套をひきずるようにして、前へと歩んでいった。
小姓たちが肩から外套を外し、裁判官席の後ろの外套掛けに掛けていく。
シュタルティスは慎重な仕草で、裁判官席に腰掛けた。
それを見て、傍聴席にいた者たちも次々に着席する。
「余は……」
しばしの沈黙の後、シュタルティスが言った。
「余はアルヴェイア第二十四代国王であり、太陽神ソラリスより、王国の統治権を授かりし者である」
法廷内に、しんという沈黙が降りた。
「このたび、王国法務院判事マイアネスより、重大な案件として、エルナス公ゼルファナス卿に、忌まわしき死の女神ゼムナリア信者の疑い有りとの疑義がもたらされた」
こほん、とシュタルティスは咳払いをした。
「よって余は、ソラリスの御名において、また国王の名において、この疑いの真偽を裁定するものである。これより……国王裁判を開廷する」
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