5 衝撃
青玉宮に衝撃が走った。
否、それは衝撃などという生やさしいものではなかった。
激震、といっていい。
なにしろ王国一の大貴族であり、親王家でもあるエルナス侯爵家の当主が、死の女神ゼムナリアの信者として告発されたのである。
ゼムナリア信仰といえば、邪教の代名詞のようなものだ。
その教義は、自殺、他殺を問わずあらゆる死を奨励するという異様きわまりないものである。
当然のことながらその反社会性ゆえに、帝国期の頃からゼムナリア信仰は禁制とされてきた。
もともと「死」そのものを崇めるという異様さから、信者の数もさほどではない。
だが不穏な時代になると、人生に絶望したゼムナリア信者の数は増えるとされている。
ゼムナリアに仕える僧侶たちは人々の間に潜み、信者を先導するという。
とはいえ王侯貴族……しかも、エルナス公ゼルファナスほどの大貴族がゼムナリア信者として告発されるなど、前例がなかった。
あまりに危険な教義のため、ゼムナリアの信者は死罪に処されるのが通例である。
「しかし、よりにもよってあのゼルファナス卿がゼムナリア信者など、悪い冗談としか……」
「まったくです。エルナス公ともあろうものが……」
それが宮廷勤めの人間の一般的な見解というものだったが、一部には異なる意見を主張する者たちもいた。
「しかしながら、エルナス公がいささか、罪人への刑罰について苛烈にすぎた、という噂はございますな」
「罪人を……銅貨一枚盗んでも死罪に処したという例のあれですか」
「そのうえ、処刑を派手な見せ物として自ら演出し、公開したとか……まあ、処刑を庶民への見せ物にするのはよくあることですが、エルナス公は自ら愉しげに処刑の支度をしたらしいですぞ」
むろんこうした噂を流しているのは、セムロス伯率いる大樹派の者たちである。
そもそも今回、国王に告発を行ったのは、王国法務院の法務官たちだった。
王国判事であるマイアネスを中心とした者たちだ。
形式としては、次のような形になる。
王国判事であるマイアネスは、先年、エルナス公を襲撃したヴァラル村のアティスなる鍛冶屋に対し、取り調べを行った。
すると、アティスはエルナス公ゼルファナスがゼムナリア信者であり、自らの娘を殺したと主張した。
ことの重大さを悟ったマイアネスは、悩んだ末、とうていこの案件は自分の手にあまると判断した。
そこで裁判権を上位者である国王にゆだねた、ということになる。
なにしろ貴族諸侯には、通常の王国法は適用されない。
貴族たちを裁けるのは、ただ国王一人あるのみである。
とはいえ、最近では王権の威信低下のため、国王が諸侯を裁くことなど絶えて久しかった。
たとえば領地争いの裁定などは国王の重大な仕事であるが、諸侯の「罪を問う」裁判などこの半世紀以上、行われていない。
そのため、いま「裁きの間」と呼ばれる法廷に漂っている空気は、異常なまでに緊張したものだった。
裁きの間は広壮な空間で、天井の一部は硝子窓になっている。
ソラリス、つまり太陽の光は秩序を現し、真実を明らかにするということで日中に裁判を行うのが通例となっていた。
法廷を取り巻く傍聴席には、何人もの貴族諸侯や王国中央の官僚たち、さらには王族であるミトゥーリア妃やネシェリアといった姫君たちの姿も見える。
それだけの、アルヴェイア王国全体を揺るがすような、まさに一大事なのである。
(まさか……よりにもよって、ゼルファナス卿がゼムナリア信者とは……確かに、以前、セムロス伯がそんなことを言っていたけど……)
ヴィンス侯爵夫人ウフヴォルティアも、いつものように黒を基調としたドレスをまといながら、傍聴席で裁判が始まりを待っていた。
隣に腰掛けていた若者が、さすがに緊張した面持ちでつぶやく。
「しかし今回ばかりは度肝をぬかれましたよ。まさか、エルナス公がこともあろうにゼムナリア信者だなんて」
ネス伯爵の称号を持つネスファーである。
「まったくだね……エルナス公がゼムナリア信者だなんて、天地がひっくり返ってもありそうにない」
そう混ぜっ返したのは、ネスファーに瓜二つの弟、ネスヴィールだった。
二人の言う通り、ウフヴォルティアもとてもゼルファナスがゼムナリア信者だとは信じられない。
「いやはや……まさか、エルナス公がゼムナリア信者だとは」
彼らの傍らに座っていた大兵肥満の巨漢が、禿げかかった頭をなであげるようにして言った。
「世の中、なにが起きるかわかりませんなあ……」
そう言いながらも、セムロス伯ディーリンの顔にはかすかな笑みが浮かんでいた。
ウフヴォルティアには、誰がこの「芝居」の脚本を書いたのか、よくわかっている。
王国法務院の官僚たちは、みな連日の「大樹の宴」でセムロス伯と昵懇になっていた。
おそらくはそのつてで、セムロス伯に「エルナス公がゼムナリア信者かもしれない」という話が流れたのだろう。
それを、セムロス伯は自らの政略に利用とした、というわけだ。
なにしろこれ以上ないほどに「合法的」な手段である。
法的な手続きは、完璧だ。
ことと次第によれば、このままセムロス伯にとって最大の政敵であるエルナス公ゼルファナスを文字通り、葬り去ることが出来るのである。
今の国王シュタルティスは、言うなればセムロス伯の息女シャルマニアによって骨抜きにされている状態だ。
もともとが性状に惰弱なところがあるシュタルティスは、いまではシャルマニアの言うことであればなんでもうなずく、というところにまでなっているらしい。
その国王が、裁判の判決を下すのだ。
しかも今回は、セムロス伯、ならびに王国法務院という強力な後ろ盾がある。
すっかりシャルマニアの虜となった国王シュタルティスがどのような判決を下すか……。
(まったく、なんて茶番かしら)
ウフヴォルティアから見れば、まさに茶番である。
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