11 敵将を狙う

「閣下」


 ネルトゥス同様、鮫の頭を模した兜をかぶった騎士が、馬をなだめながらこちらに近づいてきた。


「いかがなさいますか? このままでは我ら……」


 声で、相手がリクスだと気づいた。

 ネルトゥスが配下の七十騎の騎士で、最も信頼する男である。


「わかっている」


 ネルトゥスはなんとか冷静さを保とうとすると言った。


「ラシェンズ候とエルキア伯がご無事であれば、まだ軍勢は立て直せる……」


「しかし、妙だとは思いませんか?」


 リクスが言った。


「突撃をかけた際、敵の歩兵は我々の側面をすりぬけるようにして後背へとまわっていった……我らを無視する格好で」


 確かに、妙な話ではある。


「後ろは傭兵隊か……そして、その後ろには……」


 そこまで気づいて、ネルトゥスは盛大な舌打ちをもらした。


「そうか……そういうことか! 敵歩兵は我々と後背の三千の歩兵を分断するつもりだ! それから各個撃破をしかければ……」


 敵歩兵の総勢は三千である。

 まず一千の傭兵を敗退させ、しかる後に返す刀で奇策によって混乱しているネルトゥスたち一千の騎士に襲いかかる。

 その勢いで林檎酒軍の三千の歩兵に襲いかかれば……。

 敵の歩兵には戦で勝った勢いがついているはずだ。

 ほとんどが新兵同勢、数だけが頼りの林檎酒軍歩兵など、たとえほぼ同数としても敵にもならないだろう。

 それどころか、ラシェンズ候が討ち取られればその時点で、林檎酒軍歩兵が逃げ出してもおかしくはない。

 彼らは領主の命によって集められたにわか兵士なのだ。

 もともと士気など高くないのは、そもそも戦が始まる前からのことだった。

 そのすべてを、レクセリアは読んでいたのだ。

 慄然たるものが背筋に走った。

 戦術面でいけば、このままレクセリアが勝つ可能性は高い。

 だがその段階を引き上げて、「戦略」という観点から見たとしたら?


 やはり林檎酒税そのものが罠だったのだ。

 わざと南部領民からの諸侯への突き上げを強くし、王家に刃向かわざるをえないようにと相手が目論んでいたとしたら?

 もちろん、すべては王家に野心を抱くラシェンズ候を廃するためだ。

 そしてこの罠にラシェンズ候はうかうかと乗ってしまった。

 もし勝者がいるとすれば、それは領内を安定させることに成功し、この戦いには参加しないでいる南部諸侯に他ならない。


「そこまで……そこまで、考えていたのか」


 かたかたという音がとこからともなく聞こえてくる。

 それが、自分の体が震えている音であることに気づくのに、しばらく時間がかかった。

 つまりレクセリアが目論んだのは、南部諸侯の「掃除」だ。

 林檎酒税でも領内があれなかった者、また安定させることが出来たものは統治者としては「合格」ということだろう。

 そして、ラシェンズ候の口車に乗せられたものは……。


 「諸侯として不合格」として、このフィーオン野で「処理」されることになる。


 さらにこの戦いを仕組んだ者は、未来まで遠望しているかもしれない。

 この戦で勝てば、南部は収まる。

 そしてどん底といってもよかった王家の権威は、ぐんと高まる。

 こうして諸侯を束ねていけば、アルヴェイアはかつてのような、王を中心とする中央集権国家に戻るできるかもしれない。


「もし、あのおかたが……レクセリア殿下がそこまで考えていたとすれば……」


 あるいは、この戦、ここで負けていたほうが王国の未来のためには良いのではないか。

 もし戦況をひっくり返して林檎酒軍が勝ったとしても、今度はラシェンズ候の勢力が王国内で高まるだけの話だろう。

 それよりはむしろ……。


「ネルトゥス閣下!」


 リクスの声が、ハルメス伯を現実へと引き戻した。


「幸い、我が『ハルメス鮫騎士団』七十騎は、いまだ一人の犠牲者も出していません! いまから反転して、後背の傭兵隊を襲っている敵歩兵に突撃をかければ、まだこの戦、勝ち目はあります!」


 リクスの言う通りだ。

 だが、本当に勝っていいのか?

 ここで負けることがむしろ王国のためとなるのであれば、俺は……。


(駄目だ。俺は武人だ。伯爵にして、ハルメスの鮫と恐れられた騎士なのだ。敵と戦わずに敗北の道を選ぶなど……騎士としての、武人としての矜持がゆるさん!)


 すでに混乱のなか、幾つかの領主配下の騎士たちが、それぞれ数十騎単位で集まって、後方の敵歩兵に突撃をかける支度を行っていた。

 一度に一千騎、といった大規模な突撃に比べ、数十騎単位となると騎士の突撃による破壊力は格段に落ちる。

 だが、それでもその小さな騎士の集団が十数いれば、それなりの効果は期待できるはずだ。


「よし、我らも突撃をかける! 敵歩兵はいま、傭兵隊と交戦しているが、傭兵だけに戦わせて俺たちが戦をしなかったとあれば笑われるぞ! 我らは誇り高きハルメス鮫騎士団なのだ!」


 そのときだった。

 諸侯ごとに集まっている騎士たちを見て、ふたたびネルトゥスの背筋に冷たいものが走った。

 一千という大群から、数十という小さな群れとなって騎士たちはいる。

 もし、ここにさほど大量ではなくても、ある程度の敵兵がいれば……。


「閣下!」


 悲鳴じみたリクスの声が聞こえてきた。

 反射的に振り返ると、フィーオン野の北の森から、青い軍装に身を包んだ軍勢が鬨の声をあげて一斉にこちらに駆けてくるところだった。


「アルヴァールッ! アルヴァーーーールッ!」


「アルヴァール!」


「アルヴァーーーールッ!」


 おそらくは、総勢五百というところか。

 本来であれば、一千の騎士を相手に戦える数ではない。

 だが、いまは騎士たちは完全に混乱し、率いる諸侯ごとに再編成を行っている状況なのだ。


「アルヴァール!」


 王国軍の兵士たちは、一番近くにいたアルゼマス伯の騎士たちに襲いかかっていた。

 伯の手持ちの騎士はおよそ五十騎。それに引き替え敵の総勢は五百。

 敵は森の中にまだ兵を隠していたのだ。

 冷たい汗が背中を伝い落ちていくのがわかる。

 騎士たちはただの小集団としてしか動けない。

 そしてこれこそが、レクセリアの狙いだったのだ。

 五百という数も、それなりに考えた結果だろう。

 三千のうち、たとえば一千を伏兵しようとすれば、さすがに数が少ないことに気づく。

 だが、三千のうち二千五百が残っていれば、果たして異常を感じる者はどれだけいるだろうか?

 すでに騎士たちのなかには、後背の敵歩兵本体に突撃をかけているものもいた。

 だが、いくら重装騎兵の突撃とはいっても、ある程度、数をそなえていなければ本来の力は発揮できない。


「閣下! いかがなさいます! 伏兵のほうに突撃をかけますか! それとも……」


 そのとき、ネルトゥスの頭のなかをある思考がよぎった。

 このままでは確かに負ける。

 敵は、頭……つまりは指揮官たちが属している騎士たちを最初につぶすことで優位を得たのだ。

 だったら、似たような真似をこちらも出来るはずだ。

 黄金旗のもとには、レクセリア王女はいなかった。

 ゼルヴェイアも囮として使ったのだろう。

 だとすれば王女はどこにいる?

 前線で指揮をしているとは考えられない。

 となればこの戦場のどこか、最も安全と思われる場所に王女は身を潜めているはずだ。

 それはどこか?

 騎兵の突撃をうけにくい場所。

 敵に居場所を知られにくい場所。

 ネルトゥスの思考は、一つの場所にたどり着いた。


「我らハルメス鮫騎士団は、敵本体でもなく、新手の伏兵もやりすごす。我らが目指すのは……」


 ネルトゥスは、伏兵がいままで身を隠していた黒々とした森に目をやった。


「我らはあの森に突撃をかける! ハルメス伯家に忠誠を誓う騎士諸君! 軍功をたてるにはまたとない機会だぞ! おそらくあの森には……敵軍大将、レクセリア殿下がおられるはずだ!」


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