12 敗北

 戦場の喧噪が遙かに遠く、潮騒のように聞こえてきた。

 空には太陽が高く昇っている。すでに、真昼に近い。


(くそ……忌々しい、やっぱりこんな天気だから……)


 血の混じった唾を、リューンは大地にむかって吐き捨てた。

 一言でいえば、惨敗である。

 騎士たちが火攻めにあったらしいと知ってからの出来事は、あまりの凄まじさにさしものリューンでさえ思い出したくないほどだ。

 とにかく覚えているのは、津波のように押し寄せてくる青い軍装の敵の群れだった。

 槍と円形の盾を持った無数の兵が、隊伍を組んでリューンたち傭兵部隊を執拗に襲ってきたのだ。

 なかでも雷鳴団のうけた被害は、ひどかった。

 結局、敵中突破出来たのは七十人中、二十人にも満たない。キリコ兵学でいえば「部隊全滅」と認定されるほどの損耗ぶりである。


「少しばかり、やりすぎましたな」


 いつもの冷徹な声で、イルディスが言った。

 彼が正しいことは、リューンにもわかっている。

 リューンは強い。

 戦場ではそれこそ怪物のように強い。

 一度の戦いで十人以上、敵をたおすなど普通は考えられないというのに、リューンはその倍の数、敵を殺したこともある。

 天性の肉体と反射神経に恵まれ、殺人のために生まれた獣のように、リューンは戦う。

 そして窮地に陥ると、自制が効かなくなっていく。

 痛みや苦痛も忘れ、酔ったようになって戦い続ける。

 そうなるとわりをくうのは、リューンのそばで戦っている者たち、つまりは雷鳴団の部下たちなのだ。

 リューンは強すぎるため、戦場のなかで渦のようなものを作り出してしまう。

 まさに嵐のようにリューンという暴力は吹き荒れるのだ。

 その結果、何人もの敵兵が恐ろしい強さをみせるリューンのもとに集まり、結局は雷鳴団の部下たちにまで累が及ぶことになる。

 いつも戦の前では思うのだ。あまりやりすぎてはいけない、と。

 今回もそうだ。カグラーンも、イルディスも、「無茶をするな」と言った。

 それはリューンの身を心配していることもむろんあるが、あまりに彼が我を忘れて戦いにのめり込むと、雷鳴団全体に被害が及ぶ、という意味でもあったのだ。


 戦場とは、奇妙な場所である。

 リューンのようにあまり強すぎる者がいると、そこに多数の敵が殺到してくるのだ。

 個人の力で倒せない相手でも、数にまかせれば、と人々は考えてしまうのである。

 その結果、一番被害をうけるのは、リューンの近くにいる「味方」なのだった。


「やりすぎたな……」


 脇腹のあたりの切り傷がうずいている。

 手足はおそろしく重く、まるで他人のもののようだ。

 リューンたちは、なんとか敵中突破をやりおおせた。

 アルヴェイア王国軍の左翼、ちょうど敵の陣が薄くなったあたりを逆に突き抜けたのである。

 もし突破していなければ、他の傭兵たち同様、敵に包囲殲滅させられていただろう。

 二十人に満たない、傷つき、疲労しきった男たち。

 それがいまの雷鳴団だった。

 背後の戦場では、いまだに掃討が続いている。

 どうやらこの戦、完全に敵の勝ち、ということになりそうだった。

 いまだに半イレム(約七五0メートル)ほど後方に戻れば、そこは戦場である。

 アルヴェイア王国軍が、傭兵たちを始末している喚声はこちらにまで届いていた。

 五十人近い部下たちの屍が、その戦場に転がっている。

 いまもそばにいて生き残っているのは、結局は雷鳴団の古参の傭兵たちばかりだった。


「いつまでもここにいるとやばいですよ、ひひひ」


 一人の、ひょろりとした男が長大な槍を片手に顔を歪めて言った。


「いまは王国軍も戦列の崩れ駆けた傭兵隊を追い込んでますが……ひひひ……このままじゃ完全に戦線は崩壊します。そうなれば……ひひ……」


 男は、軽く十エフテ(約三メートル)はある長い槍を頭上でゆっくりと振り回した。

 すでに穂先は真っ赤な血に濡れている。


「王国軍は、落ち武者狩りを始めます。ひひ……俺たちまで狩られちまいますよ、団長、ひひひ……」


「しっかし、アヒャス! その笑い声、なんとかならねえのか!」


 いらだったリューンの声に、アヒャスは槍を頭上でぐるぐると回したまま、わずかにうわずった声で言った。


「そんなこといったって……昔からこういうくせなんだからそう簡単には……ひひひひ……なおりませんって……ひひ……」


 アヒャスは、別に狂人というわけではない。

 ただ、なぜか幼い頃から、いちいち笑い声をたてねば話が出来ないのである。

 不気味といえば不気味な、口癖のようなものだった。


「だだだ、団長」


 アヒャスの傍らにいた、ひどく太った男が言った。


「アヒャスの言う通りだ……おおお、俺たちはこんなところをいつまでもうろうろしていたら、や、やややられちまう……さ、ささささっさとずらかりましょうよ」


 頭を綺麗に剃り上げており、全身から汗がだらだらと流れている。

 戦場では怪物じみた強さを見せるのだが、ふだんは小心で、おまけに吃音の持ち主である。

 名は、クルールといった。


「もも、もう俺たちの戦は終わったんだ。あ、ああとは逃げるだけです」


「わかってる」


 クルールの言葉に、リューンはうなずいた。

 実際、いやになるような負け戦だった。

 このまま戦場をうろついていたら、落ち武者狩りの格好の餌食になるだけだ。

 負け戦についた傭兵ほど、みじめなものはない。

 場合によっては、雇い主が死んだり捕虜になったりするため報酬が払われない、といったことすらあるのだ。

 幸いにというべきか、今回の「仕事」は報酬は半金を前払いにしてもらっている。

 それが唯一の救いかもしれない。


「兄者……とりあえず、逃げよう。前金でまだしばらく食っていくくらいのことはできるし、こんな御時世だ。次の『仕事』だってすぐに見つかる。な、兄者……」


「わかってるよ……くそっ」


 リューンは吐き捨てるように言った。


「確かにこんなところをうろうろしていたら、敵に狩ってくださいって頼むようなもんだ……全員、移動するぞ」


 リューンのあとを追って、二十人ほどの傭兵たちが歩き出した。

 彼らがいるのはフィーオン野の外れ、ほとんど北の森にほど近い場所である。

 とりあえずあの森を通ってできるだけ戦場から遠くに行こう、とリューンは思った。

 ここでリューンが賢いのは、あえて敵がやってきた北の方角に向かう、ということだった。

 林檎酒軍はフィーオン野の南側に陣取っていたので、敗走兵は当然、南のほうに向かうと普通ならば考える。

 その間に森を通って敵の目をくらまし、一気に敵軍の後背の北へと向かおうというのだ。

 あえて果敢な敵中突破を選んだのも、とにかく集団が移動するのとは「逆」にいかねばかえって危険だと判断したためだった。

 実際、もし強引に敵のただ中を突破せずにあのまま傭兵隊のなかで戦い続けていたら、完全に王国軍の歩兵によって殲滅させられていただろう。

 あちこちから血を流し、なかには負傷者もいる二十人たらずの男たちは、武器を携えながらも北の森へと足を踏み入れた。

 木々の葉の狭間から、陽光が射し込んでいるため、案外、あたりは明るい。

 彼らが入り込んだのは、常緑樹と落葉樹の混交林だった。

 ブナやナラに、クロマツやモミ、カシワなどが混じっている。

 濃密な樹木と腐葉土の香りが、鼻腔を優しく刺激した。

 まだ春も始めなので、木陰に入ると思ったより遙かにひんやりとさせられる。


「しかし……まさか、十五の小娘に負けるとはなあ」


 リューンは、ふと自虐的な笑みを浮かべた。


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