13 変化
「いや……いくらなんでも、十五の小娘がこんな見事な戦いをするものかね。兄者、おそらくお姫様には軍師かなにかがついていたんじゃないか?」
それを聞いて、リューンはうなずいた。
「軍師ねえ……しかし、一体、どんな奴が敵の親玉だったのか……確かに世間知らずの王女様にあんな戦が出来るとは思えないしな」
騎士たちを火の罠に誘い込んでから彼らがどうなったのか、リューンにはわからない。
彼らは広大な戦場の一部しか見られないのだから、これは当然のことである。
だが、いつまでたっても王国軍歩兵に背後から騎士が突撃をしかけてこなかったことから考えて、騎士たちも無力化させられたであろうことはまず間違いない。
そして背後に控えていた林檎酒軍歩兵三千も、結局は動かなかった。
もともと彼らは諸侯に無理矢理、徴用されてきた者がほとんどで戦意も低い。
眼前で傭兵隊がやられているのを見ても、援護に駆けつけてこようとはしなかったのだ。
もし指揮官である騎士たちとの連携がうまくいっていれば話は別だったのだろうが。
おそらく、騎士たちからの伝令もほとんど機能していなかったのだろう。
魔術師を使った伝令がいれば話は別だが、そもそも林檎酒軍は魔術師の数そのものが極端に少なかった。
(いくら大勢、数を集めたところでそれぞれがてんでばらばらだったってことか。で、敵の親玉はそれを見越して、騎士と傭兵、そして歩兵を綺麗に分断した。あとは各個撃破すれば……)
冷静に考えてみれば、敵の思考はきわめて合理的である。
戦というのはたいていそういうものだが、終わってみれば敗軍は負けるべくして負けた、としか思えないのだ。
むろん、偶然という要素も戦局をわける重要な要素になりうるが、林檎酒軍には運にも見放されていたらしい。
もし歩兵の指揮官のなかに、命令も待たずに傭兵隊の救援に駆けつける者がいたら、もっと戦いは違った様相になっていたろう。
しかし、林檎酒軍の歩兵はそもそも士気がひどく低かったのだ。
王国軍に傭兵隊が打ちのめされているのをみて、怖じ気づいてしまったに違いない。
あるいはそれすらも、敵将の計算のうちか。
(もし……本当に、軍師なんかいなくて王女様が軍隊に指示をしていたらとしたら……)
とんでもない怪物もいたものである。
「なあ、カグラーン。あの、今度の軍隊を率いていたお姫様、名前、なんて言ったっけ」
「レクセリアだ」
カグラーンが答えた。
「なんでも、王宮のなかでも変わり者だとかいうらしいが……詳しいことは俺もよくはしらんよ」
一般庶民にとって、王家の人間などはそれこそ天上の神々に近い。
なにしろ情報の伝達手段が少ない時代である。
王の名すら知らない者も、庶民では珍しくない。
封建制国家の場合、領主の名は当たり前のように知っていても、そのさらに上にいる王家の人々に関する知識などなくて常識、なのである。
「しっかし、そのレクセリア……だったか。いったい、どんな顔してやがるんだろうな」
そのときだった。
「旦那!」
巨大な熊のように顎髭を密生させたガラスキスが、あわてたように言った。
「まずい……いま、ちらっとだが森の向こうに、なんか光る物が見えた。ひょっとすると、敵兵かもしれない」
「冗談だろ?」
リューンは天を仰いだ。彼はきわめて感情表現が豊かである。
「まさか、もう落ち武者狩りを始めてるってのか? まだ、戦は終わってないようだが……」
その証拠に、背後からはまるで異世界の物音のように、いまだにかすかな剣戟や鬨の声が聞こえてくる。
「あるいは、この森にも兵を配していたのかもしれんぞ」
カグラーンが蛙みたいな顔をくしゃりと歪ませた。
「側面や背後をつかれないように、それなりに兵を置いておくのはありえない話じゃない。なにしろあれだけの戦をした大将なんだ。それくらいのことを考えていてもおかしくはない」
「ひひ……それじゃ、俺たち万事休すか? 前に進んでも敵、後ろに戻れば戦場……ひひひひ、これで俺たちはもう駄目かもな」
アヒャスが例によって笑い声をあげながら不吉なことを言った。
「まあ待て。ここから左に曲がって西に向かえば……」
ふと、あることをリューンは思いついた。
「なあ、カグラーン……ひょっとしたら、王女様の本陣は、騎士たちが突撃していった場所じゃなくて、別のところに置いてあるんじゃないか? つまり、あの本陣は騎士たちに突撃をかけて火で混乱させるための囮だったわけだ。だとすれば……戦場の背後の森に、本陣をおくってこともありえるよな?」
「まあ、ないとはいえんが……」
カグラーンが黒い髪をぼりぼりと掻いた。
「って……まさか、兄者!」
巨大な両目を見開くようにしてカグラーンが言った。
「あれが……敵の本陣だと?」
「だったら、面白いことになるぞ」
リューンは笑った。
「どうだ? 俺たちで王女様の顔を見物にでもいかないか? なにしろこれだけの戦をしたんだ。きっと、男勝りのとんでもない奴に決まってる。こっちはまだ、二十人いるじゃないか? まさか敵もいきなり本陣をつかれるとは思っていないだろ? ひょっとしたら、お姫様を捕虜にとれるかもしれないぜ?」
「馬鹿も休み休みいってくれ、兄者」
カグラーンが顔を青ざめさせた。
「そんなことをしたら、こっちが返り討ちにあう。いくらなんでも、本陣にもそれなりの守りは固めているはずだ。こっちは二十人しかいないうえに、みんな疲れきっている。怪我人だっている。それなのに……」
その瞬間、異変が起こった。
前方の、敵兵がいるあたりから凄まじい声がわき起こったのだ。
「敵襲だ!」
「殿下をお守りしろ!」
「アルヴァールッ!」
「アルヴァールッ!」
続いて、馬のいななきや馬蹄が大地を踏みしめる轟音が聞こえてくる。
すぐに剣と剣とが打ち合う、特徴的な金属音が聞こえてきた。
どうやら、敵兵は騎士の襲撃をうけているらしい。
火攻めの罠から生き延びた騎士が、あるいは森のなかに突撃をかけてきたのかもしれなかった。
この森は木々の幹同士の間、いわゆる樹間が広いうえ、下生えもほとんど生えていないため、騎士の馬も入り込むことが出来る。
「おっと……こりゃ、面白そうなことになってきた!」
そう叫んだ瞬間には、リューンは再び血まみれの大剣を鞘から引き抜き、ものすごい勢いで駆けだしていた。
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