14 王女

(読みがあたった!)


 武人としての興奮に、全身がぞくぞくと震えてくる。

 予想通り、敵はこの森のなかに本営を構えていたのだ。

 一応は騎士の突撃を警戒しているのか、簡単な馬防柵が周囲には設けられていたが、兵の数はさほどではない。

 騎士たちを叩くために、五百の兵はすでにフィーオン野に出て戦っているのだ。

 本陣の周囲に散らばっている兵士たちは、せいぜい五十というところだろう。


(勝てる……これなら、勝てるぞ!)


 ネルトゥスの部下たちも、主君の興奮が伝わったのか、勇ましい声を張り上げていた。


「我はハルメスのリクス! いざ尋常に勝負願いたい!」


「我は騎士ヴァーノス!」


「レクセリア殿下はいずこか!」


 途端に本陣にいた青い軍装の歩兵たちが槍を構え、剣を鞘から抜きはなったが時すでに遅しというものである。

 ネルトゥス麾下の「ハルメス鮫騎士団」の騎士七十騎は、馬蹄の音を轟かせて森のなかを駆けていった。

 が、次の瞬間、ひゅっという音が鳴ったかと思うと、一人の騎士のまびさしの狭間を貫いて矢が刺さった。

 連続して矢羽根が空を切る音が鳴り、騎士たちの体や馬体のあちこちに矢が突き刺さる。


「ぎゃあっ」


「がっ」


 何人もの騎士が、馬上からもんどり打って大地へと落下していった。

 それだけではない。

 突然、一人の騎士が矢も刺さっていないというのに、馬の上からずりおちていった。

 よくみれば、ちょうど騎士の首を直撃するほどの高さに、何本もの縄が張ってあるのだ。

 この罠にかかって、他にも何人もの騎士たちが馬上から大地にたたき落とされていった。


(さすがだ……レクセリア殿下! 準備は万端、ということですか!)


 すでに十騎ほどの騎士をネルトゥスは失った。

 だが、それでもまだ六十の騎士が残っている。

 彼らは蹄が大地を打つ激しい音を鳴らしながら、一気に本陣らしい天幕へと突進していった。


「我が名はハルメスのネルトゥス! 『ハルメスの鮫』としても知られている! 我と勝負をする者はおらぬか!」


 そのときだった。

 天幕の前から、一人の小柄な人影が立ち上がるのが見えた。


(あれは……)


 美しい、白みがかった豊かな金髪の持ち主である。

 兵にしてはあまりにも小柄で、背の高さは五エフテ(約一五0センチ)をさほど超えてはいないだろう。

 麗々しい銀色の鎖帷子を身につけていることからして、一般の王国軍の兵とも思えない。

 腰には、さまざまな装飾の施された長剣を下げていた。

 どう考えても、ただの王国軍の兵卒ではありえない。

 なにより、こちらの魂を射抜くかのような輝きを帯びたその瞳からして、相手の正体は明らかだった。


 片方の瞳は青く、もう片方の瞳は銀色に輝いている。

 俗に言う「ウォーザの目」の持ち主だ。

 この目のために、彼女は不吉な存在とてして王宮でも冷たい視線を浴びることが多かったのだ。

 彼女は立ち上がると、鞘から長剣を引き抜いた。

 白い小さな顔は、人というよりはよく出来た人形のように、つくりものめいて整っている。

 不可思議な色合いの大きな二つの瞳と、涼やかな目元、そしてよく通った鼻筋に小さな桜色の、ふっくらとした唇の持ち主である。

 大変な美少女、といってもいい。


 だが、彼女はただ美しいのではなかった。

 王家の者に特有の……否、王家の血をひいている者の間でさえ滅多に見られぬほどの、高貴さと凛然さとをあわせもっているのだ。

 彼女の体のなかには遙か二千年前、初代太陽王から連綿と続く王者の尊い血が流れているのである。


「お久しぶりです。ネルトゥス卿」


 少女は長剣を片手に言った。

 その神秘的な美貌にふさわしい、穏やかながらも凛としたものの込められた声である。


「まさかあなたと戦場でこうして相まみえるとは思いませんでした。あなたに教わった通りに『狩り』をしたつもりでしたが……戦とは恐いものですね。まさか、ここにまでたどり着くものがいたとは」


 やはり彼女は自分が教えた狩りのやり方を覚えていたのだ、とネルトゥスは思った。


「ですが、あなたに屈するわけにはまいりません。もし私を捕らえたいのであれば……命がけでくることです。それに、ここにはまだそれなりの兵士がいます」


 たちまちのうちに、周囲から王国軍の兵士たちが集まってきた。総勢五十人足らずとはいえ、立派な兵士である。


「あいにくと、婦女子と戦うのは私の趣味ではありません、殿下。いまであれば、名誉ある降伏の道を選ぶことができます」


 それを聞いて、レクセリアは、なんと微笑した。

 わずかに口の端をつり上げるような、優雅でいて、どこか凄みのある笑みだ。


「私が降伏すれば、兵たちのいままでの奮戦が無駄となります。どうしても戦に勝ちたいというなら、私の命をとるがよいでしょう」


 これには、ネルトゥスも沈黙せざるを得なかった。


 まさか王家の一員に手をかけるわけにもいかないので自分の安全を確信している、といった様子でない。

 レクセリアがそんな少女ではないことを、ネルトゥスは知っている。

 彼女はむしろ、自分の命すらもこの戦の道具に利用しようとしているのだ。

 もしレクセリアを殺したりすれば、大変なことになる。

 レクセリアの死を知った王国軍の兵士が逃げればこの会戦そのものは林檎酒軍が「勝利」したことになるが、問題はそのあとだ。

 王の娘に手をかけたということでネルトゥス個人の名誉が地に落ちるのはむろんのこと、林檎酒軍全体から、大義が失われる。

 王家の非道を糺すのはよいとしても、そのために王女……そう、彼女は女なのだ……を殺害したとあっては、南部諸侯は末代まで「戦で王女を殺した」と言われ続けることになる。

 これで王家を屈服させ、ラシェンズ候が自らの子を王位にすえたとしても、その子も子々孫々まで「王女を殺したことで王になれた」と言われ続けることになる。


 つまり、戦略的な意味で、彼女を殺すことは出来ないのだ。

 それを承知で、レクセリアはあえて挑発を行っている。


(大したおかただ……)


 ネルトゥスは、心底、感服して言った。


「もしあなたが男に生まれていれば、王家もいまのようなことにならなかったと思うと、残念でなりません……」


 だが、それでもネルトゥスは武人である。


「よろしい。そこまで覚悟を決めておられるのなら、こちらも容赦はいたしません。ただし、お命を頂戴するわけにはいきません。レクセリア殿下……おとなしく、我らに捕まっていただきますぞ」


 闖入者が現れたのはそのときだった。


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