3  帝王種

 そのアルグは、まさにアルグとしては並はずれた巨体の持ち主だった。

 通常、猿に似たこの種族の身長は、せいぜい五エフテ(約一・五メートル)ほどだ。しかもふだんは二足歩行時は前傾姿勢で歩くため、実際にはそれよりもさらに小柄に見える。

 だが、いまこちらに歩み寄ってくるアルグはどう見ても六エフテ(約一・八メートル)近くはあった。

 さらにいえば全身のたくましい筋肉の量は、ほとんど異常なほどである。

 太い松の根のような肉の束が幾つもよりあわされ、その上に黒い剛毛が密生していた。らんらんと輝く緑の瞳にも、他のアルグとはいささか異なる輝きが宿っている。

 もともとアルグは狡猾とされる。知能は人並みとも言われている。だが、そんなアルグたちのなかにあって、このアルグはさらに高度な知能を備えているように、レクセリアには思えたのだ。

 ある意味では、リューンと似たところがないわけでもない。だが、リューンでさえこのアルグの前ではあるいは貧弱に見えてしまうかもしれなかった。それはそもそも属する種族の違い、ということもあるかもしれない。

 実をいえば、身体機能では人間はアルグに劣るとされている。

 つまり、同数でまともに戦えば勝ち目はないのだ。

 そうした欠点を、人間は集団戦術や技術力、あるいは魔術や神々の法力といったもので補ってきた。実際、そのあまりにも旺盛な繁殖力などから考えれば、一歩間違えれば、人間ではなくアルグがこのセルナーダの支配者になり人間は狩り尽くされていたかもしれない、というどこかの賢者の説を読んだこともある。

 そうしたアルグたちのなかに、ときおりごく低い割合で、特に優れたアルグが生まれるともいう。

 このアルグは「帝王種」とも呼ばれている。身体能力、知性がともに並みのアルグとは桁外れだともいう。ただ、帝王種アルグはあまりにも数が少ないので、実在そのものが疑われていることもあった。

 だが、いま自分が見ているのが間違いなくなかば伝説の存在である、帝王種アルグに他ならないことを、レクセリアは確信していた。

 さらにそのアルグは、帝王種だというだけではなく、異様な点を備えている。

 全身が、傷だらけなのである。

 しかも古傷というわけではなく、つい最近、つけられた傷ばかりだ。さらにはその傷は、明らかになにかの図形、紋章といったものをなんらかの規則性をもって刻んでいる。

 アルグの魔術の体系などは、人間にはよくわかっていない。ただ、自らの体に特定の形の傷をつけて魔力を得る儀式のようなものがあるとは言われている。

 一体、このアルグはなにをしようとしているのか。

 帝王種アルグは、レクセリアの体が横たえられている祭壇の前で、天に向かって咆吼を放った。

 凄まじい音量の、暴風の如き声である。

 力強く、野蛮でいながらどこか哀調をともなったその吠え声は、不思議とレクセリアにはほとんど美しくさえ感じられた。そこにはなにかアルグなりの、「聖なる者」に対する畏敬の念のようなものさえ感じ取れるような気さえしたのだ。


(なにかを……呼ぼうとしている?)


 続いて奇怪な風体をしたアルグたちが何匹が帝王種の傍らに歩み寄ってきた。

 やはり体に文様のような傷があるが、これはどうやら相当に古くから刻んでいるものらしく、そのあたりの毛は抜け落ちている。あるいはこれはアルグの巫術師のようなものかもしれない、とレクセリアは思った。

 アルグの魔術は部族によっても多様らしいが、精霊と神々の力を借りるという点では共通している。巫術師らしいアルグが、恭しげに幾つもの黄ばんだ頭蓋骨らしいものをレクセリアのまわりに並べていった。


(これは人間の骨……ではない。この形は……アルグのものか)


 しかしアルグのものにしては、巨大すぎる頭蓋骨のようにも見える。


(そうか……これはただのアルグの骨ではない……帝王種の頭蓋骨だ!)


 希少な帝王種アルグの頭蓋骨がこれだけ並んでいるのを見るのは、あるいは人間ではレクセリアが初めてかもしれない。


(興味深い……アルグにこのような風習があったとは! しかもこれだけの手間をかけるとは、ただの因習や迷信ではなく……相当に力のある魔術的儀礼を行おうとしているのかもしれない)


 ある意味、この状況でそんなことを考えるあたり、レクセリアも相当な変わり者ではあった。

 通常の「お姫様」であればこんな忌まわしい光景に耐えきれず、泣き叫ぶか発狂するかしていてもおかしくはないのだ。否、さきほどまではレクセリアもまわりで行われているあまりにもむごたらしい惨劇に心を奪われていた。

 だが、いまのレクセリアはアルグたちの続ける儀式の支度を興味深げに観察している。

 あるいはそれは、当人も気づいていないかもしれないが、彼女の心が衝撃的な現実に耐えるために、一時的な防衛を行っているのかもしれなかった。つまり、儀式の支度を観察することに集中して意識を狭窄させることで、他の不都合な現実を閉め出してしまったのである。

 が、同時にもともとレクセリアがかなり知的好奇心の強い少女であるというのもまた事実だった。

 ヴィオスにより「知らない物事を知る愉しみ」を教えられてからというもの、レクセリアは実に広範な知識を収集してきた。いままで、アルグに生け贄に捧げられた者の記録などというものは残っていないのだから、これは非常に貴重な経験になるだろう。

 だが、いまのレクセリアは「なぜ生け贄に捧げられた者の記録が残らなかったのか」という冷厳な事実は、無意識に考えないようにしている。


「アアグウン・ガブラナルグ……」


「アアゴウン・ガブラナルグ……」


 巫術師らしい二匹のアルグが、帝王種アルグの左右に侍ると、そのままなにやら祈りの言葉らしいものを唱え始めた。

 まるで人間のソラリス僧の行う祭儀をアルグが真似ているようで、思わずレクセリアは笑い出しそうになったほどだ。つまり、それほど実は彼女は冷静なようでいて混乱している。


(やはりガブラナルグはアルグの主神……すべての祈りはこの神への礼賛から始まるのだろうか)


 そんなことを考えている間は、現実に置かれているこの異常な状況と恐怖から解放されるのである。レクセリア自身、どこかで自分が現実逃避を行っているとはわかっていたが、同時にこれが最高の対処法であるとも理解していた。

 人とは、時と場合によっては現実の深淵をのぞき込まないときが良いほうもあるのである。それは楽天主義とも異なる、人間が本来もつ心の防御法だった。

 だが、帝王種アルグが奇怪な咆吼をあげはじめるにつれて、しだいにレクセリアの心臓の鼓動はますます高鳴っていった。

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