2  リューン参上

「その……神なんだろう? 相手は。人間の信じる神様じゃなくても……神であることには替わりがない」


「その通り」


 ニアーランがうなずいた。


「どうしたね? まさか君、恐いっていうのかい? 相手はたかがアルグの弱小神だ」


「馬鹿かお前!」


 思わずリューンはうわずった声をあげた。


「いくらアルグの弱い神にしたって……神だろう? 神になんか人間が勝てるわけねえじゃねえか!」


 リューンの言っていることは、セルナーダの地での常識である。

 なまじ神々がときおり実体化したりするため、人と神との関係は複雑である。神代のように人の中に神々が混じって暮らすといった時代ではないが、それでもときおり、血肉をそなえた神が人や獣の姿で実体化することがあるのだ。

 そうした社会にあっては、神は抽象概念ではない。もっと具体的で生々しい存在であり、利益や災厄を直接、もたらすものなのだ。逆に言えば人々は神々の機嫌を損なわぬように細心の注意を払っている。

 神々とは、つまるところ恐ろしいものだ、という認識がある。

 かつてはリューンも平然と太陽神ソラリスを馬鹿にして嵐の神ウォーザを「俺の神様」などと呼んだりする、いわば「常識はずれ」な男だった。だが、いまではそれは、さまざまな意味で冗談にならなくなっている。

 ウォーザ神は地上にリューンにまつわるさまざまな奇蹟を起こすことで、積極的にリューンを支援する意志を現してきた。よくいえば、いまはウォーザ神の加護のもとにあるともいえるが……。


(なんだか、くそ重いものをしょいこまされた)


 というのがリューンの偽らざる本音だった。

 さきほど、ニアーランも言っていた。リューンは嵐の王という、「ウォーザ神の駒に選ばれたのに過ぎないのだ」と。

 あげくに今度は、ひょっとするといくらアルグの下級神とはえ、神そのものと戦うかもしれないのだという。


「なんだ……もしかして、怖じ気づいてるのかい?」


 ニアーランが失望したように言うのを聞いて、リューンは派手に頭を左右に振った。そのたびに、金色の見事な蓬髪が乱れていく。


「ばっ馬鹿言え! ぜんぜん、びびってなんて……」


 だが、その声がいささか裏返っているあたり、リューンというのはやはり正直者なのだろう。


「駄目駄目、せっかくの嵐の王がそんなことじゃあ」


 ニアーランが、憤懣やるかたないと言ったふうに顔をしかめた。


「いいかい、リューン! 君は嵐の王だ! ということは、こういうときでも雄々しく雄叫びをあげて蛮族のようにさらわれた王女様を助けに行くのが美学だと僕は思うんだけどね。わかるだろ?」


 そんな得体の知れぬ美学は聞いたことがない。


「それがなんだい! なまじ賢いせいで、こんなふうにこそこそと接近するなんて……それでも君は嵐の王の自覚があるのか!」


 なぜかニアーランは勝手に怒り出していた。リューンからすれば、もう勘弁して頂きたいというのが本音である。


「わかったから、ちょっと静かにしてくれ! アルグども、何十匹いるか見当もつかないんだぜ? だいたい俺はついさっきもアルグの襲撃をうけて、へとへとだっていうのに……」


「ふん、君が美学に反する行動をとるのがいけない!」


 といって空中でふんぞり返るニアーランの姿はまるで子供だった。


「こんな地味な襲撃じゃあ、ちっとも盛り上がらないじゃないか……やれやれ、じゃあ僕が、ちょっとここは一肌脱いで、派手に盛り上げてやろうじゃないか」


 やめろとリューンが叫ぼうとしたそのときにはもう、ニアーランの周囲に七つの七色の光の球のようなものが生まれていた。

 だが、ニアーランは神への祈りの言葉すら唱えなかった。昔、戦の神キリコ神に仕える僧侶イルディスに聞いたことがあるのだが、僧侶が使う法力というのはたいてい、祈りの言葉を唱えなければならないのだという。あるいは、ニアーランはなにか特殊な力を持つ僧侶なのか。あるいは……。

 その瞬間、凄まじい爆裂音があたりに轟き、リューンの鼓膜を槌のように叩きつけた。一瞬、あまりのやかましさに耳が聞こえなくなったかと思ったほどだ。

 続いて周囲に赤や緑、紫、青、金色、銀色、その他とにかく地上に存在しうるありとあらる色彩が夜空で激しく明滅した。


「馬鹿野郎! なにしてやがる! お前、それでも正気か!」


 リューンは思わず罵声をあげた。

 駄目だ。相手はやはり道化の神の僧侶だということをすっかり忘れていた。なぜこんなところにナルハインの僧侶がいるのかはわからないが、虹色の光に照らされたニアーランの顔は、無邪気な子供のように輝いて見えた。


「はははは、愉快、愉快! 嵐の王が初めて神殺しを行うんだ……やっぱり、これくらいの派手さがないとねえ!」


 まだ夜空はちかちかちといろいろな色に光り輝いている。遙か遠く、火明かりの見えるあたりから耳障りな、けだものに似ているがその癖、言語的な規則性のある騒ぎ声が聞こえてくる。


「くそっ」


 リューンは派手に舌打ちした。

 すでに、アルグたちにはこちらの存在を気づかれてしまったようだ。というより、あれでもし異変に気づかなければアルグというのもそうとうに愚かといえるが。


「くそったれが……ここまできたら腹、くくるしか,ねえってのかよ!」


 リューンは大剣を構えると、開き直った。


 その頭上の夜空では「嵐の王、リューンここに参上」という七色のセルナーダ文字がでかでかと輝いている。

 だが、リューンはまだ気づいていなかった。

 一見、馬鹿げたように見えるこのニアーランの「演出」のおかげで、霧でてんでばらばらになったリューン軍のものたちはアルグたちの集まっている場所にむかって一斉に駆けだしはじめたことを。

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