第四章  半神との戦い

1  召喚の儀式

 おぼろな月明かりが木々の枝葉からなる森の天蓋を透かして、地上に銀の光の矢とんって降り注いでいる。

 すでにあの謎めいた、乳白色の霧はどこかに消え失せていた。いま月明かりを頼りに、歩いていくしかない。

 それにしても、なんと奇妙な体験なのか。

 いままで幾つもの戦場を渡り歩いたリューンは、修羅場には慣れている。また、アスヴィンの森に入ってからはある程度、超常現象、つまりは怪異も経験した。

 そうした怪異に比べれば、いまの経験などさして異常なところはない。ただ、一人の宙をぷかぷかと浮かぶ道化の神ナルハインの僧侶を名乗る男のあとに付き従って、歩いているだけである。

 それなのに、なぜこれほど「異様」な感じがするのか。

 いや、異様というのともまた違う。とにかく、あのニアーランという名の僧侶の存在そのものが……どこか、この世ならざるなにかとしか思えないのだ。


(でも今更……あれがこの森のたちの悪い妖魅の類だとしても、ここまできたら付き従っていくしかねえ)


 すでに方角もよくわからない。平坦な森はどらちを見ても同じような姿を見せている。

 枝が異様にねじ曲がり、毒液のような樹液むしたたらせるブナやカバ、カシ、ナラ、カシワといった木々が多い広葉樹林である。

 もしニアーランが森に住んで人を騙す妖魅の類なら……いずれ道な迷って死ぬだろう。

 だが、不思議とニアーランを疑うつもりはリューンにはなかった。

 なぜか、理由は判然としない。だが、少なくともあの存在は「いまは味方だ」という気がするのだ。逆に言えば「将来にわたってずっと味方でいるとは思えない」というべきだろうか。

 いずれにせよ、賽は投げられたのだ。もはや、後戻りはできない。とにかく下ばえの草を押し踏みつつ、進むしかない。

 そのときだった。

 眼前に、ちらちらと揺れる火らしいものが見えてきたのは。


「おっと」


 ニアーランが宙に浮いたまま言った。


「これはまずいな。そろそろ、僕らも目立たない格好で、なおかつ静かにしないといけないようだ」


「あんたのその派手な格好、なんとかならねえのか?」


 リューンの言葉に、ニアーランが肩をすくめた。


「ちっ……こんなに趣味の良い衣裳にむけて文句を言うとは、『嵐の王』も服飾に関する趣味はいまいちとみえる」


「なにいいやがる。そんな道化みたいな格好してたら、アルグの猿どもだって目をまわしかねねえ」


 途端に、ニアーランが衝撃をうけたような顔をした。


「そんな……僕の服の趣味は種族すらこえた、絶対的な美だとばかり思っていたのに!」


「というか、声がでかい」


 リューンは顔をしかめた。今更ながら、なんでこんな男の言うことを信用してしまったのだろう、という気分になってきた。

 とはいえ、前方には確かに火が幾つも見えた。この森のなかにいる人間は、いまはリューンたちリューン軍くらいのものだろう。その彼のはぐれた仲間でないとしたら……あの火を焚いているのは、アルグとしか思えない。

 アルグは火を使うだけの知能を備えているのだ。

 野蛮人のようでもあり、猿のようでもありながら、人間以上に残酷、残忍きわまりない種族。それがアルグなのだ。

 彼らは特に、祭儀の時に火を焚くともいう。それが事実だとすれば……。


「なるほど、あれはなにかの儀式のようだ」


 ふいに、さきほどまでの軽薄な調子が嘘のように、ニアーランが重々しい声で言った。


「まずいな……ユリド・フラスの呪力も使っているのか、あるいはもともと『そういう目的』のためにあの岩は建てられているのか……」


 確かに目を懲らせば、火明かりをうけて不吉な影絵のように浮かび上がる幾つもの石の姿が見えた。

 巨石が、輪のようになって一つの場所を取り巻いている。こうしたユリド・フラスと呼ばれる古代の遺構のことはリューンも知っていた。


「そういやおふくろが言っていたな……ああいう巨石の輪は、危ないって。昔の……呪術王とかいう精霊の力をねじまげるものがあの石の輪をつくったって……」


「すべてが、というわけではないがね」


 ニアーランが言った。


「だが、たしかに、特にこのアスヴィン大森林に残っているのは、呪術王が邪な精霊魔術を使う際に用いたユリド・フラスが多い……ああ、ありゃあ『異界からどえらいものを呼び出すためのもの』だな」


 召喚術と呼ばれる魔術の流派があることは、リューンも知っていた。

 つまりは物質や動物などをその場に呼び出す技なのだが、召喚術でも複雑で高度なものになると、この世とは異なる異界の存在すらも呼び寄せるという。

 おそるべき力をふるう妖魔や、果ては下等な神の類すらも力ある術者は召喚できるという。それと似たようなことを、まさかアルグもしているというのか。


「ふん……なるほど、レクセリア王女は黄金の血を……ソラリス神の血を一応はひいているからなる。アルグの暗き神々が好みそうな生け贄だ」


「ちょっと待て」


 あわててリューンは言った。


「生け贄……って、レクセリア殿下がか?」


 ニアーランはうなずいた。


「ある意味では、あの人ほど『生け贄にふさわしい』人はいないよ。セルナーダでもっとも高貴な血をひいた乙女だ。まあ、だとすれば神が降りる瞬間までは……王女様の純潔は保証されているね」


 神が、降りる。いま確かにニアーランはそう言った。


「おいおい、冗談じゃないぞ……つまりなにか? 奴らは……」


「アルグどもは、自分たちの信じる神を、地上に召喚しようとしているのさ」


 ニアーランは笑った。


「たとえば僕……の仕える強くて偉くて格好いいナルハイン神くらいだと、地上での分身を簡単にこさえることができる。でも、力の弱い神々だとそうはいかない。だからわざわざ儀式を行って、しかるべき魔術儀礼を行い、それでようよう地上に力の一部を神は送り込むってわけさ。まあ、おそらく僕の見たところ、あのアルグどもが呼び寄せようとしているのは自分の氏族の祖霊神じゃないかな。いくらなんでも、ガブラナルグやウズガルグといったアルグの神々でも『大物』を呼び寄せるのはあいつらじゃあ力不足だ」


「でも、その……」


 リューンの喉は、ひどく乾いてきた。

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