14  二人のセムロス伯

「こちらが五万を殺した。となれば、エルナス公も『覚悟のほど』をみせなきゃならないじゃないですか。いいですか? 戦ってのは殺し合いなんです。貴族連中はそれくらいのことはわきまえている。となれば……まあ、やるべきことは『義のための殺戮』ですかね。エルナス公はそのあたり、民心をうまく掴むことができる能力をもっている。おそらく、セムロスの住民を五万ほど殺すでしょう」


「なっ……」


 ディーリンは呆然と口を開けた。

 セヴァスティスはなにを考えているのだ。エルナス公がそんなことを……。

 心底、セムロス伯はぞっとした。

 やる。あの男ならやる。むしろ愉しんで無辜の民を殺すだろう。

 だが、エルナス公は「馬鹿ではない」のだ。あの美しい顔に涙を浮かべ「王家の非道を糺すためにセムロスの民には死んでもらわねばならない」などと演技をしてみせるだろう。

 やられた。

 セヴァスティスも、ゼルファナスもまともな人間の枠の外側にいるのだ。彼らは殺すことを愉しんでいる。戦を心底、愉しんでいる。


「セヴァスティス!」


 ディーリンは肩を震わせると叫んだ。


「貴様を解任する! さっさと汚らわしいネヴィオン兵どもと一緒に住処の森に戻れ!」


「は?」


 いきなり、セヴァスティスの態度がひどく冷ややかなものに変わった。


「お前、なにを言っているんだ?」


 セムロス伯であり、義兄でもあるこの自分をお前呼ばわりするとは、どこまでこの男は増長するつもりなのか。


「私はセムロス伯ディーリンだぞ! 私が誰か、わかっているのか?」


「おやおや、困ったことだ」


 セヴァスティスがげらげらと笑った。


「戦場では狂気を司るホスに憑かれる者がいるっていうが本当だな……こいつ、よりにもよってセムロス伯を騙りやがった」


「な、なにを」


 なにを言っているのかわからない。


「私はセムロス伯……」


「……じゃない! 後ろをみな!」


 ディーリンは後ろを振り返り、そして見た。

 大柄な中年男がそこにいた。顔も目の鼻も大きく、精力的な力に満ちた……己の姿を。

 いや、よくみれば細部が違う。自分とはどこか、雰囲気が違う。よほど親しいものではないとわからぬだろうが……。


「これは参った。戦場に私の騙り者が出るとは。いやはや」


 「セムロス伯ディーリン」は凄みのある笑みを浮かべた。


「なにを……なにを馬鹿な!」


「馬鹿なのはあなたのほうよ」


 ディーリンの後ろから、シャルマニアとシュタルティス二世がゆっくりと姿を現した。


「な、なにを言うか、シャルマニア! お前は父の姿の見分けもつかぬのか!」


「父?」


 シャルマニアの緑の瞳に、殺意にも似た煌めきが宿った。


「私の父は、セムロス伯ディーリン。あなたじゃない。ねえ、陛下」


 傍らにいたシュタルティスは、ひきつった笑顔をうかべて言った。


「そうだな……セムロス伯は、二人はいらない。私の目には……その……」


 危険を感じたそのときにはもう、何もかに背後から抑えられていた。


「陛下! 陛下! なにを考えておられる! これはいけませぬ! セヴァスティスは……この者は恐ろしい怪物です! このようなものがいれば……」


「い、戦には勝てる!」


 シュタルティスの声はうわずっていた。


「戦に勝てば生きのびることができる! だから余はセヴァスティス将軍を信じる!」


 目の前が真っ暗になるような気がした。

 シュタルティスは決してただ暗愚なだけではない。ある意味、自分の生存をはかるというその点においては大した才能を持っている。そのシュタルティスに、切り捨てられた。

 自分が操っている相手が誰であれ、シュタルティスにとってそんなことはどうでもよいのだ。あの臆病な国王にとって大事なのは、「どれだけ自分の安全を確保してくれるか」というそれだけなのだ。


「陛下……この騙り者……いかがなさいますか?」


 「セムロス伯ディーリン」の声は、気味が悪いほどに自分の声に似ていた。

 どこでこんな男を捜してきたのかはわからないが、そんなことを詮索しても仕方がないだろう。


「陛下……戦では、ホスに憑かれる哀れな者は多いのです。どうかこの者にご寛恕のほどを」


 笑いながらそういうセヴァスティスの言葉を聞いているうちに、いっそホスにでも憑かれたほうがましだ、とディーリンは思った。


「命まではとってはならぬ」


 ふと、シュタルティスが狡猾そうに目を細めた。


「この男は、アルヴェイア諸侯の様々な秘密を握っている。これから諸侯を集めるには、この者の知識が必要となろう。決して殺してはならぬぞ。むろん逃がしてもならぬ」


「心得ましてございます」


 セヴァスティスが臣下のように国王にむかって一例した。

 駄目だ。

 こんなことは許されない。そう思ってはいるのにもう体が動かない。左の腹部にまた激痛がやってきた。

 神々に祈ろうとしたが、こんな運命を与える神々になど信じて無駄なことだとディーリンは悟っていた。

 これからどこかに幽閉される運命が待っているのだろう。そして表向き、「セムロス伯ディーリン」が必要なときは、あの自分に瓜二つの男が代役をつとめる、というわけだ。

 ついに、セヴァスティス率いる王軍と、エルナス公ゼルファナス率いる軍勢の二つに分かれた内戦が始まろうとしている。

 二人ともいたずらに人を殺す男たちだ。その戦は凄惨なものになるだろう。死体が山と積み重ねられ、血が大河を描くことになるだろう。

 どちらが勝つかはわからない。だが、一つだけ確かなのは……どちらかが勝とうがアルヴェィアはすでにかつての国力を失い……。


(このままでは、いずれアルヴェイアは、滅びる……)

  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る