4  神降ろし

「グオ……ングオ……」


 いつしかあたりにいるアルグたちも、なにやら声を上げ始めている。そのなかにときおり、槍乙女たちの悲鳴が混じっているが、あるいはアルグたちが槍乙女たちに行った無惨きわまりない行為もまた、神に捧げるものであったのかもしれない。

 いつしか周囲の空気の質のようなものが、微妙に変化を始めていた。

 単なる惨劇の場であったものが、まるで寺院のなかのような妖しい宗教性を帯びつつある。それは異形ではあるが、確かに一種の祭祀空間のようにレクセリアには思えた。

 なにかが……遙か遠いとこらから、次第に近づいてくるような気がする。

 見ると、自分の周囲に置かれた古い頭蓋骨から、白いもやのようなものが流れ出していた。

 あるいはそれは、魔術師や霊を見る……つまり魔術界を見ることが出来る者であれば、よりはっきりと白い霊的物質として見えたかもしれない。白いもやはやがて煙のようなものとなり……帝王種アルグの鼻腔と口のなかへと吸い込まれていく。


「ジャガル・ジャンガッタ・ガフィ……」


「アグラル・アゴス・オロイア……」


 巫術師たちの唱えるいかがわしい祈りの声のようなものが次第に熱を帯びていく。

 すでにレクセリアの目には、頭蓋骨からわき出すような白い煙めいたものがはっきりと見えた。その煙を大量に吸引していく帝王種アルグの姿が、やがて微妙な変化を始める。

 初めは、気のせいかとも思った。筋肉の量が、さきほどに比べて増えたような気がしたのである。

 しばらくその姿を観察しているうちに……それが、目の錯覚などではないことに気づいた。確かに、眼前の帝王種アルグの筋肉量は増大を始めているのだ。めきめきときしむような音をたてて、筋肉がはりつめていくのがわかる。

 むろん、自然現象のはずがない。なにか超常現象が眼前で起きようとしているのだ。さらには帝王種アルグの眼球にも、変化は生じていた。

 さきほどよりも眼球までもが大きくなっていく気がする。そのために、眼窩から溢れそうになったアルグの眼球がもこりとこぼれおちそうになっていた。さらに眼球には微細な血管がひどく目立ち、血走って見えた。

 また、口に植え込まれたような無数の牙も、それぞれその大きさを増していく。

 なんなのだこれは、とレクセリアは半ば圧倒されていた。

 魔の森アスヴィンで、いままで何種類もの怪物としか表現しようのない魔獣をレクセリアは目にしてきた。おそらく、いまの帝王種アルグよりはるかに巨大で、力を持つ魔獣はいくらでもいたはずだ。

 だが、なにかが違う。

 いま、帝王種アルグに宿ろうと……あるいは帝王種アルグが「なろうとしている」ものは、ただの怪物ではない。

 その証拠に、赤く血走った目に宿る輝きは、人間をも凌駕しそうなほどの高度にして冷徹な知性と、野生の獣ではありえぬ絶対的な残忍さに輝いていた。

 なんなのだ、これは。

 帝王種とはいえ、ついさきほどまでそこにいたのはただのアルグに過ぎなかった。だが、儀式が始まってからこのかた、アルグはもはやただのアルグなどを遙かに超越した「なにか」に変貌しようとしている。

 それをさすのにふさわしい言葉を、レクセリアは知っていた。

 だが、あまりの忌まわしさと恐ろしさに、その言葉を考えまいとしている自分がいる。

 こんな恐ろしいことがあるわけがない。

 そんなことがあるわけがない。

 だが、いま眼前で起きている現象はいったいなんなのか。

 単に身体を増強する魔術を使ったとは思えない。そうした小手先の魔術とは違う、なにかとてつもなく恐ろしいことが起きようとしているのだ。


(これは……まさか……さほど、力はないものとはいえ……)


 レクセリアは全身がびっしりと粟立つのを感じながらかすれた吐息を漏らした。


(やはりこれは……アルグたちの……神を、この帝王種に降ろそうとしているのか!)


 神。

 異界にすまう、超常の、力ある存在。

 神の格にもいろいろとあり、そもそも魔術師たちが神とはなにかと定義するだけで神々に仕える僧侶たちとの間で一騒動がわき起こる。

 だが、それでも誰もこの地では、神々の存在自体を疑う者はいはしない。太陽や大地の存在を疑うものがいないように。


(アルグの神が……いま、降臨しようとしている!)


 あるいはごくわずかながらとはいえ、太陽神ソラリスの血をひいているためなのか、本能的にレクセリアは真実を看破していた。


「オオッ……オロオオオオオオオオオオッ」


 毛皮の内側に恐ろしい量感の筋肉をみなぎらせた帝王種アルグが、森の底で頭上を仰ぐと咆吼を放った。


「ガジャッグ!」


「ガジャッグ!」


 何匹ものアルグが、かけ声とも歓声ともつかぬ声を上げている。あるいはガジャッグというのはこの帝王種アルグ……もしくは彼に宿りつつあるアルグの神の名前なのかもしれない。

 どこかで似たような光景を見たことがある、とレクセリアは思った。

 そうだ。グラワリアの紅蓮宮で、リューンがウォーザ神のいかづちをうけて新たなる力を得たときと、よく似ているのではないか。

 神々の力が地上に現れるときは、やはり似たような空気のものが現出するのだろう。たとえ神にしてはまだ弱く、そして邪悪きわまりないものにしても……いまレクセリアの前にいるのは、確かに神の力が宿ったものだった。

 その、神に憑かれた帝王種アルグが、レクセリアを見た。

 喰われる、そう思った。

 そのための、自分は生け贄なのだ。この神に引き裂かれ、ばらばらにされて喰われるための生け贄としてさらわれてきたのだ。

 自分でも気づかぬうちに、レクセリアは救いを求める悲鳴をあげていた。


「助けて! リューンヴァイス!」


 その瞬間、神を降ろした帝王種アルグの背後の空が七色に光り輝いたかと思うと、凄まじい轟音があたりに轟いた。

 


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