5  闘争

 ちりちりと全身の毛が逆立っていくのがわかる。

 なにか、とてつもないものが「出現した」ことをリューンの本能が感じとっていた。


(なんだ……この、おかしな感じは)


 アスヴィンの森に入ってから何体もの魔獣たちと戦ってきた。確かに魔獣のなかには凄まじいまでの闘気とでもいうべきものを放つ者はいたが、そうしたものとは明らかにいま感じてるものは質が違う。


(やばい……なにか、ろくでもないものがいやがるぞ、これは……)


 魔獣より危険なものなど存在するのだろうか。

 いる。それが答えだ。リューンの本能は、確実にその危険ななにかがいますぐ近くにいると告げている。

 どこかで覚えのある感覚のような気もするのだが、思い出せないのがいささかもどかしい。だが、確かに似たような感覚を以前、味わったことがある。

 とはいえかつてのときは、それは決して敵対的な感覚ではなかった。むしろ友好的で、どこか懐かしさにも似た感覚だった。

 が、今回は違う。

 敵対どころかの話ではない。とてつもない殺意、悪意、破壊衝動、そうしたものが岩が輪を連ねたユリド・フラスのなかから放たれてる。


「くそったれがあ!」


 ともすれば圧倒されそうな、何者かの放つ強烈な霊気に対抗するかのように、リューンは咆吼をあげると大剣を掲げたまま走る速度をあげた。火明かりに照らされた巨大な黒々とした岩がしだいに近づいてくる。

 リューンの鋭い目は、岩の狭間からわらわらとわき出してきたようにも見える、人に似た奇怪な姿を捉えていた。

 アルグだ。

 十匹、いや二十匹近いアルグが奇声をあげながら接近してくる。闇の中、幾つもの緑の瞳がぎらぎらと不気味な輝きを放っていた。


「アアック・ガジャック!」


「アアック・ガジャック!」


 取り憑かれたかのように似たような言葉を放ちながら、アルグたちは牙をむきだしにしてリューンのもとに駆け寄ってくる。


「きやがれっ猿ども!」


 リューンは一声、吼えると目の前に跳躍してきたアルグめがけて大剣を振るった。

 右からよこざまに繰り出した斬撃が、アルグの体の中央に直撃する。その勢いのあまり、アルグの体は一瞬にして切断されるより前にまず破裂した。腹が衝撃で裂かれ、口から赤黒い臓物が噴き出していく。そのままアルグの体は背骨まで切断され、二つにちぎれたまま闇のなかに転がった。


「キャアアック!」


「カバッカッ!」


 耳障りな声とともに、今度は左右から時機をあわせて二匹一緒に飛びかかってくる。一度、左に振り抜いた刀身を今度は逆に右にむかって振り上げた。


「!」


 左からきたアルグの下腹が弾け、毛むくじゃらの肉体がくるくると宙を舞う。さらに右へと向かった大剣の刃は今度は右のアルグの首を跳ねとばした。残虐な笑いを浮かべたままのアルグの頭が、放り投げたように天上にむかって飛んでいく。

 その隙をつくかのように、真っ正面から褐色の毛をもつアルグが跳んできた。

 大剣はすでに右に振り切っている。再びこれを左に戻している暇はない。即座に判断を終えたリューンは、右足を思い切り上に向かって鋭い鞭のように放った。

「キャギイ!」

 下から股間を潰されたアルグは、そのまま臓物まで体内で破裂させていた。リューンの脚力は恐るべきものであり、下から放った蹴りだけでもアルグの肉体を即死させるには十分なものだったのだ。

 だが、これで体勢が崩れた。

 その隙を逃すようなアルグたちではない。

 今度は四匹ものアルグが、狂乱しながら飛びかかってきた。


(まずい!)


 普通、一対二で戦うだけでも接近戦では圧倒的に不利である。だというのに、今度は人間よりも身体能力にすぐれたアルグが四匹、一斉に躍りかかってきたのだ。

 まともに相手をするのは無理だ、と即座に冷徹な判断をリューンは下していた。だとすれば、この体勢のくずれを利用するしかない。

 右足を上にあげたままのリューンは、今度は左足も上方にむかって放りあげるようにした。つまり、自ら両脚を上にあげ、仰向けに大地に倒れかかるような異常な姿勢をとったのだ。

 さすがのアルグたちも、相手がこんな捨て鉢な行為に出るとは思わなかったようだ。接近戦で敵の下になるということは、自ら不利になるようなものだからだ。

 だが、リューンの判断は正しかった。

 リューンの上に集まった四匹のアルグは、牙と爪と互いにむけあう形で、空中で衝突する羽目になったのである。


「ギャイッ」


「ケエイッッ」


 無様に違いをひっかき、あるいは仲間の首筋に歯をたててしまったアルグたちが狼狽しているさまを、リューンは下から見上げていた。すぐに体を右に回して剣を大地に叩きつけるようにして地に墜ちる衝撃を吸収させる。

 もしここが岩場であったなら、あるいはすでにだいぶ傷ついた刀身が折れ、さらにはリューンの肩も致命的な怪我を負っていたかもしれない。

 だが、アスヴィンの森は邪悪な生物をはぐくみながらも、その土壌は黒く柔らかい土で出来ていたことがリューンを救った。むろん、ちゃんと周囲の土のこともリューンの頭のなかには入っていたのだが。

 とりあえず右向けになったまま、大地に身を横たえた格好になった。ある意味では、ひどく無防備な姿である。

 一匹のアルグは仲間と衝突し、頭を打ちつけたためか意識を失って転倒した。さらにもう一匹のアルグも同族の牙を首筋にうけて、大量の血を迸らせたまま大地に落ちてくる。

 だが、残った二匹のアルグはこのままでは真上からリューンを襲えることになる。

 とはいえ、どこまでもリューンは諦めない。諦めた瞬間、戦士は死ぬということをあまたの戦場をくぐりぬけた彼は知悉しているのだ。


「おらあっ」


 吼えながら、いままで剣の柄を握っていた左手の拳を固く握りしめると手の甲から前腕にかけてを長大な棍棒のようにして二匹のアルグめがけて放っていく。

 さらにリューンの恐るべき闘争本能は、この瞬間の即座に足を曲げ、さらには右手で持った剣を思い切り大地に叩きつけてその反動で体を起きあがらせていた。

 無防備だと思っていた相手の左手が近づいてくることにアルグが気づいた瞬間、二匹のアルグはまるで横から杭でも打たれたかのように、リューンの鉄拳をくらっていた。二匹のアルグがそろって眼球を飛びだたせ、血反吐を口から噴き出していく。

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