第三章 激流
1 逃げ惑う
すでに勝負あった、と見るのがおそらくは正解なのだろう。
実際、この状況で逆転劇が起きるとは、ちょっと考えられない。
なにしろリューンヴァイスは、自らの大剣を折ってしまったのである。
それまでは防戦一方とはいえ、リューンもよく戦っていたとレクセリアは思う。
(ですが……あのゼヒューイナス候の『巨人殺し』はあまりに、大きく、そして重すぎたということですか……)
なにしろ何十回も、あの巨大な剣を受けていたのだ。
リューンの剣の刀身の鉄が負荷に耐えかね、折れるのも当然といえば当然だった。
とてつもない重量の剣を、しかも恐ろしいほどの高速で立て続けに撃ち込まれたのである。
リューンは勇戦していた、といってもよかった。
もし剣が折れなければ、あるいはあのまま逆襲に転じることもできたかもしれない。
なにしろアルヴァドスは重い鎖帷子をまとい、さらに巨大すぎる剣を振り回すことで体力をずいぶんと消耗していたのだ。
だが、もはやリューンには勝機はあるまい。
いま彼が持っている武器は、腰に差した短剣らしいものだけだ。
リューンは素早く腰から短剣を引き抜いたが、それは遠くからみると裁縫に使う針ていどにしか見えなかった。
「ああ……」
「これは、どうやら勝負あったようですなあ……」
観覧席のあちこちから、そんなグラワリア貴族たちの声が聞こえてくる。
「やはりリューンなるもの……あそこまでしのいだのは見事ではありますが……」
「あの短剣では……間合いに入ることすら難しそうですな」
残酷だが、やはりすでに勝敗は決していると見るべきか。
そうなれば、リューンというあの傭兵隊長は、これからなぶり者にされて殺されることになるだろう。
リューン。
自分と同じ「ウォーザの目」を持つ不敵な傭兵。
奇縁でいままで彼とは結ばれていたが、ここでまさか彼の死を見届けることになろうとは。
なにか、得体のしれぬ胸の鼓動の高まりを感じた。
リューンは、よく戦った。
あれだけのアルヴァドスの猛攻を凌いだのだ。
それだけでも賞賛に値する。
それに、なぜか理由は自分でもよくわからないのだが、リューンには死んで欲しくはない。
優れた戦士だから。
あるいはその勇敢さに免じて。
さまざまな理屈が思いつくが、それが理屈でしかないことを本能でレクセリアは感じとっていた。
自分の本能が、リューンを殺してはならない、リューンを殺させてはならないと叫んでいる。
なぜそんなことを、たかが一介の傭兵に対して抱くのか不思議でならなかったが、レクセリアはガイナスにむけて言った。
「陛下……どうか、ご寛恕を」
それを聞いて、金杯の葡萄酒を干したガイナスが不敵な笑みを浮かべた。
「レクセリア姫。貴女は別に、余に許しをこう必要はないと思うのだが」
「私ではありません」
レクセリアは、言った。
「あのものを……傭兵隊長リューンをご助命いただきたく……」
「殿下が、なにを言っているか余にはわからぬ」
ガイナスが愉快げに言った。
「なぜ余があのものを助けねばならぬのだ」
「た、たしかにあのものは、命を賭けて戦いました。しかし、あれほどの腕を持つものをみすみす……」
途端に、ガイナスが低い声で笑った。
「くくっ……レクセリア殿下、貴女は将としての才はあるがやはり『戦士』ではないな」
ガイナスの言っている意味が、一瞬、レクセリアにはわからなかった。
「なぜ……余が『勝っているほう』をわざわざ助けねばならんのだ?」
そのときだった。
アルヴァドスが大剣を振り上げると、とてつもない勢いでリューンめがけて打ち下ろしたのは。
「!」
レクセリアはあやうく悲鳴をあげそうになったが、リューンはその一撃を、きわどいところでよけていた。
軽い革主体の鎧だからできる敏捷な身のこなしである。
「ちいっ……ちょろちょろと小賢しい! すでに勝負はあった! 我が剣をうけぬかあ」
アルヴァドスが獅子のような咆吼を放って、立て続けに斬撃を繰り出していく。
剣で受けるのと、斬撃を四肢を使ってよけるのとでは体の動きがまるで違う。
言うまでもなく、剣で受けるほうがはるかに容易なのである。
にもかかわらず、リューンはまるで軽業師のように素早い動きで、アルヴァドスが放つ攻撃を見事に回避していた。
もしこれが戦いの始まった頃だったならば、また話は違っていたろう。
なにしろ最初の頃のアルヴァドスの猛攻たるや、まともな人間では切っ先の動きをみきることすら不可能なような速度だったのだ。
だが、いまではアルヴァドスの剣速はだいぶ落ちている。
体力の消耗に伴い、相当にゆっくりとしたものになっているのだ。
とはいえ、状況が圧倒的にアルヴァドスに有利なことには変わりがない。
なにしろアルヴァドスは、巨大な剣を獲物として持っている。
その間合いがあまりにも長すぎるため、うかつに中に入ったら即座に斬り殺されてしまうだろう。
巨大な剣の刀身の長さぎりぎりのあたりで、リューンはひたすらに逃げ回っている。
金色の蓬髪を乱し、顔を真っ赤にして駆け回るリューンの姿は、その必死さも手伝ってかどこか滑稽みをおびたものとなり始めていた。
「おやおや」
「さきほどまではよく戦っていたと思ったが……これは、どうも」
「なるほど、さしもの傭兵隊長も、こうなってはゼヒューイナス候に仕留められるのを待つだけですなあ」
観覧席のあちこちから、失笑が漏れ始めた。
なかには露骨な嘲笑を放つものもいる。
だが、彼らのなかにはどこか安堵したといった空気があった。
ある意味では、グラワリア貴族がそう思うのも当然のことだ。
なにしろ、この試合の勝者こそは次代のグラワリア王となるのである。
もしリューンが勝てば、黄金の血など一滴もひいていない下賎の身が、伝統あるグラワリアの玉座に座ることになる。
そのようなことになれば、貴族たちも大混乱に陥るはずだ。
だからこそいままで誰もが緊迫した試合に息を呑んでいたのだが、もはや大勢が決したとなれば話は別だ。
「しかしすばしっこいですなあ」
「まったく、逃げ足ははやいが……これはいささか、その、ひどい。無様というか、みっともないというか……」
実際、何度となく振り下ろされるアルヴァドスの剣から、リューンは必死になって逃げまどっていた。
情けないといえば、相当に情けない姿である。
一度など、危うく転びかけて砂場に頬をこすってしまった。
そのおかげで、まるでリューンの顔は白粉をぬった道化もかくやといった有様になっている。
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