2  領主の覚悟  

 貴族たちは、常に利で動く。そのことを、ディーリンは知悉していた。

 大義名分や自己陶酔で愚かな行動をしたあげく、破滅する貴族たちをディーリンは何人も見てきた。実際、自らの手で「たたきつぶした」者も何人かいる。

 きれい事を並べるような人間は統治者として失格、とディーリンにはわかっている。

 領民のためにはいくらでも冷酷になれる。そういった凄みが時には必要でもある。

 だが、基本的には民に優しく。それがディーリンという理想的な領主の人格を形作っている。

 では、なぜそのセムロス伯ディーリンは、あえて王家を乗っ取るが如き真似を行い、エルナス公ゼルファナスと正面から対決しようとしているのか。


(皆は美しい容姿に騙されているようだが……人というものはあれほど簡単に、外見に騙されるのか。いや、男でありながらあれほどの美を誇るというのがなにか異様なことではないかと気づかぬものか)


 ディーリンにしてみれば、なぜゼルファナスという「王国にとってひどく危険な人間」に対してみなが無警戒なのか、そちらのほうが理解できない。

 幼い頃から、ディーリンは貴族として、ゼルファナスのことを見守ってきた。そしてその美しい少年だったものが、なにか得体のしれぬ怪物にしだいに変貌していくのをつぶさに観察していた。


(なにかが……なにかが、あの者はおかしい。もともとは王家の者には、『祝福者』が多いとはいえ……)


 祝福者とは、王家に生まれた精神や身体に障害を持つものたちのことである。彼らは得に太陽神ソラリスの生命の力を強く吹き込まれたため、人とは違った心や肉体のありようをもつ、とされている。近親婚を繰り返して血が濃くなりすぎた必然ではあるのだが、それを「祝福者」と呼ぶこと自体、ある種の欺瞞ではある。


(だがいくらなんでも……あれは、異様だ。ホスに憑かれている、というのともまた違う……ホスのもたらすわかりやすい狂気とはまた異なる……あの残虐さ……冷酷さ、人を人とも思わぬ嗜虐性……一体、あれはなんという怪物なのだ?)


 つい先日、薨じた隣国グラワリアの王、ガイナスのことをついディーリンは思いだしてしまう。


(ガイナス王もある意味ではあの者に似ていた……ガイナス王は戦に憑かれ、ただ戦をするために戦を行い、グラワリアはあげくにばらばらな内戦に突入している……もしゼルファナスが王位につけば……こんなものでははすまない。あの者はもっとなにか恐ろしいことをしでかす。そうなれば、セムロスもただではすむまい……)


 一言でいえば、ディーリンをここまで駆り立ててるのは、王国やセムロスの民を守りたいという思いと、ゼルファナスというある種の異形……美しすぎるというのは立派な異形なのである……の肉体と精神を持つ者に対する「恐怖」の現れに他ならなかった。


(そうだ、私はあの者を恐れている)


 セムロス伯領を有し、いまでは王国の貴族のかなりに強い影響力を及ぼす、事実上のアルヴェイア一の権力者でありながら、ディーリンは心の奥底で、ひたすらにゼルファナスを恐れている。


(あれは一体、なんなのだ……ゼムナリア信者として訴えはしたが……それもあるいは、真のことなのではないか? あの男は、忌まわしい死の女神となにか深く関わっているのではないか?)


 セルナーダの地において、死の女神ゼムナリアは最悪の邪神である。その教義は自殺、他殺をとわずあらゆる死を肯定するという異常なものだ。太陽と生命の神ソラリスに敵対する者でもある。

 ゼムナリアを信仰しているというだけで、死罪に処されるには十分なほどだ。そうやって、エルナス公を処刑しようとしたのはいま考えればいかにも拙速だが、逆にいえばそれだけディーリンは焦りを感じていたのだ。


(死、か……)


 いまこうして馬上にいても、ときおり、ずしりという重い痛みが左の脇腹に走る。

 病である。

 秘密裡に癒しの女神イリアミスの尼僧に看護をさせ、またさまざまな魔術儀式で病の霊を祓おうとしてはいるのだが、なかなかうまくいかない。

 さらに病が篤くなると、耐え難い痛みになるという。黒陽病と呼ばれるこの病は、生命の神ソラリスの力が逆転したもの、とも言われている。その者の生命力が強ければ強いほど病の進行も早くなるという不思議な病なのだ。昔から黒陽病には治癒法力や魔術が効きにくいため、特に権力者からは恐れられている病だった。ある程度の権力を持つものは、治癒法力や治癒魔術でたいていの病気や怪我から逃れられるのが、魔術的な力が実在するこのセルナーダの地の常識なのである。

 すぐる日の対グラワリア戦のときも、あくまでディーリンは「病」と称して参陣しなかった。そのかわりに十分な資金は送ったが、誰もがディーリンの病など仮病だろう、と信じている。単にディーリンは戦が苦手で知られていたので参陣する気にはなれなかったのだろう、と。

 そしてディーリン自体、そうした噂を否定しなかった。というよりも、実は手のものを使って積極的にそうした噂を流させたほどだ。

 真実と嘘が表裏一体の関係にあることをディーリンは知っている。そうでなければ、生き馬の目を抜くアルヴェイア貴族たちの間で生き抜くことなど出来ようもない。


(しかし……私にもう少し、戦の才があれば……『あのような者たち』を使って、恫喝をくわえることもなかったのだが)


 馬上から、ナイアス市街を囲む城壁を見やりながら、ディーリンは舌打ちした。

 若い頃のディーリンは、それなりに戦場に赴いている。だが、正直にいって武人としての評価は芳しいものではなかった。

 とはいえ、この評価は正当なものとはいえない。実際、ディーリンはほとんど失敗らしい失敗をせずに、たいていの戦ではそつなくこなしているのである。

 だが、セムロス伯は若い頃から内政手腕の見事さで知られ、また貴族諸侯の人望も厚かった。それに比べると、派手な武功がないだけにどうしても、「文人」として見られてしまう。


(さらにいえば……『あの失敗』さえなかったらな)


 過去の過ちを思い出すとき、ディーリンはあのときさえしっかりしていればと、思わず歯がみせざるを得ない。

 だが、いまはそんなことを考えている場合ではなかった。

 六千もの兵を使ったこのナイアス攻城戦に、勝たねばならないのだ。

 ディーリンは、この戦にこそアルヴェイア王国の運命がかかっていると知っていた。

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