第三部 グラワリア
第一章 青玉宮の策謀
1 諸侯の思惑
鉛色の天上から、ゆっくりと白い粉のような雪が降ってくる。
その雪は、アルヴェイア王都メディルナスのあまたの建物の屋根や石畳の敷かれた路地の上に、やわらかに降り積もっていった。
すでにセルナーダの地は冬至祭も終え、新しい年を迎えている。
だが、少なくともこのメディルナスの都では、冬至祭は例年に比べるとかなり活況を欠いていた。
それも、ある意味では無理もないことといえる。
昨年は、アルヴェイア王国にとって多難の年だったのだ。
人々としても、太陽の復活と新年を祝う気にはなかなかなれなかったのである。
まず、林檎酒税の徴収に端を発した南部諸侯の反乱があった。
この乱そのものは、王国の第二王女レクセリアの活躍もあり、あっさりと片が付いたが、それからも波乱は続いた。
北方に隣接するグラワリア王国の軍勢が、アルヴェイア東北部、ネルディ地方に侵攻してきたのである。
南部諸侯の反乱により「アルヴェイアの戦姫」として名をなしたレクセリアが、グラワリア王ガイナスの率いるグラワリア軍とネルディのヴォルテミス渓谷で激突したが、その結果は無惨なものだった。
自軍の負けを察し、将兵の助命を求めるためにレクセリアは敵軍へと投降し、降伏した。
だが、グラワリアはあろうことか、武装解除した、王国軍を主力としたアルヴェイア軍の兵士たちを虐殺したのである。
まさにアルヴェイアの完敗だった。
兵站が続かずグラワリア軍はネルディ地方を徹底的に破壊した後、撤退している。
さらに、ガイナスは異母弟のスィーラヴァスとの内戦を再開したため、アルヴェイアはなんとかグラワリアの再侵攻を恐れずにすんでいる、というていたらくである。
雪の寒さに身を縮ませながらも、メディルナスの人々は酒場で酒を酌み交わしながら、今年の展望を語っていた。
「去年は酷い年だった。今年こそは、いい年になってくれればいいが」
「まったくだな。レクセリア姫もガイナスの虜囚として捕らえられ、グラワリアに連れて行かれたままだし……一体、この国はどうなっちまうんだろう」
「レクセリア姫には、ガイナスの野郎が大変な身代金をかけて、青玉宮に請求している、なんて噂もあるが……」
「お姫様は可哀相だけど、身代金なんて払ったらまた税をとられるぞ? うちなんて、食うや食わずなんだ。冗談じゃない」
「確かに、レクセリア殿下は可哀相だが……仕方ないよな」
「それより、聞いたか? 最近、青玉宮じゃあ、『六卿』が二派に分かれて対立を始めたって……」
「ああ、聞いたことがある。なんでも、エルナス公とセムロス伯の二派が、それぞれ互いをけ落とそうとしてるってんだろ?」
こうして、下々の者の間で噂が広まるほどに、すでに青玉宮内での貴族同士の権力闘争は、半ば公然化していた。
この時期、「六卿」と呼ばれるアルヴェイアの有力な六人の貴族が、事実上、国政を牛耳っている。
青玉宮の深奥、「クファルスの間」に、いまその六人が集まり、アルヴェイア国王シュタルティス二世も臨席する御前会議に参加していた。
クファルスの間は、国王の寝室にもほど近く、歴史的にアルヴェイア国政を運命づける多くの内密の決定がなされてきた場所である。
やたらと広大な広間の多い青玉宮のなかでは、比較的、こぢんまりとした空間だった。
それでも、庶民の家、一軒はゆうに入るほどの容積は備えているのだが。
暖炉には赤々と薪が燃やされ、室温を上げている。
高価な水晶硝子の窓には、外気との温度差のため幾つもの滴がついていた。
窓の外では、しんしんと天上から雪が降っている。
青い鮮やかな漆喰壁には、帯文様などの豪奢な装飾が施されていた。
室の中央に置かれた長い机も、紫檀にさまざまな文様を彫り込んだ重厚な代物だ。
「とりあえず……いま現在、王国の財政を考えれば、残念ながらガイナス王の提示した身代金を払うわけには参りますまい」
椅子の、王から見て右側の椅子に腰掛けた若者が、誰もが陶然とさせられるような甘やかな声でそう言った。
「むろん、臣としていま現在、レクセリア殿下のおかれているお立場を考えれば胸の裂ける思いではございますが……ない袖は振れぬのが実情」
そうは言っているが、若者の顔には、さして王女を同情している様子は見られなかった。
いや、そもそも彼の顔には、常に天界の神々に仕える使徒の如き微笑が浮いているようにも見える。
少女のような、あるいは光翼天使、火炎天使めいた純真無垢な美貌の持ち主である。
その白皙は雪花石膏のようななめらかさを帯びており、存在そのものが一個の完璧な芸術品を思わせた。
すっと伸びた鼻梁に、花のような可憐な唇といった顔の造作の精妙さは、とても若い男とは……否、ほとんど人とすら思えない。
なにか人に似た、超自然の存在めいた霊気さえ放っている。
彼は、純銀を溶かしたような髪を肩のあたりまでのばしていた。
その髪の色合いとはいささか不似合いな、漆黒の、闇色の瞳がかえってこの若者の、独特の美を際だたせている。
名は、ゼルファナスという。
より厳密にいえば、彼はエルナス公爵という、アルヴェイア貴族で最高位の爵位の保持者でもあった。
もともとエルナス公爵家は親王家である。
ゆえに彼は、王位継承権すら所有している。
エルナスの花、あるいは美と愛を司る銀の月の女神、ライカの御子などとも呼ばれ、庶民での間の人気も絶大だ。
王家に次ぐ……あるいは、ことと次第によれば王家すらしのぐ権勢の持ち主だった。
凛とした貴族らしい凛々しさと同時に、知的な高雅さをも兼ね備えている。
まさに貴族のなかの貴族であり、神々によりあらゆるものを与えられたとも見える存在だった。
とはいえ、いまこのクファルスの間に居合わせた者は、皆、エルナス公に劣らぬ大貴族ばかりである。
美貌の若者の正面、王からむかって左側の椅子に座っていた一人の男が、咳払いをすると柔らかな声音で言った。
「少なくとも……この一件に関しては、私もゼルファナス卿に同意いたしますよ。確かに我が身を切られるよりも辛いとはいえ、背に腹はかえられぬ……現在のアルヴェイアの財政状態を考えれば、ガイナスの提示したレクセリア殿下の身代金の額は、とうてい受け入れられるものではない。まあ……おそらく、むこうもそうと踏んで、ふっかけているのでしょうがな」
一言でいえば、巨大な体躯の持ち主である。
大兵肥満という言葉がふさわしい、でっぷりとした体つきの大男だった。
体だけではなく、顔も、目も、鼻も、耳も、とにかく体を形作る肉体の一つ一つがやたらと大きい。
黒い頭髪はだいぶ薄くなり、かなり禿げ上がってはいるが、髪に白いものは全く混じっていない。
瞳の色は青く、炯々たる輝きを宿していた。
もともとが異常なほど大きな目を持つ異相のため、正面から見据えられれば並の心胆の持ち主ではその視線に射すくめられてしまいそうだ。
男の名は、ディーリンといった。
アルヴエイア中部、セムロスを統治する伯爵である。
伯爵とはいえ、その権勢のほど、また所領の豊かさは並の侯爵位の持ち主を遙かにしのぐ。
ゼルファナスと並ぶ、王国屈指の大貴族である。
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