2  同盟の使者

 ディーリンの発言を聞いて、上座に座っていたやせぎすの若者が、ほっとしたような顔をした。

 衣装こそ、この場に臨席する他の者に比べ、一段上等の……つまりは、最高級のなかの最高級のもの……をまとってはいるが、王国の大貴族のなかにあって、その存在感、威圧感のようなものは霞んで見える。

 黒い柔らかそうな髪に、やはり黒い瞳の持ち主である。

 肌は病んだように白く、目の下にも青い隈が浮かんでいるのは、酒色と女色に明け暮れている証拠だった。

 だが、彼こそはこの王国、アルヴェイアで至高の高みに立つ者、すなわちは国王なのである。

 冬至を越えたので今年で二十四になるが、見るからに神経質そうな若き王だった。

 実際、意志も最近は特に薄弱になり、エルナス公ゼルファナスと、セムロス伯ディーリンとの間で進む見えざる対立におろおろするばかりで、両者の調停役になろうとする意志もなければまたその力もない。

 王とはすなわち国家の象徴でもある。

 もし今のアルヴェイアの象徴しているのがこの若者なのだとしたら、もはや王国が衰亡の時を迎えているのもうなずけようというものだ。

 アルヴェイア王国第二十四代国王シュタルティス二世は、北方大陸産の白磁の碗に淹れられたジョナ茶で唇を湿すと、言った。


「エルナス公……ならびにセムロス伯。貴殿らの言うことは、もっともである。そもそも、我が妹とはいえレクセリアは『余の軍勢』を、一万もの兵をむざむざと殺したようなものだ。王国の民にこれ以上の負担をかけてまで、レクセリアの身代金を払う必要はない……」


 それを聞いて、エルナス公ゼルファナスがかすかに微笑した。だが、若き王にはその笑いの意味はわからないようだ。

 そもそも昨年の南部諸侯の乱のときも、本来であれば当時、王太子であったシュタルティスが軍を率い、反乱を鎮撫すべきだったのである。

 だが、シュタルティスは病がどうと理屈をつけて仮病を使い、それをしなかった。

 要するに、臆病なのだ。

 もともと文人肌とはいえ、馬にのるのがせいぜいで武芸のほうもさっぱりというのがシュタルティスという男である。

 頭のほうは決して悪くはないのだが、その知性はネルサティア幾何学や数学といった方面にのみ特化しており、政事には暗い。

 この、公務に関しては暗愚といってよい王は、実の妹でありながら、南部諸侯の反乱を鎮圧したレクセリアのことをねたんでいた。

 それはもはや、青玉宮では公然の秘密といっていい。


「所詮……『アルヴェイアの戦姫』などとおだてられても、レクセリアには荷が勝ちすぎた、ということだ。もはや、あのような娘のことは忘れるべきだ。ガイナス王があの娘をどうしようと、我らにはもはや関わりなきこと」


 シュタルティスは神経質な声で言った。


「それよりも……当面の議題は、スィーラヴァスをどうするか、だ」


 国王は、一座を見渡した。


「ガイナス王が異母弟スィーラヴァスと長きにわたり、グラワリアでの内戦を続けているのは周知の事実だが、いままで我らとしては、グラワリア内政には不干渉の原則を通してきた。しかし、スィーラヴァス殿からの使者は、我らに支援を求めている」


 実際のところ、いままでアルヴェイアはグラワリアやネヴィオンといった隣接した他国に、この一年ほど、まったく干渉していなかった。

 というより、両国との長年にわたる戦で疲弊し、よけいな手を出す余裕がなかった、というのが実情である。

 だが、グラワリア西部とグラワール湖の水運を握っている王弟スィーラヴァスより、同盟の使者がきた。

 これをどうするかで、いま、青玉宮はエルナス公派、セムロス伯派でまっぷたつに割れているのである。


「スィーラヴァスと手を結ぶなど、冗談ではありませんな」


 肉付きの良い手を互いに机上で組みながら、セムロス伯ディーリンが言った。


「グラワリア内政に過度に干渉するのは、いらぬ戦を引き起こすもととなります。そもそもスィーラヴァスが、昨年、ガイナスと一時的に休戦し、ネルディに侵攻してきたのをお忘れか? 確かにガイナスとは、もはや手を結ぶ余地はございますまい。されど、スィーラヴァスと手を結べば、ガイナスを正面から敵にまわすことになる。藪をつついてガイナスという蛇を出し、再びネルディや……」


 そこで、一瞬、ディーリンは間を空けた。


「否、ネルディはおろか、このメディルナスまでガイナス軍の侵攻を許す恐れさえございます。いまのアルヴェイアは、王国軍の兵をあまりにも失い……言うなれば、丸裸のようなもの」


 ある意味で、ディーリンの言っていることは正しい。

 アルヴェイア軍は、ヴォルテミス渓谷での虐殺からいまだに立ち直れないでいる。

 なにしろ一夜にして、一万もの兵を失ったのだ。

 兵を徴用しようにも金がない。

 いま、アルヴェイアが使える兵は、王国にではなく、それぞれの諸侯に仕える兵だけである。

 このように、軍事的にきわめて弱体化した状況で他国によけいな干渉をすることは、やぶ蛇になりかねないのである。

 だが、セムロス伯の向かいに座っていた世にも美しい若者は、なめらかな声で言った。


「私は……必ずしもそうは思いません。むしろ、スィーラヴァス殿の申し出は……いまのアルヴェイアにとって渡りに船の、格好の好機かと存じますが」


「ほう」


 ディーリンが、にっと笑うと言った。


「それはなぜか? ぜひ、お聞かせ願いたいところだ」


「喜んで」


 ゼルファナスはやはり謎めいた微笑をたたえながら言った。

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